| 【映画メモ】 ま で始まる映画 |
|
ストーリー 仕事一筋に生きてきた女性シェフが、周りの人たちとの触れ合いを通じて、自分に欠けていたものに気づいていくハートウォーミング な物語。 マーサ(マルティナ・ゲデック)はハンブルクのフランス料理店の看板シェフだ。優れた味覚と一流の腕を持ち、店はおかげで大繁盛。 でも、マーサは仲間と食事や会話を楽しむのが苦手で、休日は一人で過ごし、デートに出かけることもない。 そんなある日、姉が事故で亡くなり、8歳の姪リナ(マクシメ・フェルステ)を引き取ることになる。リナはマーサに心を開かず、 彼女の作る料理も口にしようとしない。 リナをどう扱ってよいか分らずマーサのイライラが募るなか、店では陽気なイタリア人シェフ、マリオ(セルジオ・カステリット)が 新たに雇われる。完全主義のマーサのペースは狂い放し、彼女のイライラは増すばかりだ。 マーサと姪のリナは、頑固で容易に人に心を開かないところがほんとによく似ている。こんな2人が一緒に暮らすとなれば、これはもうなかなかのことだなぁ。 リナが心を開かないことの象徴として、モノを食べない様子が描かれる。学校で空腹で倒れてしまうほどなのだが、それでも食べない のだ。マーサの作る料理は凝りに凝っているけれど、ほんと
はそういう料理ってあんまり美味しくないかもしれない。自分の腕にぜったいの自信を持つマーサには悪いけど、なんかあったか味が
ないもの。彼女の作っているのは “料理のための料理”、人間不在なのだ。リナに彼女の料理が通用しなかったのは、多分、そのせいだと思う。 このままでは2人の関係は煮詰まって二進も三進もいかない。 ところがよくしたもので、イタリア人シェフのマリオが登場する。イタリアのイメージそのもののように陽気で能天気で、いい意味の いい加減さを持った男だ。扮するセルジオ・カステリットがハンサムなのに気取りがなくて、とってもいい雰囲気。彼の作る料理は 手軽なのにじつに旨そうだ。料理って技や薀蓄(うんちく)じゃなくて、やっぱりハートよね、と思わせる。 リナにスパゲッティを食べるように仕向けるやり方が巧い。「うう〜ん」「ふ〜〜」と感に堪えた声でムシャムシャやり、それから スイと食べかけの皿をリナに渡して「ぼくの分は残しといてくれよ」とか言ってどこかに行ってしまうのだ。“うまそう” “押しつけ がましくない”。ポイントはしっかり押さえてます。
マリオがリナの心を開いていくプロセスが、そのままマーサの心がほぐれていく過程と重なるところがいい。マーサとマリオが、イタリアまで実父に引き取られたリナを迎えにいくシーンは、それまでの比較的地味な色調が一転して明るい陽光に満たされ、ほんとうに幸せな気分になる。 「リナは私と暮らしたがるかしら」「もちろんだよ。だれだって暖かいイタリアで親と暮らすより、寒いドイツに住みたいに決まって るさ。いかれた叔母さんと一緒にね」。ユーモラスで温かくて、「むふふ」と笑いがこぼれそう。 ハッピーエンドの楽しい映画だが、1つ気になったのは、階下に住む建築家のサムの存在だ。意味あり気に登場したわりに、リナの 子守役みたいな役どころで終ってしまい、彼は何だったんだろうと思ってしまった。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 仕事も恋にも失敗したマーサ(モニカ・ポッター)は、人生の再出発を夢見て一人旅を決心する。行き先は“99ドルで行ける場所”。 こうしてロンドンに旅立ったマーサを待っていたのは、キザでリッチな音楽業界人ダニエル(トム・ホランダー)、失業中の舞台俳優 フランク(ルーファス・シーウェル)、そしてシャイなカード・ゲーム教師のローレンス(ジョセフ・ファインズ)。 親友同士の3人は、偶然別の場所でマーサと出会い、それぞれ彼女に恋してしまったのだ。恋と友情の板ばさみになりながら、3人は マーサの愛を射止めるために奔走する・・・。 イギリスの名所を舞台に繰り広げられるちょっとお洒落なロマンティック・ラブ・コメディ。 なんとも他愛のない話だけど、春風がサッと吹きすぎるような爽やかな楽しさがあった。 初めにローレンスがひと通りの成り行きを精神科医(レイ・ウィンストン)に話し、次に同じ話がマーサの視点で語り直される。この 二重構造が、種明かしも兼ねて、気が利いている。 モニカ・ポッターは初めて見る女優だけど、すごくチャーミング。目から鼻にかけてが『ギルバート・グレイプ』のジュリエット・ ルイスに似てるかな。親友同士の3人の男に惚れられるんだから、要の女優に魅力がないと話そのものがオジャンになってしまう。 その点モニカ・ポッターは十分に合格。すごい美人でないところがかえってよかった。 【◎○△×】6 |
|
ストーリー 無類の映画ファンとしても知られるイラストレーターの和田誠が、阿佐田哲也の同名ベストセラー小説をもとに、初めての映画監督に 挑戦した青春群像劇。 敗戦直後の上野。戦後も学校には戻らずブラブラしていた17歳の哲(真田 広之)は、ドサ健(鹿賀 丈史)というプロの ばくち打ちと知り合いになる。彼に連れられて米兵相手の秘密カジノに乗り込むが、ドサ健は勝つだけ勝つとさっさと帰ってしまい、 負け金の払えない哲は米兵から袋叩きの目に遭ってしまう。 彼を介抱してくれたのはカジノの女主人(加賀 まりこ)だった。彼女の手ほどきで麻雀修業を始めた哲は、やがて出目徳(高品 格) と呼ばれる魔術師的なプロに出会う。 その頃ドサ健は、情婦まゆみ(大竹 しのぶ)の家を雀荘にして大層な羽振りだった。 麻雀のことはぜんぜん分からないが、予想外に面白かった。仲間うちに “坊や” と呼ばれる哲を演じる真田広之は、当時24、5歳になっていた はずだが、最後までそれっぽい初々しさを失くさ
なかったのは大したもの。しかし圧巻は高品格の出目徳。雀卓に顔がくっつきそうな平蜘蛛スタイルで構えただけで、只者でない空気が漂う。 対する鹿賀丈史のドサ健も、白い上着を肩羽織してどうしようもないヤツという形がぴたっと決まる。2人がそろって登場してからが俄然話が面白くなる。 哲はドサ健から賭博師のあこぎな生きかたの洗礼を受けたり、出目徳から勝ちをかすめ取るコンビ技を仕込まれたり、ギャンブル世界を 生き抜くノウハウを身につけるのだ。 もう1人印象的なのはゼゲンの達。クールな第三者として、プロの勝負師の対決を観察する。 勝負は勝ったり負けたりするもの、しかし勝ち続ける人がいるとしたら「それは人間として大事な何かを失くしてるんでしょうね」 なんて、オッと思うような哲学的な言辞を吐く。 一体何者かと思えば「私は人買い」とくる。じっさい、借金のカタに取ったドサ健の女・まゆみに対しては、それまでの態度を一変させた酷薄さを示す。 まゆみの父が残した家の権利書が勝負の担保として彼らの間を転々とし、結局、彼が家とまゆみと両方手に入れるのだが、「質流れ品を 預かっている」というスタンスを崩さない。彼には家より女より、プロの勝負のひりひりした緊張感のほうが魅力があるのだ。これじゃ 死んでも堅気になれ
そうにない。扮する加藤健一という俳優、着流しが決まってムードは抜群。声がもうちょっと低かったら言うことがなかった。 出目徳が心臓発作で勝負の最中に急死する場面がすさまじい。ドサ健が財布から着ている服までそれこそ身ぐるみ剥いでしまうのだ。 哲はもちろんさすがの達も気を飲まれるが、「負けるっていうのはこういうことよ」とドサ健は言い放つ。戦後の喰うか喰われるかの 時代相がリアルに立ちのぼってくる科白だ。 リヤカーで運んでいった遺体を、彼の掘っ立て小屋があるなべ底みたいな窪地に投げ落としてしまうのも凄い。水溜りに首を突っ込んだ 出目徳の遺体を見ていたら、彼としてはこんな死に様も覚悟の上だったんだろうな、と納得した。 加賀まりこ、大竹しのぶの女優陣も好演。モノクロ映像が敗戦直後の上野界隈の雰囲気を見事に映し出していた。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー ロサンゼルスを舞台に、11人の男女の愛と人生を描く群像劇。 結婚40周年を間近に控えた熟年夫婦ハンナ(ジーナ・ローランズ)とポール(ショーン・コネリー)
はともに過ごした人生を見つめ直す。夫との絆を見失って、不倫相手ロジャー(アンソニー・エドワーズ)と逢瀬を重ねる長女のグレイシー(マデリーン・ストウ)。 彼女を本気で愛し始めるロジャー。 離婚寸前の夫ヒュー(デニス・クエイド)は、毎晩酒場で女たちに出任せの身の上話を語り続ける。 次女メレディス(ジリアン・アンダーソン)は離婚のせいで恋に臆病になっている。トレント(ジョン・スチュアート)はそんな 彼女を優しく包み込む。 メレディスの別れた夫マーク(ジェイ・モーア)はエイズで死期が迫っている。彼の母親ミルドレッド(エレン・バースティン)は 息子の死を受け入れようともがく。 三女ジョーン(アンジェリーナ・ジョリー)は物静かなキーナン(ライアン・フィリップ)に惹かれるが、彼はエイズ・キャリア だった。それでも愛を誓い合う2人。 それぞれ別に語られていたストーリーが、最後に一つの家族の輪のなかに収束されていく。 登場人物が多すぎて、エピソードの羅列になってしまった感じだ。カップルを1つ2つ整理して、その分、1つ1つのエピソードを もっとじっくり描いたほうがよかったんじゃなかろうか。
5組のカップルの中で、エイズで死期の迫ったマークと母親ミルドレッドのエピソードは、ほかがみな夫婦・恋人など男女の愛を
描いているだけに明らかに異質だ。親子の愛、または「死」を見つめる、というテーマも盛り込みたかったのかもしれないが、かえって
どっちつかずになってしまった気がする。同じ意味で、ポールが脳腫瘍で余命いくばくもない、という設定もストーリー全体にうまくからんでいない。 あまり欲張らず、ポールとハンナを中心として夫婦・恋人など男女の愛をさまざまな形で描く、という風に絞ったほうが、すっきり まとまったと思う。 1つ1つのエピソードはそれぞれチャーミングな要素を持っているのに、見終わった後「どんな話だったっけ」と思ってしまうのだ。 惜しいなと思う。 【◎○△×】6 |
|
ストーリー 嗜眠症(ナルコレプシー)という病気を持つマイク(リヴァー・フェニックス)は、ポートランドの街角に立ち、体を売って日々を 暮らしている。親友のスコット(キアヌ・リーヴス)は市長の息子で何不自由なく育ったが、家を飛び出し、マイクと同じ男娼をして いる。 ある日マイクはスコットとともに、彼を捨てた母を捜す旅に出る。兄リチャード(ジェームズ・ルッソ)が住む故郷アイダホへ、 そしてさらに手がかりを求めてイタリアまで旅する2人。 しかし、スコットが美少女カルメラ(キアラ・カゼッリ)と恋に落ちたのを きっかけに、2人はお互いの住む世界、進む道の違いをはっきりと思い知らされる。 人気絶頂のさなかに急逝したことで、ジェームズ・ディーンに比べられることの多いリヴァー・フェニックスだが、彼が描き出す青春 像は、ドラッグ、男娼行為、父親は不明で母は蒸発、とジミーが体現した青春像と比べ、一捻りも二捻りもして屈折している。 しかし、青春の持つナイーヴで壊れやすい傷つき易さ、それゆえのはかない輝きは、どちらにも共通していると思った。 リヴァー・フェニックスが扮するマイクは、歳の離れた兄が本当は自分の父ではないか、と密かに思っている。事実はともかくとして、 少なくとも彼にとっては母と兄の近親相姦の結果が自分なのだ、という出生の重さがある。 さらに、彼は重症の嗜眠症(ナルコレプシー)という病気を持っている。これは最近日本でも、そのために10分ほど意識を失い、 停車駅を通過してしまったという新幹線運転手の事件なども起き、多少知られるようになった病気だ。 マイクはいくつも負の要因を持った悲惨としかいいようのない青春を生きている。 マイクの親友スコットは、大きすぎる存在の父への反抗としてヒッピーの社会に入った。しかし彼には帰るべき場所がある。実際、 父の死後、彼は冷ややかなほど見事な転身を果たし、カルメラを伴って本来の上流社会へもどっていく。 しかし、マイクはドロップ・アウトの社会以外、行くべき場所を持たない。 彼が本当に帰りたいのは母のいる家だ。しかし彼は母を恋う心を大仰に表現することはない。ただ眠りに落ちた時に、夢の中に若く 優しい母の記憶が現れるだけだ。その淡々としたそのさり気なさが、かえって見るものを切ない気持ちにする。 道端で発作に襲われ意識を失ったマイクを、通りすがりの車が拾って走り去るところで映画は終る。多分マイクは病院に運ばれて 助かるだろう。しかし、いつまでそんな幸運が続くだろうか。何度も倒れるうちにいずれマイクは野垂れ死にするに違いない。 そんなやるせない余韻の残るラストシーンだが、なぜか映画全体には瑞々しい詩情が漂う。それがこの映画の魅力だと思う。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー アメリカ南部・ルイジアナ州の小さな町を舞台に、6人の女性たちの愛と友情を綴る。 見習い美容師アネル(ダリル・ハンナ)が勤め始めたトルーヴィ(ドリー・パートン)の美容室は、町の女性たちの溜まり場だ。 長女シェルビー(ジュリア・ロバーツ)の結婚式の準備で朝からてんてこ舞いのマリン(サリー・フィールド)が、シェルビーを 伴ってやってくる。町長の未亡人で温厚なクレリー(オリンピア・デュカキス)、金持ちの未亡人で偏屈なウイザー(シャーリー・ マクレー)ら常連客も集まっている。 結婚式が無事に終わって半年後のクリスマス。シェルビーは妊娠を発表するが、マリンは素直に喜べない。シェルビーは 糖尿病で、子供を産んでは生けない身体なのだ。 命がけで男の子を産んだものの、腎臓機能が悪化したシェルビーは、そのまま短い一生を終える。マリンは失意の底に落ち込むが ・・・。 偏屈者の未亡人ウィザーを演じたシャーリー・マクレーンが相変わらず達者だ。初めのうちは髪はぼさぼさで、顔はスッピン。マユは 太いし、服はダサくてガニマタ歩き。「女はもう捨てたぁ」と言わんばかりの演技だ。 ところが、昔振った男オーウェンが戻ってきて「今も君は素敵だ」なんて真顔でいう辺りから、ちょっと様子が変わってくる。 相変わらずの毒舌で、見もフタもないことをわめき散らすくせに、教会でオーウェンにちょっとウィンクして見せたりして、これが けっこうサマになっているのだ。 こうなればもう、マクレーン本来の我が侭な可愛さが全開、オリンピア・デュカキスとのやり取りなんて漫才そのもの、大いに笑って しまった。
この映画はいわゆる難病ものにありがちな涙や感動の押しつけをしないところがいい。6人の女たちのコンビネーションが明るく
温かなムードを醸し出し、夫役のトム・スケリットやサム・シェパードが脇に徹して女たちを引き立てる。町の住人が彼らしかいないみたいなのが少々気になるが、全体としてはとても魅力的な映画だ。 ジュリア・ロバーツはメグ・ライアンの代役だったそうだが、難病を抱えたまま出産、そして死を迎えるシェルビーに新鮮な息吹を 与えて、さすがと思った。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー ロマン・ロランの小説「ピエールとリュース」を日本的な風土に置き換え、第二次世界大戦下の若い男女の悲恋を描いている。ガラス 越しのキスシーンはあまりにも有名。反戦メッセージを織り込んだ叙情溢れる作品となっている。 昭和18年。空襲警報の鳴り響く地下鉄ホームで、大学生の田島(岡田英次)は貧しい画家の蛍子(久我美子)と知り合い、恋に 落ちる。 田島には軍国主義に疑問を抱かない法務官の父(滝沢修)と陸軍中尉の兄(河野秋武)がいた。一方の螢子は工場勤めの母(杉村春子) と2人暮らしだった。 やがて田島に召集令状が届き、出征の日を迎えるが、彼は所用に阻まれ最後の逢瀬に向うことが出来ない。駅で待っていた螢子は 爆撃で倒れる。田島はそれを知らず出征していくのだった。 日本映画のラブシーンといえば必ず出てくる本作のガラス越しのキスシーン。どんな映画だろうとずっと思っていた。 「邦画初」と言われることも多いので、当時の日本映画ではまだキスシーンは「けがらわしい」とか「不謹慎」とかいわれるから やむを得ずガラス越しにしているのかなぁ、と勝手に思い込んでいた。“非常に清純かつプラトニックなラブストーリー” という イメージだ。
ところがなんと2人は最初こそガラス越しだが、そのあとはするわするわ、かなり生々しいキスをしょっちゅうする。最後の一線も、映画では越えていないように描いているけど、それにしては田島は途中から蛍子を呼び捨てにする。 この時代、男が女を呼び捨てにするのは、もう「そういう関係」になっていることを示しているんじゃないのかなぁ。私の見方が いやらしいのかしらん。 個人的には、2人のキスはガラス越しの一度きりにして、最後まで生々しい関係を連想させない運びにしてくれたほうがよかった。 ガラスの冷たさが一瞬のうちに温かく溶けて、呼吸をし始める感じ。それほどガラス越しのキスは清冽な印象を残す。その初々しさを 保ってほしかったけど・・・。 湯気を上げながら走り出すバスにぶら下がるように乗った蛍子、白い花の咲く林の小道で、笑顔で母を振り返る蛍子・・・、久我 美子が清楚で美しい。 ロマン・ロランの小説が原作だそうだが、そのせいか出てくる家も洋館で、公園、駅の構内、とみなちょっとヨーロッパ的な感じだ。 そんな中に画集を抱えた久我美子が立つと、とてもしっくりとよく合う。 唯一不満をいうと、三郎役の岡田英次の存在。役柄ははたち前後の設定かと思うが、顔も体つきもどう見ても30過ぎ。それがひどく 青臭い幼稚な理屈を並べる。始終流れるナレーションの際の妙に芝居がかった作り声や台詞回しも気色悪い。 彼は本作で人気が出たそうだが、私にはミスキャストに思えてならなかった。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 近未来を舞台に、暴走族に妻子を殺された警察官が復讐のために戦いに挑む姿を、ハードなカー・アクションで描いた大ヒット作。 シリーズ化もされ、メル・ギブソンの出世作となった。 追跡専門のパトカーに乗る警官マックス(メル・ギブソン)が暴走族を追跡していた途中、彼らのうちの1人ナイトライダーが 事故死する。遺体を引き取りに来たトーカッター(ヒュー・キース=バーン)をリーダーとする暴走族は我が物顔で町を走り回り、女を レイプし、さらに、仲間の1人を逮捕したマックスの相棒グース(スティーヴ・ビズリー)を復讐のために焼き殺す。 仕事に嫌気がさしたマックスは、上司フィフ(ロジャー・ワード)に辞表を出し、妻子を連れて旅に出るが、そこでもトーカッター たちと遭遇する。暴走族はマックスたちを追いかけ、ついに妻ジェシー(ジョアン・サミュエル)と息子を轢き殺してしまう。 もの凄いスピードで走るカー・アクションに度肝を抜かれる。広いオーストラリアだからこそ出来ることだなぁ、日本じゃとうてい 無理、と痛感。それと、バイクって怖いって思ってしまった。もちろん、乗ってる人間たちが怖いんだけど。 アベックの車にあっという間に追いつき、天井から鉄の棒を突き刺すわ、棍棒でウィンドウを叩き割るわ、フロントをぶち壊すわ、 たちまち破壊し尽くしてしまう。見ていると、禿鷹に襲われて、骨
まで食い破られるような恐怖に襲われる。ガソリンを運ぶタンクローリー車を襲うシーンも凄い。ガソリン車の上に飛び乗り、蓋をこじ開け、ポンプでジャブジャブ汲み出す のだ。運転手はぜんぜん気づかずに走っている。手際のよさと凶暴さがミックスされて、ほんとにおっかない。 しかし、善玉のはずのマックスの復讐もすごい。麻薬中毒のジョニー(ティム・バーンズ)などは、足と車を手錠でつないで、 逃げたければ自分の足を斬れ、とナイフを渡して去ってしまうのだ。あげく、その車はボーンと爆発炎上。 相手があまりに非道だから、マックスが少々のことをしてもそんなにひどい気がしないけど、これは相当残酷だ。 暴力シーンが凄いんでつい「怖い」を連発してしまったけど、映画の印象は思ったほど殺伐としていない。マックスを取り囲む人間 関係が情があって温かいからだろう。 上司の隊長フィフはいかつい顔に似合わず人間味溢れたいい人だし、妻のジェシーはチャーミングなだけでなく、ナイトライダーの 仲間に囲まれても、股間に蹴りを入れて逃げ出す気丈さがある。マックスの伯母は年は取っても甥の妻子を守るためにライフルを ぶっ放すような強い人だ。 そういうマックスの生活周辺が意外にちゃんと描かれている。それがこの映画をただのバイオレンスとは一味違うものにしている んだろうと思った。少年の面影を残したメル・ギブソンがとても新鮮。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 世界中で大ベストセラーとなったロバート・ジェームズ・ウォラーの同名小説の映画化。たった4日間の恋に “永遠” を見出した中年男女のラブ・ストーリーで、小説に描かれた実際の場所でロケーションされた。 アイオワ州マディソン郡の片田舎。農家の中年の主婦フランチェスカ(メリル・ストリープ)は、夫(ジム・ヘイニー)と2人の子供ととも に平凡ながら穏やかな日々を過ごしていた。 ある日、夫と子供が遠方へ出かけ、1人きりで4日間を過ごすことになる。そんな彼女の家に旅行カメラマン、ロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)が立ち寄り、屋根のある橋 “ローズマン・ブリッジ” への道を尋ねる。 橋まで道案内をしたフランチェスカは、撮影に没頭するキンケイドに惹かれるものを感じ、夕食に誘う。これがわずか4日間の、そして永遠の恋の始まりだった。 公開当時、劇場で見た時も評判の割にも一つピンとこなかったのだが、その感想は今回の再見でもあまり変らなかった。たった4日間 でも、生涯の恋といえるものに出会わないとは言い切れな
いけれど、少なくともロバートとフランチェスカの間に、そういった深いものが生まれたという感じがあまりしなかったのだ。更に大きい理由は、フランチェスカの死後、息子(ヴィクター・スレザック)と娘(アニー・コーレイ)が、2人に宛てたフラン チェスカの手紙や日記で、母親の秘めた恋を知るという点だ。今更死んだ母親に過去の恋(というか不倫)を麗々(れい れい)しく告白されてもねぇ、というのが、一番に浮かんだ感想だった。 第一、死んだ父親だっていい面の皮だよね、こんなことを思いながら母親は素知らぬ顔で父親と夫婦として一生を過ごしたのか・・・ と、私が娘なら思いそう。 逆に、もし私がフランチェスカなら、秘めた恋は秘めたままで終えたい。若者の恋は開放されて輝きを増し、中年過ぎの恋は抑制されて こそ美しくなる、これが私の “恋の美学” だ。 たとえば息子や娘が母の遺品を整理しているうちに、見知らぬ男の手紙(写真でもいい)をみつける。「この人は何者だ」「母とどう いう関係があったんだろう」と調べるうちに、徐々に真相を知っていく、というのであったなら、映画に対する印象は、もっと違ったもの になったかもしれない。
とはいえ、「本当の自分を生きていない」という思いを抱えつつも、誠実な夫や健康な子どもたちに囲まれた暮らしに不足はなく、日々 に埋没せざるを得ないフランチェスカに共感を覚えるのもたしかだ。 アイオワの美しい田園風景、時おり何かの拍子に見せるイーストウッドの少年のような微笑、イタリア女のフランチェスカを起伏に 富んだ表情で演じたストリープ、とやっぱり引き込まれて見てしまう。とくに、フランチェスカが夫と同乗した車の中から、ワイパー越し にロバートを見送る雨の別れのシーンは記憶に残る名場面だと思う。 ロバートがなかなか車を発進させず、やっと想いを振り切るようにバックライトの左折信号を点滅させるところは、胸が締めつけられる ようだった。2人が直接言葉を交わさないからこそ、抑制された想いの切なさが強く伝わってくる。監督としてのイーストウッドの演出に 熟練の技を感じた。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 娘が連れて来た結婚相手が黒人であったことから巻き起こる白人家族の騒動を描き、アメリカ社会に根強く残る人種差別問題を 取り上げているが、ジャンルとしてはホームドラマの趣きがある。娘の母親を演じたキャサリン・ヘプバーンが、アカデミー主演 女優賞を受賞した。 リベラルな論調で知られる新聞社々主マット(スペンサー・トレイシー)の娘ジョーイ(キャサリン・ホートン)が、結婚の許可を 得るために婚約者ジョン(シドニー・ポワチエ)を連れてくる。彼は世界的に高名な医師で、アフリカ系男性だった。 驚きを隠せない両親。ジョンの両親も息子の嫁が白人だと分って愕然とする。それぞれの母親(キャサリン・ヘプバーン、ビア・ リチャーズ)は戸惑いながらも次第に理解を示すが、父親のほうはそうは行かず、父親同士、またジョンは自分の父と対立する。 人種に限らず国籍、職業、宗教など、差別はよくないとたいていの人は分かっている。にも関わらず、ほとんどの人は何らかの差別 意識を心の中に抱いている。それを、子どもの結婚、というもっともリアルな形でえぐり出したのが本作だ。多くの人はわが身に置き 換えても、穏健な自称 “リベラル派” のマットが、娘の結婚という現実に直面して、つい本音が出てしまう姿に共感すること だろう。
にもかかわらず、私は本作が表面をなでただけの綺麗ごとに感じられて、ほとんど心に響いてくるものがなかった。理由はいくつかあるが、まずマット。 新聞社主の彼はこれまで自分の新聞で人種差別反対を叫んできたというが、そういう彼の主義・主張が具体的に描かれていないために、 娘の結婚に反対することはそれまでの主義に矛盾するのだということが、クリアに見えないのだ。 むしろ、彼は初めから一貫して娘の結婚に反対しており、差別感を隠していない。 娘の結婚によって、自分のなかの差別観念に直面したマットの狼狽が描かれてこそ、知識人の人種差別反対がいかに観念的なものか、 その偽善と矛盾が露わになり、多くの人は身につまされて共感するのではないかと思うのだが。
結婚相手の黒人ジョンが世界的な名医で、しかも人格者という設定にも疑問を感じる。それほどの人でも黒人というだけで差別される、
ということを言いたかったのか、本作が製作された60年代では、白人の結婚相手としてはふつうの人という訳には行かなかった
のか・・・。例えば、もし彼が、父親がアイスクリーム屋で喧嘩する黒人のように、教養のない下層の肉体労働者だったら、話は一体どうなった ろう。そんな皮肉な思いも浮かんでくる。“60年代のアメリカ” はこの辺が精一杯だったのかな、という時代的な限界を感じて しまうのだ。 娘ジョーイが甘やかされたわがまま娘という印象しかないのも、映画の魅力を大きく減じている。明るくて気立ては悪くなさそう だが、世界的な名医が惚れ込むほどの女性に見えない。もっと思慮深いしっとりした女性だったら、映画にもっと奥行きが出たかも しれない。 しかし、変に深刻ぶらず、コメディ・タッチのホームドラマになっているのには好感を持った。 【◎○△×】6 |
|
ストーリー 35歳で他界した実在のコメディアン、アンディ・カウフマンの生涯を描いた人間ドラマ。 売れない芸人アンディ(ジム・キャリー)はライブハウスを転々としていたが、ある日チャンスが訪れる。有名なプロモーター、 ジョージ・シャピロ(ダニー・デヴィート)の目に留まったのだ。 コメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』を皮切りに、大ヒット番組『タクシー』で人気が爆発する。相棒ボブ・ズムダ(ポール・ ジアマッティ)と2人で生み出したキャラクター、トニー・クリフトンの暴走、客席の女性と本気で勝負する男女混合プロレス、と 過激な芸を続けるアンディ。しかし、彼の破滅的芸風は次第に大衆に受け入れられなくなっていく。 恋人リン(コートニー・ラヴ)と結婚したアンディは、間もなくガンに冒されていることを知る。長年の夢だったカーネギーホールの 舞台に立ち、ショーを成功させたアンディは、1984年、35歳の若さで世を去る。 アンディ・カフマンの芸風というのは、映画を見ている限り相当に破壊的だ。客をバカにし苛立たせ、自分に対する嫌悪や悪意を煽る ことで成り立っているように見えるからだ。 日本でも客に毒舌を浴びせるのを芸風にしている芸人は多いけれど、彼らの場合、客との距離を敏感に計算しつつ悪態をついている。 客は「悪態を許す自分」という優越感をくすぐられる。つまり、そういう形で客に媚びるという芸風だ。本作に描かれるカウフマンとは そこが違うかな、と思う。 これでよく人気が出たものだと思うけれど、結局は世間に受け入れられない。う〜〜ん、そうだろうな、と思う反面、それでも あくまで芸風を変えないカウフマンに凄みも感じる。私には彼の芸は全然分からなかったけれど、多分、ほんとは凄い才能の芸人なの かも知れない。 マネージャーのシャピロや相棒ズムダ、恋人リンなど、彼をめぐる人々は最後まで彼を見捨てず、暖かく支援し続ける。それは彼らが カウフマンの才能を本当に理解していたからだろうと思う。 カウフマンが生前 “別れ“ のビデオを作り、葬式で上映するシーンは、扮するジム・キャリーのキャラクターもあるのだろうけど、 人間的な温かみがあって、ふっと涙腺が緩んだ。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー ニューヨークを中心に映画を撮り続けるウディ・アレンが、都会人の抱える葛藤をほろ苦く描いている。 悩み多きテレビ・ライターのアイザック(ウディ・アレン)は42歳。テレビの仕事に嫌気がさし、小説家に転向しようと考えて いるが、執筆は一向はかどらない。 別れた妻(メリル・ストリープ)は女性の愛人と同棲中で、そのうえ彼との結婚生活を暴露した本を出版しようとしている。気が もめてならないアイザックは、今の恋人、17歳の高校生トレーシー(マリエル・ヘミングウェイ)が一途に気持ちをぶつけてくるのも 受け止められずにいる。 友人エール(マイケル・マーフィー)の愛人、メアリー(ダイアン・キートン)と付き合い始めたアイザックは、トレーシーに別れを 切り出すが・・・。 ウディ・アレンのナレーションに乗せて、モノクロでニューヨークの四季と名所が綴られ、マンハッタンの魅力が引き出された オープニングになっている。 モノクロで映し出されたニューヨークがしっとりとしてとても素敵だ。アイザックとメアリーが夜更けの町を散歩し、そのまま ブルックリン橋を眺めて夜明かしするシーンの川べりの美しさったらない。ウディ・アレンがいかにニューヨークを愛しているかが 如実に感じ取れるシーンだ。
映画はこの町で暮らす男女のすったもんだの恋愛模様を描いている。分別盛りのはずの中年たちがみんないささか情緒不安定なのに
対して、ゆいいつハイティーンの少女トレーシーだけがいつも変らぬ愛情を中年の愛人に抱いているのが面白い。アイザックはトレーシーに「愛してるの」といわれるたびに、「2人の関係は一時的なもの。君はいずれ似合いの年頃の恋人を作らな ければいけない」なんて二枚目ぶって説教を垂れる。そのくせ、二股かけたメアリーに逃げられると、途端にトレーシーに「別れないで くれ」と懇願したりする。 イギリスに演劇留学をすることにしたトレーシーは、そんなアイザックに捨てた恨みを一言もいわず、「もう留学の手続き済ませて しまったの」「あと1週間早ければ」と悔やむのだ。大人たちの身勝手さに引き比べて、なんて可愛くていじらしいんだろう。 トレーシーに扮するマリエル・ヘミングウェイは、大柄で、頬骨が高いせいか顔もちょいといかついんだけど、声がどことなく 愛らしい。心根が可愛い。大人たちがくっついたり離れたりしている時に、風采の上がらない中年男のアイザック一筋なのだ。 アイザックは彼女を逃がして、ちょっとは後悔したのかな、なんて思わずクスリとしてしまった。 こんな何ということのない物語もニューヨークが舞台になると、なんだかお洒落になる。映画の主役はニューヨークという町自体 なのかもしれない。 【◎○△×】7 |