| 【映画メモ】 に で始まる映画 |
|
ストーリー スペイン、ガルシア地方のセセブレの森を舞台に、井戸掘り職人ヘラルドの周りで起る様々な出来事を描いている。 ヘラルド(フェルナンド・ヴァルヴェルデ)は17歳の時事故で片足を失い、それ以来義足の世話になっている。長年使ってすり減って しまったのと、油を差さないとギシギシ鳴るのが悩みだ。叔母の家で女中同様にこき使われているエルメリンダ(アレハンドラ・グレピ) に、秘かに思いを寄せている。 中年の助手マルビス(ルフレド・ランダ)は“盗賊フェンデテスタス”となって、楽して金を手に入れるのが夢だ。念願かなって セセブレの森を根城とした盗賊になるが、幽霊フィスの出現で森を通る村人が激減し、商売は上がったり。 エルメリンダは強欲で口うるさい叔母に堪忍袋の緒を切らし、町へ行く決心をする。叔母は少女ピラーラを後釜の女中に雇う。一方、 ピラーラの弟で盗みの得意なフーコはマルビスに弟子入りする。 鳥の鳴き声が賑やかに響き、湿気を含んだ森の樹々がいかにも豊かな感じがして、それだけでのんびりした気分になる。 登場する村人たちがこれまたみなのんびりしたお人好しばかり。顔に泥を塗って変装したつもりのマルビスが「盗賊フェンデテスタス だ。金を出せ」と粋がっても、村人は「おや、マルビス、どうしたい、その顔は?」と全然驚かない。 健気なピラーラが不慮の死を遂げても、母親も弟フーコもちっとも悲しまない。葬式が済めばケロリとして、もう次の金儲けを考えて いるという具合。欲が深くて抜け目がないのに、どうにも憎めない人たちばかりなのだ。ヘラルドの純愛は不器用でほのぼのしている。 大人向けの絵本をひもとき、1枚1枚ページをめくっていくような、メルヘンのような物語だった。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 売れっ子タレント北大作(石原 裕次郎)は一分一秒までスケジュールで埋まる日々に倦怠を感じていた。マネジャー兼恋人の典子 浅丘 ルリ子)との間にも、もはやかつての情熱はない。 そんなある日、大作の受け持つテレビ番組に奇妙な葉書が舞い込む。「中古車を九州まで運んでもらいたし。但し無報酬」というのだ。 事情を調べるうちに、投書者の若い女性(芦川 いづみ)と九州の無医村に住み 込む医師(小池 朝雄)との純愛を知った大作は、中古車のドライバー役を引き受けて、すべての予定を放り出して出発してしまう。 大あわての典子も、スポーツカーで大作の後を追う。新企画として放送しようとするディレクター(長門 裕之)や、新聞取材班の車が それに続いた。 タイトルがすっごくシャレていて、どんな映画かと以前から気になっていた。幌(ほろ)のないジープと ポルシェを駆って東京から九州まで走りぬけるロード・ムービー、当時の日本では時代の先端を行くかっこよさだったんじゃないかな。 もっとカラッとした青春ドラマを想像していたが、湿りっけの多い日本映画の中では、さっぱりしているほうかもしれない。 裕次郎がすぐ上半身裸になるのに閉口。当時の爆発的な人気を考えれば、これもファンサービ
スだったのかも。浅丘ルリ子がぽっちゃり顔なのが若々しくてご愛嬌。どうかすると工藤夕貴に似ている。長門裕之の演じる放送局ディレクターのいかにも薄っぺらな軽薄さが面白い。阿蘇の村にヘリで駆けつけた依頼主の美子と恋人の医師 に「さー、手を握って」「僕がほしいのは感動なんだ」と盛んに煽る。 言われれば言われるほど美子の顔がこわばる。「私の考えて いた “純粋愛” ってこんなんだったの?」っていう感じ。“愛” って観念じゃないですもんね、その辺を「一郎ちゃん」が図らずも 衝いてしまったわけだ。 対照的に、大作と典子のほうはさわやかな笑顔。なんと言っても東京から熊本まで1500キロを追いつ追われつ走破したんだから、 これ以上の愛の確認はありません。阿蘇の大草原での抱擁シーンはいかにも裕次郎らしかった。 可笑しかったのは、裕次郎と浅丘ルリ子の車がさまざまな土地を通過するのだけど、どこに行っても、見物人がごっちゃり沿道に 固まって突っ立ってること。映画全盛の頃だったし、撮影隊が来るとなれば、みんな取るものもとりあえず見物に出て来たんだろう。 でも、半日も待ったあげく車が2台走り過ぎてオシマイ、だったんじゃないかなぁ、実際は。 私の友人で、新宿で日活の撮影に出くわして、わくわくしながら撮影開始を待ったのはいいけれど、散々待ちくたびれた頃、俳優が 2人道路を走り過ぎて終わり、という経験をしたのがいる。それでも裕次郎と浅丘ルリ子なら待ち甲斐もあるけれど、友人の場合は全然 知らない俳優だったらしい。のんびりした良き時代だったなぁ、とそんな40年も昔のことを思い出した。 【◎○△×】6 |
|
ストーリー 『独立愚連隊』『日本のいちばん長い日』の岡本喜八監督が、一人の学徒生を主人公に、戦争の空しさ・愚かさをコミカルなタッチで 描いた異色の戦争ドラマ。寺田農は本作で毎日映画コンクール主演男優賞を受賞した。 昭和20年夏、特攻隊員に選ばれた“あいつ”(寺田 農)は、外出許可日に街でさまざまな人たちに出会う。戦地で両手を失った 古本屋(笠 智衆)と“観音様”のようなその妻(北林 谷栄)。古本屋は小便する時の気分の良さだけでも生きてる甲斐があるという。 また、初体験は観音様のような女とでないといけないとも。“あいつ”は娼屋でセーラー服の少女(大谷 直子)を見かけ、観音様と 出会ったと思う。うさぎとねずみと呼び合う二人は、やがて防空壕の中で結ばれる。 計画は変更され、“あいつ”は魚雷をくくりつけたドラム缶に入り、敵艦に体当たり自爆をすることになる。 しかし、なかなか敵に出会わない。やっとみつけた屎尿処理船の船長から、“あいつ”は日本の敗戦を教えられる。 寺田農演ずる“あいつ”のキャラクターがなんともいえず味がある。のほほんとしていて、そのクセ妙にクールで客観的。そのせいか、 彼の口からでる戦争批判に説教臭や押しつけがましさがなく、ユーモラスに響くから面白い。 せっかく助かりかかったのに、また漂流 してしまうところも、いかにもドジな“あいつ”らしい。(助けてくれたのが「おわい船」というのも、皮肉なユーモアが効いている。) 最後まであけぼの楼の傘を手放さず、「うさぎさん」と叫びながら死んでゆく。30数年ぶりに再見して、この映画はこんな切ない ラブストーリーだったのかと思った。大谷直子の清冽な光を持った目が印象的。 【◎○△×】8 |
|
第二話〔大つごもり〕 久我 美子、仲谷 昇、長岡 輝子、中村 伸郎 第三話〔にごりえ〕 淡島 千景、宮口 精二、杉村 春子、山村 聰、南 美江 |
|
ストーリー 樋口一葉の短編小説「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」をオムニバス形式で映画化している。 第一話〔十三夜〕 仲秋の名月の夜、おせき(丹阿彌 谷津子)は夫・姑の仕打ちに耐え切れず子を残して実家に 帰ってくる。しかし、父は婚家にもどるようおせきを言い含める。 その帰途、おせきはかつて仄かな恋心を抱いた幼なじみの録之助(芥川 比呂志)に出会う。 お盆過ぎのある日、斬られたお力と割腹した源七の無惨な心中死体が発見される。 第一話〔十三夜〕 ほんのりと障子戸から明かりの洩れた家並みを、おせきを乗せた人力車がひたひたと走る。コホンと咳一つこぼした ら、それだけで車夫の脚がすっと止まりそう。濃密な日本情緒が漂うモノクロ映像。墨絵のような美しさに心を奪われる。 樋口一葉が描く明治の女の人生は哀しい。夫のむごい仕打ちに耐えかねて、二度と婚家には戻らぬつもりで帰ってきたおせきに、 母(田村 秋子)は泣いて「もう戻らなくていい」と言ってくれる。しかし、父(三津田 健)は我慢するようにと諌める。 今がどれほどつらくても、子どもを置いて出るつらさを思えば耐えられる。お前の苦しみは今はもう私たちが知っている。お前と一緒に泣こう。そういって諭すのだ。 分ってくれる人がいる、これほど切なく嬉しいものはない、と私は思う。母の “情” だけでは支えられない。父の “理” が力に なる。私は胸の奥でひっそり泣きそうになった。 帰り道、おせきは偶然、幼なじみの録之助と再会する。おたがいの思いを秘めたまま、2人が右と左に別れる場面が美しい。川のほとり に柳がゆれ、月の光がおぼろに道を照らす。詩情あふれる光景が2人の思いをいっそう浮き上がらせるように思えた。
第二話〔大つごもり〕石之助はうたた寝のフリをしながら、下女のみねと義母(長岡 輝子)のやり取りを聞いて、ことの次第を察知する。 日ごろから義母の薄情を承知している石之助のこと、何とかみねを助けてくれやしないかと当てにしつつ映画を見ていた私だが、彼のやり口がなかなか小粋だ。放蕩者の自分がいまさら汚名をかぶったところで何ということもない。いかにもわけ知りの遊び人らしい。 大店の奥様の気分1つで運命が左右される下女の身分も哀れだが、外れ者の若旦那の人情が話にしゃれた風情を与えている。 若い頃の仲谷昇のハンサムぶりに驚いたが、義母を演じた長岡輝子が巧い。使用人には口うるさく、気紛れで、旦那様の前ではしおらしい。大店の 奥向きらしいたっぷりした風格がある。岸田今日子が台詞のほとんどないお嬢さま役で出ているのがご愛嬌。
第三話〔にごりえ〕源七の女房お初に惹かれた。口うるさく亭主に恨み言を並べ立てても、「出て行け」の一言には弱い。元はといえば女にうつつを抜かし、身上を潰した亭主が悪い。それでもひたすら詫びるしかない。 おん出されて、子供の手を引いて長屋を出ていく後姿が何とも哀れだ。といって行く当てもないし、風呂敷包みを抱えてまた戻ってくる。それがまたまた哀れで、それでいてちょっと可笑しくもある。杉村春子の巧さに感心した。 それからすると、源七とは別れたものの本心思い切れず、一方でインテリの結城(山村 聰)にも惹かれる、というお力の心のゆれはやや印象が浅い。酌婦の世界が活写されて、興味深かった。 【◎○△×】8 |
|
ストーリー 1980年。東ベルリン経由で、亡命を装い韓国に潜入した北朝鮮スパイ、イム・ビョンホ。拷問を耐え抜き、上層部の信頼を獲得して 正式に国家安全企画部の諜報員となった彼は、潜伏スパイとして活動するラジオDJのユン・スミ(コ・ソヨン)に接触する。 2人は恋人同士を装って密会し、暗号の指令に従って貴重な情報を北朝鮮政府に次々と送り込む。しかし、2人の出会いは彼らの運命を 大きく狂わせ、南北両政府から追われる立場になったビョンホは最後の決断を迫られる・・・。 監督は本作が長編デビューとなるキム・ヒョンジョン。『シュリ』のハン・ソッキュが主演している。 東ベルリンから始まるたたみ掛けるような「入り」がすごい。追っ手を逃れて西側の検門所に駆け込む男。迎えた男たちが彼を車に抱え 込む。車内で男は「イム・ビョンホです」と名乗る。迎えた男が「ようこそ、自由の国へ」と握手を求める。 暗転。亡命した男が全裸にされて、凄惨な拷問を受けている。あまりの落差にショックを受けるが、脱北者の中には亡命を装った スパイが混じっているので韓国政府もなかり神経質になっている、というのは聞いたことがある。それだけに、このオープニングは怖い ほどのリアリティがある。 リアルである、ということがこの映画の特徴なのかもしれない。いわゆる「スパイもの」のような派手な銃撃戦や情報戦は出てこない。 イム・ビョンホが拷問に耐え抜き、やがて韓国情報部の信頼を得、徐々に中枢部に入り込んでいく様子が、淡々と綴られる。現実は 劇的でも派手でもなく、案
外こうしたものかもしれない。しかし、イムが具体的にどのような情報収集をし、それがどう北鮮の対韓工作として反映されたのか、彼の動きが疑惑を呼ぶことは なかったのか、スミはどのようにして本国からの指令を受けていたのか、というスパイ活動にまつわるさまざまな動きが見えてこない のが、私にはやや物足りない。 上司の情報部長はビョンホを重用しながらも、北朝鮮スパイという疑いを捨ててはいないらしい。鋭い眼光がそれを示している。 ビョンホを中枢部に近づけるのは、逆利用しようとしているからなのではないか。そんな緊張感が全編をおおい、かつ途切れないのは、 本作が初監督というキム・ヒョンジョン監督の力量を感じさせる。 スミはビョンホに人間的な感情を抱いたことで、指令伝達という任務が遂行できなくなり、そのためにビョンホは祖国を裏切った (→ 韓国に寝返り、二重スパイになった)と疑われる。同じ頃、留学生をスパイにでっち上げる取り調べにかかわったことから、ビョン ホ自身、韓国安企部から疑惑の目を向けられる。スパイとは人間味が許されない過酷な仕事であることが描写されるのだ。 主演のハン・ソッキュは、スミが北からの指令を彼に伝えなかったことを知った時、激しい動きで彼女の首を締め上げる。その豹変 ぶりがすごい。それまでの穏やかな表情が一変して、鍛え上げられた冷酷なスパイの顔を見せるのだ。さすがだと思う。 南北両方から追われることになったビョンホは、スミとともにリオデジャネイロに亡命するが、エピローグはやや冗漫かも。たとえば 彼の2年後の運命を字幕で告げるだけで終ったほうがスマートだったかもしれない それにしても、北朝鮮の人間を主役に据えたことや、背景となっている80年代が韓国が軍事政権下にあったとはいえ、「この国 (韓国)に自由があると思うのか」というセリフを登場人物にいわせるなど自国に対する容赦ない表現は、韓国映画の土性骨を感じ させる。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー ベルギーの修道院を舞台に、1人の修道女が信仰と懐疑の中で成長していく姿を描いている。 医師として有名なバンデルマル博士(ディーン・ジャガー)を父に持つガブリエル(オードリー・ヘプバーン)は、俗世との縁を 断って修道院に入る。厳しい修道生活で落伍していく修道志願女たちもいるなかで、ガブリエルはシスター・ルークという名を与えられ、 看護尼として植民地コンゴに派遣される。 外科医フォルテュナティ博士(ピーター・フィンチ)の下で医療活動に励むが、第二次世界大戦の勃発でベルギーに呼び戻される。 故国がナチスに踏みにじられつつあるさまを見たガブリエルは、父が爆撃で死んだ報せを聞いた時、苦悩の末、地下運動に参加するために 修道院を出る決意をする。 ヘプバーンが可憐で美しい。彼女の尼僧姿を見たいばかりに本作を見た私としては、これで十分に満足なのだが、映画として見た時、 ガブリエルの苦悩があまりに稚なくて、共感するまでには至らなかった。いい子の優等生が頑張りすぎて、燃え尽き症候群になって しまった映画、とでもいったらいいだろうか。 尼僧に課せられる修養の道が映画の通りなら、感情を持つな、ロボットになれ、といわれているような感じだ。そのまま真に受けて 実践しようとしたら、おかしくならない方がおかしい。多分、ガブリエルは固真面目すぎたのだろうと思う。一分の隙もなく教条的に 教えを守り、同じ姿勢で現地人も信仰に導こうとする。その姿は、今風にいえば神経症的といっていいくらいだ。 フォルテュナティ博士がいみじくも「結核は私が治してやるが、心の病は自分で治せ」という場面
が出てくる。ガブリエルは過労による結核菌の感染で病の床に伏すのだが、同時に心も病んでいたのだと思う。ガブリエルが自分の頑張りを一番評価し褒めてほしい相手は、父親だったんじゃないだろうか。高名な外科医の娘であることが、 いつもガブリエルには付いて回っている。彼女は偉大でやさしい父が大好きだったし、その娘であることが誇りだったと思う。(もっとも 、それは高慢の罪になるから、自覚しそうになると、心の底に抑圧するのだけれど。) しかし同時に、父のためにいつも優等生でいなければならなかった。これはかなりしんどいことだと思う。しかし、そのしんどさも ガブリエルは抑圧する。 意地悪い言い方になるけれど、彼女はいつも自分を偽って生きていたような気がする。もちろんそれは自覚していないし、本気で 真摯に信仰を実践していたのだとは思うけれど。 その父が亡くなったことで、頑張る意味がなくなってしまった。彼女が俗世に戻る決意をするのは、誰か(=父)のためでなく、 自分のために生きようとした時の結論だったのだろうと思う。信仰の物語を矮小化しすぎると起こられそうだが、私はむしろ信仰の 偽善性にガブリエルが気づいた物語に思えた。 尼僧院の生活や正式なシスターになるまでの手順などがとても珍しかった。 【◎○△×】6 |
|
ストーリー ジュールス・ダッシンが原作・脚本・監督に加え、主演も務めたラブ・コメディ。カンヌ映画祭主演女優賞、アカデミー主題歌賞受賞。 アメリカから古代ギリシャ研究のために ピレウスの港町にやって来た作家ホーマー・スレイス(ジュールス・ダッシン)は、陽気な娼婦イリヤ(メリナ・メルクーリ)に出会い 惚れ込んでしまう。娼婦は不幸せに決まっていると思い込んでいるホーマーは、なんとかイリヤに足を洗わせ“更正”させようとするが、 イリヤは取り合わない。 ある時、彼はイリヤが毎週日曜は商売を休んでギリシャ古典悲劇を見に行くと知ると、それを利用して彼女に 本式の教養を詰め込み、“真の幸福”に目覚めさせようとする。イリヤの2週間を買い取って、その間に彼女が変わればホーマーは ピレウスに残るし、変わらなければここを去るという約束だ。 知識の詰め込み特訓が始まる。2週間ラクが出来ると思って同意したイリヤだったが、“教養”が増えるに連れてだんだん元気がなく なってくるのだった。 メリナ・メルクーリの笑う時の声が中村玉緒そっくり! 思わず一緒にグファファと笑いそうになる。でも、歌う時の声は深くて 素敵。まるでポルトガルのファドを聞くようだ。 30年前初めてピレウスに行った時、「ここがあの映画の舞台になったところか!」と感激したものだが、映画のような陽気な町では なくて、静かな漁港なのが意外だった。 それはともかく、人生を楽しんで自由に生きることの素晴らしさが、全編に溢れている。居酒屋で漁師のヨルガキが踊るシーンで、 イリヤがホーマーに言う、「ここでは人のためでなく自分の魂のために踊るの」と。この言葉、ズシンと私の胸に響いた。「生きる」 ってそういうことなんだろうなぁ・・・。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 母娘2代にわたる女性の逞しい生きざまを、さながら繁殖力の強い昆虫になぞらえて、ぎらつくようなエネルギーで描いた今村昌平 監督の代表作。主演の左幸子はベルリン国際映画祭で主演女優賞を受賞した。 東北の貧農に生まれたとめ(左 幸子)は、地主の家に足入れ婚をさせられ娘・信子を生むが、間もなく婚家を出る。信子を父の忠次 (北村 和夫)に預けて上京したとめは、アメリカ兵のオンリー、みどり(春川 ますみ)の家に住み込み、ついで興宗教が縁で知り 合った女(北林 谷栄)の売春宿の女中となり、自分も客を取るようになる。 やがて、商店主・唐沢(河津 清三郎)をパトロンに売春組織を作り、元締めに納まる。唐沢との関係も安定し、束の間の幸せを得る とめだったが、仲間の密告で警察に捕まり、釈放されて帰ってみると、呼び寄せていた信子(吉村 実子)が唐沢の愛人になっていた。 とめと信子が逞しいなぁとつくづく思うのは、セックスに対する割り切りだ。もちろん、“性”の愉悦は彼女たち自身十分承知で、 かつ享受していると思うけれど、それに絡め取られずケロリとしている。 例えば、信子。母親のパトロンを取っていながら、とめに対して罪悪感がある訳でもなく、「3人一緒に暮らそう」なんて一生懸命 とめを慰める。セックスは「金稼ぎの道具」とキレイに割り切れているからなのだろう。恋人・上林のいる開拓村に帰ったあとも、腹の 子が「誰の子か分からない」と上林に言われても、「私の子というのははっきりしてる」とアッケラカンとしたものだ。 とめにしてもそうだ。唐沢が信子に乗り換えたと知った時こそ号泣するものの、場面が変わると食堂で鍋をつつきながら、故郷に 帰った信子を「必ず連れて戻る」などと、唐沢に約束している。女としての魅力がもはや自分になくなったと察知すれば、いつまでも ぐずぐず未練を残さない。あっけに取られるほどの変わり身の早さだ。 けれど、2人とも「したたか」というような厭らしさはあまりない。食べるに事欠く貧しさのなかでは、生き延びることが第一、理屈 ・理念は腹のタシにならない。そんな逞しさが“生命力”の強さとなって、2人からギラギラ放散してくるからだろう。 左幸子、吉村実子はもとより、少し知的障害のある父親を演じた北村和夫、とめが働く売春宿の女将役の北林谷栄、オンリー役の 春川ますみなど、脇役陣も充実して、今村監督作品の中では一番好きな映画だ。 【◎○△×】8 |
|
ストーリー 靴のセールスマンのスペイン人パコ(セルジ・ロペス)は、ヒッチハイクで乗せたニノ(サッシャ・ブルド)に車を盗まれ、失職して しまう。偶然通りかかって町まで車に乗せてくれたマリネット(エリザベート・ヴィタリ)と意気投合するが、マリネットは「お互いの 気持ちを確かめるために、3週間、連絡を取らずに過ごしましょう」と提案する。 町で再会したニノを殴って怪我をさせたパコは、病院に彼を見舞ううちに、次第に心が通い合うのを感じる。風来坊のニノは自称 イタリア産ロシア人。ニノの退院後、2人はブルターニュから西へ西へと3週間のあてのない旅に出る。愛を探して旅をする男2人の 可笑しくも心温まるロード・ムービー。カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した。 ニノはいわば放浪のプロ、パコは3週間の期間限定。どちらも本当の人生はまだ始まっていないモラトリアム人間だ。そういう気楽さ が映画に独特の楽しさをもたらしている。 とくに私が好きだったのは、小さな町で知り合った車椅子の黒人バチスト(バジル・シエクア) と3人でやる“こんにちはフランス”ごっこ。オープン・カフェの椅子を陣取り、通りかかる人に「ボンジュール!」と声をかける。 返事をしてくれるかどうかを競争するという、じつにバカバカしい遊びなのだが、妙に楽しい。女にモテないニノのために女性探しを する“アンケート作戦”も、子供騙しみたいなアイデアだけど、なんとなく可笑しい。 ニノはパコの人の好さに乗じて車を盗っていながら、「ちょっと借りた」なんて言う、かなりいい加減なヤツだ。でも小柄で貧相で、 楽天的だけどちょっと物悲しかったりして、なんだか憎めない。モテモテ男のパコも、ちょこちょこつまみ食いをする癖に、肝心の お目当て女性には振られてばかり、これまた憎めない。そして、最後にニノが持ててパコが振られる形勢逆転のオチも、なぜか心が ホンワカする。 2人の旅を見ていると、懸命に生きる人生もいいけれど、時にはこういう無責任な時間を過ごしてみたいな、とふと憧れ に似た思いを誘われる。 パコ役のセルジ・ロペスは『ポルノグラフィックな関係』では中々のハンサムぶりを見せていたが、本作ではちょっと抜けたところの ある二枚目半。それが実にツボにはまっている。ニノ役のサッシャ・ブルドは初めて見る役者だ。長めの上着を引きずるように歩く後ろ 姿は、可愛いような哀れなような・・・、面白いキャラクターだと思った。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 昭和24年7月、戦後の混乱冷めやらぬ中で、国鉄の下山総裁が常磐線の線路上で轢死体となって発見される。GHQの占領政策による 職員の大量解雇を控えて、労働運動が最高潮に盛り上がる中での出来事だった。 各新聞の主張は自殺説と他殺説に分かれるが、他殺説をとる昭和日報の記者・矢代(仲代 達矢)は、取材を進めるうちにその確信を 深める。一方で、自殺説もクローズアップされてくる。事件から一ヵ月後、警視庁は自殺を発表することになるが、なぜか突然中止 される。 このころ相次いで、三鷹事件、松川事件と鉄道事故が起こる。世相は騒然となり、政府はこれを機に労働組合、左翼への弾圧を強める。 矢代は若い刑事・大島(山本 圭)と地道な調査を続けるが、年の瀬もつまったある日、警視庁は一方的に捜査本部を解散してしまう。 〔下山事件〕はこの頃相次いで起こった〔三鷹事件〕〔松川事件〕などと並んで、戦後三大ミステリーといわれた事件だ。同じ頃に 起きた〔帝銀事件〕も結局は真相は分からず終い、戦後の混乱を表すように不可解な事件が続発した時代だ。いずれも占領軍(GHQ) の謀略が囁かれた点が共通している。 本作は【他殺説】に立つ新聞記者を主人公に据えたことで、捜査や取材を通じて他殺の傍証となる証拠や証言が次々に発見されていく。 この辺りは本当にそうだったのか、映画としてのフィクションなのかよく分からないが、ミステリーとしての面白さがある。 【他殺説】は、国鉄の大量首切りに反対する組合左翼運動家の犯行とすることで、組合潰しを図る政府の謀略と言われたし、【自殺説】 は、下山総裁の懊悩を強調することで、組合運動を沈静化させようとする政府の狙いがあると言われた。どっちに転んでも政府(=背後に あるGHQ)の陰謀ということになる。 真偽のほどは分からないが、下山総裁の死によって労働運動の急先鋒だった国労が争議の勢いを失い、大量解雇が容易になったのは 事実だ。今振り返ると大変な時代だったのだと改めて思う。 個人的には、描かれた時代がほぼ自分の生活史と重なるせいか、当時を思い出して感慨深かった。強烈な印象で残っているのは60年 安保。当時高2だった私は、東大生の樺美智子さんが国会議事堂前のデモで死亡したという報道にびっくりした。 新宿では激しい怒号の中で学生が道路の石をはがして投石し、ヘルメットをかぶった機動隊が角材で彼らを殴りつける。テレビで見て いてほんとうに恐ろしかった。 中学時代の同級生がこのデモに参加したと知ったのも驚きだった。来年に近づいた大学受験のことしか頭になかった私には、政治問題に 参加するなど別世界のことのように思われたからだ。 社会党の浅沼稲次郎書記長が演壇上で刺殺されたのも、この年だった。テロなんてどこか遠い国の話と思っていた私には非常にだった。 犯人Y・Oが私と同じ17歳だったことがそれに輪をかけた。 「自分はどう生きるのか」を実感を持って考えたのは、あの時が初めてだったと思う。それからずっと、かなり後まで、私はこの命題を 人生の節目ごとに考えたものだ。その割には平凡な波乱のない人生を送ってきたが、あの頃考えた「自分の人生」をちゃんと生きている のか、という思いはいつも私につきまとう。 ニュース・フィルムがふんだんに使われたドキュメンタリー・タッチの作風に、久しぶりにあの頃感じた未来への漠然とした不安と 興奮を思い出した。映画の最後は、〔東京オリンピック〕のテレビ中継で締めくくられる。日本はこの頃から高度経済成長に突入した のだ。 登場人物たちの服装や新聞社内の様子も垢抜けたものに変化し、時代の移り変わりを巧みに見せていく。自分の20歳までを駆け足で 辿ったような、軽い疲れと手応えが残った。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 中国河南省に近い村を舞台に、中国残留孤児の問題を温かいタッチで描くヒューマン・ドラマ。 中国仏教代表団が日本を訪れる。メンバーの1人、僧ミンチン(プー・ツンシン)は、1945年、日本軍駐屯地で生まれたが、 河南省乳泉村に捨てられる。 産婆のヤンチャオ(ティン・イー)は彼を拾い、犬坊と名付けてわが子同様に育てる。口と耳が不自由な息子フールー(ヨウ・ヨン)、 娘シュウシュウ(リー・ティン)も犬坊に温かい愛情を注ぐが、彼は “侵略者の子” として苦労を重ねる。 ・・・訪日して実の母・大島和子(栗原小巻)に再会したミンチンは、帰国を明日にひかえた日、彼女の家に招かれる。 “現在” と “過去” が並列して描かれるが、それぞれの部分は時系列に沿って進められる。中国残留孤児というヘビーなテーマの 映画だけに、奇をてらわずにストーリーを真っ直ぐに進めていくこの手法に好感を持った。 物語は、“過去” の主人公が中国人一家に育てられる部分が圧倒的に面白い。主人公を孫代わりに育てる助産婦ヤンチャオの太っ腹な 剛毅さ、姉代わりに世話をするシュウシュウの優しさ、この親娘がじつに魅力的だ。 ヤンチャオが、一旦は里子に出した犬坊がひどい扱いを受けているのを知って、憤然と引き取って帰る場面や、嫁に出るシュウシュウ を犬坊と2人佇んで見送るシーン、年老いて、犬坊を寺に預けに行くシーンなど、心に残る場面がいくつもある。 “現在” の、今はミンチン法師となった犬坊が実母に再会する部分は、話が先細りしてしまった。母親役の栗原小巻が、好き嫌いも あるとは思うが、どうも私は情緒過剰の演技で白けることが多い。急に話が作り物めくのだ。俳優を変えるか、ストーリーをもっと あっさり仕上げるかしたほうがよかったんじゃないかと思う。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー ニューヨークを舞台に125年の時を超えて繰り広げられる恋の顛末を、ラブ・コメの女王メグ・ライアン主演で映画化したお洒落な ラブストーリー。 1876、年イギリスの貧乏貴族レオポルド公爵(ヒュー・ジャックマン)は、金持ちの花嫁を探すためニューヨークに来ている。 そのパーティの会場で挙動の ‘怪しい男’(リーヴ・シュレイバー)を目にし、追いかけるうちにブルックリン・ブリッジから男と ともに転落してしまう。 気がつくと時代は現代、レオポルドは ‘怪しい男’ じつは発明好きのスチュアートのアパートにいた。階下にはキャリア・ウーマンの ケイト(メグ・ライアン)が住んでいる。仕事一筋のケイトは、突然現れたクラシックな出で立ちの不思議な男、レオポルドに次第に 惹かれていく。 タイム・スリップものはけっこう好きなジャンルだ。違う時代とのコンタクトはどうやって取るのかな、なんていうこと1つでも わくわくしてしまう。複雑なタイム・マシンで四苦八苦する映画もあれば、なんだか知らないけど気が付いたら来てました、みたいな いい加減なのもある。それぞれに楽しい。 本作は後者の方だ。ある曜日のある時間帯に時空の裂け目ができて、そこにすぽっと落ち込めば、いつのまにか違う時代に来てしまう。 時空の裂け目に落ちる方法は、目もくらむ高所から身投げみたいに落ちればいいだけ(ただしその場所は決まっている)。かなり怖い けど、ややこしい手
続き一切なし、なんともイージーな方法だ。そんなわけで、本作で一番印象に残った登場人物は、この能天気な法則を発見し、19世紀のニューヨークをきょときょと歩き回る スチュアートだ。 その挙動不審がレオポルドに怪しまれ、怪しまれていることに気づいて逃げ出すくせに、性懲りもなくレオポルドの花嫁探しの パーティにもぐりこむ。客の間からひょいと顔を出し、レオポルドに見つかると、スーッと客のなかに紛れ込んで、またひょいと顔を 出す。 隠れんぼだか鬼ごっこだか知らないが、スチュアートのそんなとぼけた行動が楽しい。リーヴ・シュレイバーが好演。 19世紀の貧乏貴族を演ずるヒュー・ジャックマン、彼と恋に落ちる超現実派のキャリア・ウーマンに扮するメグ・ライアン、 それぞれにところを得て、生きいきしている。 ただ、ケイトが19世紀のレオポルドの世界に行っちゃうラストはどんなもんかなぁ。ちゃんとやっていけるかしらん。レオポルドが 20世紀でうまくやれるのは証明済みだから、彼がこっちに来たほうがよかったんじゃないかなぁ。 【◎○△×】7 |