| 【映画メモ】 ろ で始まる映画 |
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ストーリー テキサスを舞台に、判事兼実業家としてとして名を馳せた名物男ロイ・ビーンの数奇な生涯を描いた異色西部劇。 19世紀末、テキサス西部のペコスは悪人とガラガラ蛇しかいないといわれる無法の土地だった。流れ者ロイ・ビーン(ポール・ ニューマン)は無頼漢たちを一掃すると、自ら判事を名乗り、酒場を法廷として気ままに自分の信じる「正義」を行っていた。 町の形が整い出した頃、弁護士ガス(ロデイ・マクドウォール)が現われ、ここの土地一帯の権利は自分が所有しており、ビーンが 彼の土地を不法占拠していると訴える。 彼は、ビーンが念願だった歌手リリー・ラングトリーの演奏会に出かけて町を留守にしている間に、住民を取り込んで市長になり、 帰ってきたビーンの追い出しを図るのだった。 ゲイリー・クーパー主演の『西部の男』でウォルター・ブレナンが演じていたロイ・ビーンは、悪いやつなのだが、どこか憎めない男 の愛嬌があり、歌手リリーに捧げる純情一途な憧れにもホロリさせられたものだった。 でも本作のロイ・ビーンは、彼のいう「正義と秩序」の基準がよく分からないので、やたらに吊るし首の判決を下すただの得て勝手な 男にしか見えない。それでいてなんとなく良い人のようでもあるし、なにか中途半端な感じだ。単なる悪徳判事ではないらしい のだが・・・。 ポール・ニューマンは好きな俳優だけど、彼の演ずるロイ・ビーンはあまり好きになれなかった。 【◎○△×】5 |
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ストーリー 頑固な老漁夫と1匹の巨大な魚の闘いを描いたヘミングウェイのあまりにも有名な同名小説を、キューバに長期ロケを敢行して映画 化、人間の執念や孤独、不屈の精神の美しさを描いている。 84日間もしけが続いた後、漁師サンチァゴ(スペンサー・トレーシー)は海に出て舟よりも大きな魚を綱にかける。老人は舟を引っ張り続ける魚と2昼夜も不眠不休で戦う。姿の見えない魚を偉いやつだと尊敬し、敵だけれど友人だとも思い、孤独と闘いながら、3日を経てようやく姿を現した魚を仕留める。 しかし、老人は遠くに行きすぎた。陸へ帰る途中、舟横に繋いだ魚はほとんどサメに食い荒らされ、港に着いた時には魚は頭と尾を残して、骨だけになって いた。スペンサー・トレーシーが潮風と荒波に鍛えられた老漁師を見事に演じている。 もう若くはない漁師が、3日間ほとんど飲まず食わずの不眠不休、大丈夫かなぁ、魚を仕留める前に舟から転がり落ちやしないか、とそっちのほうが気になって仕方ない。 魚の重い手応えに、綱を引く手が血だらけになる。漁師は何度も「マノリンがいたらなぁ」と呟く。
私もそのつど、あのしっかり者の少年(フェリペ・パゾス)がいてくれたらなぁ、と思う。老人はまるで意思あるもののように魚に話しかける。深く海に潜り、巧みに漁師の舟を操り、決してあきらめない魚。海底に息を ひそめているのは一体どんなヤツなのか、と老人ならずとも思ってしまう。尊敬と親しみが湧いてくる。 それだけに、2日目に海面にうねるように姿を見せた魚の見事さには思わず息を飲んだ。長く細いくちばし、強靭な光を帯びた黒い 皮膚、しなやかに跳ねる巨大な身体。今ならCGでどんな造形も可能だと思うけれど、50年も前の映画なのだ。特撮にしてはあまりに 動きが滑らかで力強い。 銛(もり)で仕留めて舟脇に結びつけた魚がサメに襲われた時、老人は自分の身がえぐられるような痛みを 感じる。それほどに高貴な美しさに溢れている。 サメの背ビレが幾つも海面に現れる場面は不気味だ。次々に魚に襲い掛かって肉を食いちぎる。老人は櫂(か い)を振るって撃退する。サメはさらに群れをなして襲ってくる。頭上をおおう厚い雲が不吉な赤に染まり、空と海の間に老人の 舟が1つぽつんと浮かぶ。斜めの構図が不安定。 まるで我が子を守る父親のように孤軍奮闘する老人に、しまいには「もういいじゃない。とにかく
無事に陸にお帰んなさい」といいたくなる。疲労の極地で陸にたどり着く老人。人間の極限までの努力がすべて無に帰する。でも、その意味を云々するよりも、小屋のベッドで 眠る老人に一杯の温かいコーヒーを運んでくる少年の心根が嬉しい。老人の一見無意味な闘いの価値を、この少年はしっかりと理解して いるのだと思う。 充足して眠る老人、彼の枕下にコーヒーを置いてソッと立ち去る少年、こんなささやかな場面にこそ本当の人間らしさが現われる。 画面がやや単調。なにせ老人と海と姿を見せない魚の物語だからねぇ、しょうがないか・・・。老人の夢に揺れるように現れる アフリカの浜辺、サバンナで戯れるライオンの映像が魅力的だ。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 1924年、シカゴで実際に起きたロープ&レオポルト事件を題材に、完全犯罪をもくろむ二人の青年の姿を描いたサスペンス。 全体をワンカットで撮ったように見せて、映画の進行と現実の時間が同じになるようにした実験的作品。 舞台はマンハッタンのアパートの一室。超人思想から、自分たちの優秀性を示すために完全犯罪を成し遂げようと友人を絞殺した ブランドン(ジョン・ドール)とフィリップ(ファーリー・グレンジャー)。2人は殺人の現場のマンションでパーティを開き、絞殺に 使ったロープは本をくくる紐代わりに使って処分してしまう。 しかし、客の1人で、かつて彼らが在籍した学校の寮長ルパート(ジェームズ・スチュアート)だけは彼らの不敵な挑戦に気づいて いた。 『ロープ』という名のヒッチコック作品があるとは知っていたが、こういう舞台劇みたいな映画とは予想していなかった。知らずに 見たらヒッチコック作品と思わなかったかも知れない。それくらい他の作品と作風が違う。 劣者は存在する価値がない、だから優者は劣者を殺してよい権利がある、という超人思想から殺人を犯すというのは、いかにも 観念的で西欧人らしい感覚だなと思う。現実的な日本人にはちょっとピンと来ない犯罪動機だが、「初めに殺人ありき」で犯人は 分かっていて、その犯罪がばれるのではないかとハラハラさせながら展開するストーリーは、ちょっと私好みだった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 『寒い国から帰ってきたスパイ』など、冷戦時代のスパイ小説で圧倒的人気を誇るジョン・ル・カレのベスト・セラー小説の映画化。 共産党崩壊直前の旧ソビエトを舞台に、ソ連スパイをめぐるイギリス・アメリカのせめぎ合いの狭間に身を置いてしまった男女の、 緊迫した愛を描いている。 モスクワからイギリス情報部に舞い込んだ極秘情報、それは ‘ダンテ’(クラウス・マリア・ブランダウアー)と名乗る謎のソ連 作家の原稿で、なかには世界の防衛体制を揺るがす驚くべき内容が事細かに書き記されていた。 ことの真偽を確かめるために、イギリス情報部は協力体制にあるCIAと協議し、直接原稿を運んだロシア人の美人編集者カーチャ (ミシェル・ファイファー)と、その出版を依頼された出版会社のイギリス人経営者バーリー(ショーン・コネリー)を接触させること にする。彼らはバーリーをにわかスパイに仕立てあげてモスクワに旅立たせる。 公開時、劇場で見た時は、バーリーとカーチャの恋がレニングラードの重厚な雰囲気の中で展開されていくことにけっこう満足して いたのだが、今回久しぶりに見て「あれ?」と思った。 時間軸を行ったり来たりする構成のせいかもしれないが、ストーリーがさっぱり分らない。 ◆ダンテがなぜバーリーに本を託したのか。 (バーリーがソ連の作家村を訪れた時、茶話会のような場で2人は顔を合わせるけれど、 なぜダンテはバーリーを信頼するに足ると判断したんだろう。)
◆本を出版するという彼の目的は何なのか。(平和のために国を裏切るのも止むを得ない、というようなことをダンテはいうのだが、彼がそこまで踏み切る動機がよく分らない。 それに、それだけの大秘密をいきなり西欧側で出版するというのはいささか無茶ではなかろうか。) ◆なぜバーリーは英国情報部やCIAにソ連側のスパイと思われたのか。 (バーリーはにわかスパイとしてソ連に入り、カーチャやダンテとの接触を果たすのだが、帰国してから、CIAにソ連側の スパイではないかと疑われる。 なぜだ。この辺の事情が映画を見ている範囲ではよく分らなかった。) ◆そもそもダンテとはいったい何者か、などなど・・・。 恋愛映画としてはそこそこムードが出ているけれど、原作があの『寒い国から帰ったスパイ』の
ル・カレであることを考えると、これはいかにも勿体ない。バーリーと公園で再会したダンテが、バーリーにノートを託すシーンでは、ダンテに死を覚悟している風情が漂ってとても印象深い。 それだけに、命と引き換えに本を出版しようとするダンテにもっと焦点を当てたら、スパイものらしい緊迫感が出たんじゃなかろうか、 などと思った。 初老に入ろうかというショーン・コネリーがじつにセクシーで渋い。親子ほど年の違うミシェル・ファイファーとの恋を何のてらいも なく演じている。同年代の男性にとっては垂涎の限りだろうなぁ。 ミシェル・ファイファーもしっとりした大人の女性の佇まいが素敵だ。ラブストーリーとして見ればそれなり楽しめる映画ではある。 【◎○△×】6 |
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ストーリー 『シェルブールの雨傘』(64)で新境地を開いたジャック・ドゥミ監督が、ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリスらハリウッド・ スターを招き、7億フランという当時のフランスでは巨費を投じて製作したミュージカル。 フランスの港町ロシュフォールは年に一度のお祭りに沸き立っていた。この町に住む双子の姉妹ソランジュ(フランソワーズ・ ドルレアック)とデルフィーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、素晴らしい恋人との出会いを夢見ている。 カフェを営む姉妹の母イヴォンヌ(ダニエル・ダリュー)も、昔の恋人(ミシェル・ピッコリ)の面影を今も胸に抱き続けていた。 店の常連には、祭でオートバイの曲乗りを見せるエチエンヌ(ジョージ・チャキリス)や、絵の好きな水兵マクザンス(ジャック・ ペラン)がいる。 なんとなくずっと見るのを避けていたのだが、予感が当たり、やっぱり退屈してしまった。 これはまったく私の個人的好みの問題なのだが、古くは『掠奪された七人の花嫁』(54)『南太平洋』(58)、そして『パリの アメリカ人』(51) 『雨に唄えば』(52)、どうもみな退屈してしまう。
初めの2つは子供のころ見たきりなので、今見たらどういう感想を持つのか分らないが、あとの2つはここ数年の間にテレビ放映
されたものを見た。昔のミュージカルで面白いと思ったのは『ウエストサイド物語』『サウンド・オブ・ミュージック』くらいのものだった。 どうも私はミュージカルでもドラマ性を求めるらしく、ただ歌って踊るだけでは退屈してしまう。おまけに、ストーリーが中断されて いきなり歌や踊りが始まることに違和感を感じるヘキがある。 私にはミュージカルは合わないのだとずっと思っていたが、最近の『ムーラン・ルージュ』(01) 『シカゴ』(02)などは とても楽しめた。
本作はその点、のべつ歌ったり踊ったりしているのでストーリーが中断される感じはないが、その歌や踊りがどうも私にはさほど
魅力的に思えない。ジョージ・チャキリスは『ウエストサイド物語』の頃に比べすっかりキレが悪くなっているし、ジーン・ケリーの踊りもスマート かもしれないが、ちょこちょこした動きに見えて私には今一つ魅力薄。 町の通りや広場、カフェ、ダンス教室、楽器店、画廊などのセットも清潔といえば清潔だが、さっぱりし過ぎて奥行きが感じられず、 衣装も全員シンプルな単色、とよくも悪しくもシャーベットのような映画で、私には物足りなかった。 【◎○△×】6 |
| ロスト・ワールド |
| /ジュラシック・パーク |
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ストーリー 大ヒット作『ジュラシック・パーク』(93)の続編。 恐竜たちを遺伝子生産する拠点だったコスタリカの沖合いの離れ小島 “サイトB” は今は放置され、生き延びた恐竜たちが繁殖して いるという。事態を憂慮したインジェン社の会長ハモンド(リチャード・アッテンボロー)は、マルコム(ジェフ・ゴールドブラム)を 呼び出し島の調査を依頼する。 マルコムは恋人の古生物学者サラ(ジュリアン・ムーア)がすでに出発したことを知り、慌てて後を追う。 一方、ハモンドの甥のルドロー(アーリス・ハワード)は “ジュラシック・パーク” 再生をもくろみ、ハンター、テンボ(ピート・ ポスルスウェイト)らとともに、恐竜捕獲のために島に乗り込む。 『ジュラシック・パーク』シリーズはどれも好きだが、『1』では身体は巨大でも平和でのどかな草食竜と、暴風雨のような破壊力を 持つティラノサウルスの対照が面白くて、恐竜といってもいろいろだな、と思ったものだった。本作『2』は焦点はもっぱら恐竜と人間の 闘いに絞られて、これでも
かこれでもかと息をつく暇もない。御大ティラノサウルスはもちろんのこと、小型恐竜コンプソグナトスが怖さの点ではかなりの線に達していたと思う。1匹2匹と 小出しに現われて、あっという間に群れをなす。凶暴かつ狡猾。引くとみせて油断させ、一転攻撃に転じてくるところなど、まさにチン ピラ小悪党の群れだ。 オープニングの観光客の少女が「可愛い」とおやつをやるシーンから始まって、中盤、インジェン社の探検クルーの一員、ディーターを しつこくどこまでも追いかけ、食い殺すシーンまで、底意地の悪い “邪悪さ” を感じさせるところが、人間ぽくて、怖い。ピーター・ ストーメアが、あの独特の眠そうな目で「一番怖いのは人間さ」と小恐竜に電気銃を浴びせた後だけに、「もっとうわ手がいるよ」と いわんばかりで不気味だった。 ところで、崖に半分宙吊りになったトレーラーの窓ガラスにヒビが入り、サラの重みでびびっびびっと広がっていくシーン、ああいう のって変に現実味があって、ぞぞっと鳥肌が立つ。仲間のエディが駆けつけて、ロープを落としてくれて「やれ、一安心」と思っても、 支えきれずじりじり落ちる。 車をバックさせてトレーラーを引きずり上げる。土砂降りで道は川のよう。これだけも胸は沸騰しそうなのに、なんと、子供を奪われ たティラノサウルス夫婦まで現われるのだ。 畳み掛けるような勢いはスピルバーグならではのもの、巧い。エディがティラノサウルスの餌食になってしまうのだけが心残りだった。 今回はインジェン社の会長ラドローが「愚かな人間」役を一手引き受けして、捕獲したティラノサウルス親子をサンディエゴまで 連れてくる。摩天楼を背景にすっくと立つ恐竜、・・・たしかにサマになる。スピルバーグはこういう図柄を一遍は撮って見たかったの かな、と思わなくもないが、個人的にはマルコムたちが島をヘリで脱出するところで終わったほうがスマートだった気がする。 ティラノサウルスは町をノソノソ歩き回るより、森林にいるほうが断然迫力がある。 【◎○△×】7 |
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ストーリー ロンドンの下町で暮らすエディ(ニック・モーラ)ら幼なじみ4人組みは、ギャングの顔役ハリー(P・H・モリアーティ)を相手に カード勝負で一世一代の賭けに出る。ところが逆にイカサマではめられ、ハリーに莫大な借金を背負わされる。返済期限は1週間。 ハリーはかつて宿敵だったエディの父JD(スティング)のバーを狙っていたのだ。 困ったエディたちは偶然、隣の部屋に住む悪党たちがマリファナ製造密売人から金を強奪する計画なのを知り、横取りして借金を 埋め合わせしようと考える。 計画はあっさり成功。ところがそのためにエディたちはかえって四面楚歌、ギャングやマフィアに追われる羽目になる。 ミュージック・ビデオ、コマーシャル出身のイギリスの俊英、ガイ・リッチー監督の長編映画デビュー作。東京国際映画祭で最優秀 監督賞を受賞、ガイ・リッチー監督は本作の成功で一躍世界の映画界に躍り出た。 『トレインスポッティング』の時もそう思ったが、イギリス映画は時々掘り出し物にぶつかる。 街のチンピラ4人組がカード・ギャンブルで出来た借金をいかにしてギャングのボスに返すのかという話と、銃の収集が趣味のボスの 命令で、骨董モノのライフルを盗みにゆく下請けチンピラ2人組の話、それに上流階級の不良お坊ちゃんたちが手懸けているマリファナ製造の売上金を狙う別のギャング一味 の話、とおおまか3つのストーリーが同時進行的に進む。 しかもそれが相互に関連し合っていて、最後は根っからのワルはみんな死んでしまい、主役の4人組だけはどうやら生き延びる。 しかし、ボスが死んで借金はチャラになったものの、せっかく手に入れた大金は取り立て屋にちゃっかり横取りされてしまうという、 オチがつく。 4人組のうちの2人、ベーコン(ジェイソン・ステイサム)とトム(ジェイソン・フレミング)が街頭でインチキ商売をしていて警官 から逃げる導入部から、全編に溢れるスピード感がたまらない。 登場人物たちは大真面目なわりにみなどこかずっこけていて、やればやるほどドツボにはまっていく。 なかでも面白いのは子連れ取り立て屋の “ビッグ・クリス” だ。 無表情の大男で見るからに怖いのだが、変に律儀で几帳面。交通ルールは守らないと気が済まないし、盗んだ鞄はちゃんと返しに いく。(もっとも中身の大金はしっかり頂戴しているのだが。)いかつい顔に似合わぬ子煩悩。幼い息子の方がよほど現実的で したたかなのだ。 演じているヴィニー・ジョーンズはボクサー出身らしいが、じつに雰囲気が出ていて、見ているだけでついニヤニヤしてしまう。 一方、エディの父親役はかのスティングだ。こちらは物凄くクールなおやじ。息子の突き放しっぷりが見事だ。エディが少々のワル ぶったところで、とうてい年季の入ったおやじには敵わない。 かつてギャングのボス、ハリーが張り合ったというだけあって、渋い貫禄がじつにかっこいい。「エディよ、まだまだ尻が青い」と ニヤリとさせられる。 イギリス映画の持つ意地悪といっていいような乾いたユーモアは、アメリカ映画とは質が違うなぁといつも思う。人によって好みの 分かれるところだが、私の感覚にとてもマッチしている。 わけの判らない長いタイトルに惹かれて映画館に足を運んだが、飛んだめっけものだった。 【◎○△×】8 |
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ストーリー 18世紀のスコットランドに実在した英雄ロブ・ロイの戦いを、雄大な山々と湖に囲まれたスコットランドのハイランドを背景に 綴ったドラマ。 1713年、スコットランドの民衆は不安定な世情と飢えに苦しんでいた。マグレガー一族の族長ロブ・ロイ(リーアム・ニーソン) は、牛の売買で仲間や家族を救おうと考え、元手を作るため領主モントローズ侯爵(ジョン・ハート)に借金を申し込む。 侯爵はロイの広大な土地を担保に高利で貸すことを承諾するが、配下のキラーンはその金の詐取を企み、高慢で好色だが腕の立つ 侯爵の居候カニンガム(ティム・ロス)を抱きこむ。カニンガムは金を受け取ったロイ一族の若者アランを襲い、死体を湖に沈めて しまう。 それでも借金の返済を迫る侯爵は、敵対するアーガイル公爵を陥れる卑劣な策をロイに強要し、ロイが拒否すると、カニンガムに 攻撃をしかけさせる。戦いの中で、妻メアリー(ジェシカ・ラング)はカニンガムによって辱めを受け、ついにはロイも捕らえられて しまう。 8年前スコットランドに行く時の飛行機の中で、偶然にこの映画を見た。映画冒頭の、ハイランドの霧の立ち込めた荒寥とした山野が、 とても印象的だった。 初めに訪れたのは、スコットランドでも北に位置するネス河沿いの町、インヴァネス。この河がネッシーで有名なネス湖に流れ込む。 インヴァネスは夏でも朝は靄の立つ、静かで寒々しい町。近くのネス湖畔には、この映画にも出てくるジャコバイト党が立て籠もったと いう、アーカート城の荒れ果てた遺跡が今も残っていた。 湖を見下ろす城の佇まいは、実在したというロブ・ロイの物語を髣髴(ほうふつ)とさせるようで、城壁に 立つと映画のシーンがさまざまに思い起こされた。 帰国すると、今度はメル・ギブソンの『ブレイブ・ハート』が大ヒット上映中で、奇妙にスコットランドづいた映画にばかり出会うな ぁ、と不思議な気がしたものだ。本作は、映画の仕上がりや物語のスケールでは『ブレイブ・ハート』に劣るけれど、旅の思い出と 重なって、私には忘れ難い映画の一つとなっている。 ロイ役のリーアム・ニーソンと妻ジェシカ・ラングが演じた夫婦のラブシーンは、私の好きなシーンの一つだ。ロイの妻をいたわる 仕草のなんと優しくてセクシーなこと。相手を思い遣るセックスの出来る男が本当に強い男なのだ、と思ったものだった。 ティム・ロスの強烈な悪役ぶりや、ジョン・ハートら脇役陣の味のある演技など、さまざまに楽しめる映画だった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 近未来のデトロイトを舞台に、殉職し、サイボーグ刑事 “ロボコップ” として甦った男の活躍を描くSFアクション。 デトロイトでは旧市街が犯罪の温床となり、その治安を守るために警察運営は民間企業のオムニ社に委託されていた。 オムニ社は、保安担当重役ジョーンズ(ロニー・コックス)の巨大警察ロボット計画が失敗に終わり、若手重役モートン(ミゲル・ フェラー)の発案によるサイボーグ計画をスタートさせ、殉職した南署の新任刑事マーフィ(ピーター・ウェラー)をロボコップとして 生まれ変わらせる。 元の部署に配属されたロボコップは、並外れた射撃のわざとパワーで活躍を続けるが、かすかに残った人間としての記憶が妻子への 想いや悪人に惨殺された時の恐怖を甦らせ、彼を苦しめる。 サイボーグになってからのピーター・ウェラーの仕草が抜群! カクッ、カクッ、といかにもロボット然としているのに、どこか機械 とも違う滑らかさがある。機械であって機械でない。見ていてなんとも不思議な気分になってくる。とくに歩き姿がすごい。何をすると いうのでもない、ただ歩いているだけなのに、その姿になんとも言えぬ哀愁が漂うのだ。 本作がふつうのSFアクションと一味違った映画となったのは、サイボーグにこの人間的なペーソスを加えたことが大きいと思う。 記憶消去が完全でなかったために人間としての記憶が微かに残り、もと住んでいた住まいを訪れた時に妻子への想いが甦ったり、 警官マーフィが悪人になぶり殺しされた時の記憶が悪夢となって、サイボーグとしての彼を苛んだりする。 これらのシーンでは、彼に人間的な共感が湧いてとても胸が痛かった。悪人はいかにも悪人らしく、ヒーローはヒーローらしい シンプルさも感情移入しやすくてよかったと思う。 【◎○△×】7 |
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ストーリー シェイクスピア原作の名戯曲の映画化。 15世紀中ごろのイタリア。ヴェローナの町では、犬猿の仲の名門モンタギュー家とキャピュレット家がことあるごとにいがみ合い、 血で血を洗う争いが絶えなかった。 モンタギュー家の1人息子ロミオ(レナード・ホワイティング)は、悪戯ごころでキャピレット家の舞踏会にもぐりこみ、1人娘の ジュリエット(オリヴィア・ハッセー)と恋に落ちる。 バルコニーで愛を誓い合った2人は、翌朝2人だけの結婚式を挙げる。その帰り道、ロミオは親友マキューシオ(ジョン・マッケ ナリー)とジュリエットの従兄弟ティボルト(マイケル・ヨーク)が激しく争う場に遭遇する。止めようとしたロミオだが、マキュー シオが殺されたことに逆上し、思わずティボルトを刺してしまう。 ロミオは追放の身となり、ジュリエットは父の命令で政略結婚させられようとしていた。 「ロミオとジュリエット」は中高生向けに書かれた「世界名作全集」の類で読んだのが最初だが、一夜だけとはいえ2人はベッドを 共にしているし、当然大人の恋物語と思っていた。それだけに、ずいぶん後に、ロミオの16歳はまだしも、ジュリエットはまだ14歳 前と知った時はずいぶん驚い
た。これがわずか4、5日の出来事ということにもびっくりした。(脇道に逸れるけど、同じ全集で「千夜一夜物語」を読んだ時、なにかと言えばすぐベッドインする内容に、“恋”ってそんなもん?と 憤慨したり幻滅したことを思い出す。いっぱし大人のつもりで生意気なことをいっても、本音はなんて青く稚なかったかと、少女時代の 自分がおかしくも微笑ましくも思えます。) 本作は公開時、主演の2人の年齢の若さが評判になった。‘シェイクスピア俳優’という言葉があるほど、シェイクスピア劇といえば 経験も実績も備えた名優が演じるものと相場が決まっていただけに、レナード・ホワイティングが17歳、オリヴィア・ハッセーが15 歳、と原作の設定にきわめて近いことが驚きをもって受け止められたのだ。 私も自分の中で収まりの悪かった主人公たちの年齢が、主演俳優の若さでどう折り合いがつくのか確かめたくて見にいった。 若鹿のようにしなやかなレナード・ホワイティングもなかなかよかったが、なんといってもオリヴィア・ハッセーの朝露を含んだ花の ような初々しさに目を奪われた。あどけない顔立ちとはアンバランスな豊かな胸にも度肝を抜かれたっけ。 舞踏会で人々の後ろをそっと移動ながらおたがいを探すロミオとジュリエット、カーテンの陰でカスミソウが触れ合うように交わさ れるキス、夜のバルコニーで「おー、ロミオ、ロミオ。あなたはなぜにロミオなの」と溜め息をつくジュリエット、そして愛を告白し 何度もひしと抱き合う2人・・・。 若い恋人たちの情熱は、私がイメージしていた通り、瑞々しくいじらしいものだった。たった4、5日で死まで突っ走った恋に説得力を 与えたのは、2人の無垢な若さだったのではないかと思う。
この時の印象が鮮烈だったせいか、ホワイティングもハッセーもその後はあまり作品に恵まれなかったようだ。ハッセーはほぼ10年 後の『ナイル殺人事件』(78)では(役柄のせいもあるけれど)地味で寂しげな雰囲気で、“花の命は短くて・・・” とちょっとした 感慨に襲われた。それだけに、さらに約30年、『マザー・テレサ』(03)で堂々たる存在感を示してくれたのが嬉しかった。 ディカプリオの翻案ものもあるけれど、素朴で伸びやかなテーマ曲も含めて、ヴェローナの街並みや貴族の館の風趣ある映像、忠実に 再現された中世の衣装など、一番オーソドックスな感じのする本作が私にとっての『ロミオとジュリエット』だと、見るたびにいつも思う。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 少女に対する中年男の妄執を描いて、ロリータ・コンプレックスという言葉を定着させたウラジーミル・ナボコフの同名小説の映画化。 1970年に一度スタンリー・キューブリック監督により映画化されている。 ヨーロッパ生まれの中年の大学教授ハンバート(ジェレミー・アイアンズ)は、夏の休暇を利用して、著作の執筆のためにニュー・ イングランドの小さな町にやってくる。 彼は下宿先の14歳の娘ロリータ(ドミニク・スウェイン)に魅了される。彼女は少年時代の実らなかった恋の相手、アナベルに そっくりだったのだ。 ロリータの虜になったハンバートは、彼女と離れないためにその母親シャーロット(メラニー・グリフィス)と結婚する。やがて ロリータは寄宿学校に送られるが、シャーロットはハンバートの娘への想いを知り、自殺とも取れる死を遂げる。 ロリータを引き取ったハンバートは、ドライブ旅行でアメリカ中を放浪しつつ、彼女との禁断の生活にのめりこんでいく。そんな 2人を秘かに尾行する1人の男がいた・・・。 彼は謎の作家、クィルティ(フランク・ランジェラ)だった。ある日、ロリータは突然姿を消す。 中庭の芝生に腹這いになって雑誌を読み耽るロリータに、ハンバートが眼を止めるスタートはなかなか好調だ。スプリンクラーが くるくる回りながら水を撒く。飛沫がかかり、ロリータの全身が濡れ、逆光を受けて光る。無心な横顔がとてもチャーミングだ。 一見無垢な横顔と裏腹に、ハンバートの気持ちを見透かしたように、蠢惑的な姿態を晒すロリータ。 ところが、2人だけのドライブ旅行が始まってからの彼女は、どんどん魔性のオーラを失って、ただの行儀の悪い “悪がき” に 変じていく。天真爛漫といえば言えるが、中年男が性的に溺れこむ
ような官能を持った少女には見えないのだ。ハンバートは彼女を “小悪魔” と呼ぶのだが、そうであるためには年齢相応の無邪気さだけでなく、時にゾクッとするような 成熟した女の顔を覗かせてほしい。原作はどうなのだろう。少なくとも本作での「ロリータ像」は私にはかなり物足りなかった。 とはいえ、ジェレミー・アイアンズの小娘に狂おしいまでに惹かれる中年男は見事。彼は『ダメージ』でも息子の婚約者との禁断の 愛にのめり込み、破滅に突き進む男を演じていたが、表情一つで体の芯に疼く官能を表現する演技力は、見ていて切なくなるほどだ。 謎の劇作家、クレア・クィルティの存在が今1つよく分からない。彼が退廃した性倒錯者であることは、フランク・ランジェラの 圧倒的存在感で見事に表現されている。 しかし、ロリータは彼の何に引かれたのだろう。彼は悪魔的な男だ。しかし、その魅力に惹かれるには、本作のロリータは先ほども 書いたようにあまりに「普通」過ぎるのだ。 ハンバートがロリータを失った絶望と嫉妬からクィルティを殺す展開も、性の深淵に落ち込んだ男の悲劇というよりも、小娘に からかわれて空回りしている哀れな男にしか見えない。 やはりロリータの人物造形が最後まで物語の足を引っ張っているように私には感じられ 【◎○△×】7 |
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ストーリー 元プロ・フットボールの花形選手だったポール・クルー(バート・レイノルズ)は、ひもをしていた金持ち女とのトラブルがもとで、 今は刑務所暮らしだ。 刑務所長のヘイズン(エディ・アルバート)は、配下の看守チームを全米セミプロ・チャンピオンに仕立てようと考え、クルーに コーチを命じる。囚人チームを噛ませ犬にして、看守チームに自信をつけさせようというのだ。 一度は断わったクルーだが、結局、看守チームの練習台になる囚人チームを育成することになる。一般公開試合が迫るにつれて、 看守長ナウアー(エド・ローター)を初めとする横暴な看守たちへの怒りを胸に、囚人チームは団結する。 バート・レイノルズは、実際に大学の花形プレーヤーであり、事故で俳優に転じた経歴を持つだけに、彼の魅力が光る快作。 ほぼ30年ぶりの再見。バート・レイノルズが若い若い。一番脂が乗っている頃の映画だけに、溌剌としている。 アメリカン・フットボールのルールはぜんぜん分らないが、なんとまー、乱暴なスポーツなんだろう。喧嘩を公然とやりたければ アメフトをどうぞ、という感じだ。後半、囚人チームが次々に負傷し、ついに堪忍袋の尾を切ったクルーは反撃開始、といかにも 看守チームが悪玉みたいだけど、前半は囚人チームが看守チームを同じ目に合わせている。言ってみれば、どっちもどっち、お合い子 だろう。 おかしかったのは、ずっと所長の顔色ばかり窺っていたの鞄持ちみたいな男が、囚人チームが勝利を収めると、「これも歴史」と、 いかにも「ざまー見ろ」といわんばかりの顔で所長に言うとこ
ろ。テンからバカにしていた男からこんなことを言われて、所長はさぞ驚いたことだろう。一番の悪玉は所長なだけに、これはちょっと
痛快な場面だ。クライマックスはなんといっても、試合終了後のシーンだ。ゲートの方に歩いていくクルーを見て、所長は「脱走だ!」と叫ぶ、 「射殺しろ!」と。もちろんそうでないことは百も承知だ。 所長がいかに悪どい男か、勝利に執念を燃やしてきたかを、さんざん見せられてきた観客は、こういう形でクルーへ復讐しようとして いる、と胸がどきどきする。看守チームが負けて、彼がこのままおとなしく引っ込むはずがない、と。 看守長ナウアーがライフルで狙いを定める。彼はクルーとずっと敵対していたし、今は所長の前で看守チームの監督としてみっとも ない負けを喫してしまった。所長の復讐に加担するのではないか・・・。 しかし、彼は発射をためらう。クルーはゲートの前に転がっていたウィニング・ボールを拾ってもどってくる。ホッとしたように ライフルを下すナウアー。悔しそうな所長と、何も気づかず爽やかな笑顔のクルー。2人の対比で一番点を稼ぐのは、ナウアーに扮する エド・ローターだ。ずっと悪役で来ていて、最後にころっと善玉になっちゃった。 でも、このあと囚人たちには地獄の刑務所生活が待っているんだろうなぁ。なにしろ所長の面子を丸潰れにしてしまったんだから。 それくらい所長の “笑顔” は怖い。彼に扮するエディ・アルバートが映画の面白さを倍にしていたのは確かだ。 【◎○△×】7 |