| 【映画メモ】 ほ で始まる映画 |
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ストーリー マヌー(アラン・ドロン)は遊覧飛行のパイロット。親友ローラン(リノ・ヴァンチュラ)は車の廃材業をしながら、メカニズム改良 のスピードテストを繰り返している。そんな2人が鉄材芸術家のレティシア(ジョアンナ・シムカス)と知り合う。 それぞれ仕事に失敗した3人は、コンゴ沖に沈むという財宝探しに夢を賭けることにする。海中に潜って宝探しの日々が続くある日、 彼らは財宝を積んだ飛行機の墜落現場を知っている、という奇妙な男(セルジュ・レジアニ)と出会う。海底から大金と宝石を引き揚げ、 4人は嬉々として分け合うが、そんな彼らを岸壁から望遠鏡で眺める男たちの不穏な姿があった。 大好きな映画。複葉機、レースカー、ヨット、海底の財宝、海に浮かぶ要塞、・・・若者向けの道具立てだが、しっかり大人の情感を たたえた映画になっている。 遊覧飛行のパイロットのマヌーは30代前半、元レーサーでメカニズム改良に情熱を燃やすローランは、老眼鏡を使うところを見れば 40代(じっさいのリノ・ヴァンチュラは当時50歳近かったというからびっくりだ)、そして鉄の廃材を使う前衛アーティストの レティシアは20代前半。 年齢も仕事もまったく違うけれど、3人に共通しているのは “夢追い人” ということだろうか。男2人の友情が魅力的な女性の登場 でいさかも揺るがず、それでいて2人とも女性への思いを胸に秘め続ける。男女3人の関係が生々しくならず、清新な色合いを保ち 続けるのがいい。
それぞれ仕事に挫折した3人が、アフリカ・コンゴ沖に沈む財宝を探すというヨタに近い話に乗る後半は、広い海が舞台になるだけに 明るく爽やかだ。 “レティシアのテーマ” の抒情的なメロディと速いテンポの “冒険者たちのテーマ” が小刻みに切り換わり、幸福な気分がみなぎる。 ラブシーンがない。それらしいのは、マヌーが後ろからそっとレティシアの肩を抱く場面くらいのものか。「一緒に暮らしたい」と 囁くと、レティシアは戸惑ったように「ローランは?」という。これでマヌーは「ああ、俺は振られた」と悟るわけですね。 レティシアが、若い美男のマヌーではなく、中年でじゃが芋みたいなローランに惹かれるところがいいなぁと思う。中年男の冒険心に 稚気を覗かせるリノ・ヴァンチュラ、なかなかかっこいい。 初めて本作を見た時は、まさかレティシアがここで死んでしまうなんて思いもせず、突然のなりゆきにびっくりしたものだ。ローランと マヌーが愛おしむように潜水服を着せ、レティシアは両手を広げたまま、ほの暗い海底へゆっくり沈んでいく。何度見ても切なさで胸が いっぱいになる。 ローランとマヌーはこの後、レティシアの故郷を訪ねるのだが、ここからが2人にとってほんとうの冒険だったんでしょうね。 なぜって、彼女の夢を叶えるという目的が出来たのだから。レティシアは亡くなったことで、かえって2人の中で面影が濃くなっていく。 小さな港町ラ・ロシェルの沖合いにある廃墟と化した白い円形要塞がすごいインパクトだ。こういう建造物がほんとあるなんて、 とても信じられません。 ここでマヌーはギャングに銃撃されてしまう。振られた上に死ぬなんて、踏んだり蹴ったりのドロンだけど、肩の力の抜けた演技が 最高にチャーミング。瀕死のマヌーを抱き起こして、ローランが「レティシアはおまえと暮らすといったぞ」と言うと、マヌーは片頬に 笑みを浮かべて「嘘つきめ」と応える。渋い男の友情だ。 口笛で奏でられる “レティシアのテーマ” は私の好きな映画音楽の1つだ。決して若いとはいえない主人公たちなのに、“青春” の 二文字のもつ儚いキラメキがこの曲には溢れている。そして要塞を俯瞰した映像が遠く長く引いていく印象的なラストシーン。 ジョアンナ・シムカスの時代のミューズといっていい輝きが鮮烈だった。 【◎○△×】8 |
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ストーリー 実際に服役の経験を持つドン・ピアースの小説をもとに、ポール・ニューマンが権力に徹底的に反抗する服役囚を演じたプリズン・ アクション。 深夜、泥酔してパーキングメーターを叩き壊して現行犯逮捕され、収監されたルーク(ポール・ニューマン)。喧嘩や 勝負ごとに強く、人の厭がる仕事もクールに笑ってこなすという不思議な魅力から、猛者ぞろいの囚人たちの人望を得ていく。ルークの 不屈のパワーを象徴する卵の大食い競争は、“プリズン・ムービー” 屈指の名場面。 ルークは脱走に成功して囚人たちの密かな喝采を浴びては、捕まって収監されることを繰り返すが、2度目の脱走に失敗し半殺しの 目に会って以来、人が変わったように従順になる。囚人たちは失望するが、これもルークの作戦、油断した看守の隙を狙いルークは 3度目の脱走を図る。 アカデミー助演男優賞に輝いたジョージ・ケネディのほか、ハリー・ディーン・スタントン、デニス・ホッパーなど囚人に扮した 脇役陣も豪華な顔ぶれで楽しめる。 “暴力”というタイトル、よくないなぁ。違う映画の印象を与えてしまいそう。(実際、私も見るまではまるで違う映画を予想して いた。) ところで、ポール・ニューマンって中年、初老になってもシャープで素敵だなぁといつも思うが、とりわけ若い頃の彼の魅力は 群を抜いている。単にハンサムというだけでなく、輝きというか存在感というか、何かが違う。本当のスターとはこういう人のことを いうんだろうなぁ、と思う。囚人たちのボス “ドラッグ” がすっかりルークに心酔するのも無理はない。 不敵でクール、不可能なことを楽々とやってしまう不死身のルーク。そんな彼だから、3度目の脱走に失敗してとうとう死んで しまうと、“クール・ハンドのルーク” は囚人たちのなかで伝説と化していく。 成り行きで脱獄に同行した“ドラッグ”が、撃たれたルークが口元に笑みを浮かべていたと語るのを、囚人たちはウンウンと頷きながら 聞き入る。猛者ぞろいの囚人たちなのに、その様子はなんだかとっても微笑ましい。 “ドラッグ” に扮するジョージ・ケネディがこれまたすごくいい。汗臭くて荒々しい男なのに、ルークに寄せる純な心根には 泣けた。 【◎○△×】8 |
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ストーリー 林芙美子の自伝小説の映画化。 ふみ子(高峰 秀子)は母(田中 絹代)と行商をしながら、駄菓子屋の二階で貧しい暮しをしていた。 文学を志すふみ子は、隣室の印刷工・安岡(加東 大介)が寄せる好意もしりぞけ、カフェの女給として働きながら詩や小説を書き 続ける。 やがて、客で詩人兼劇作家の伊達(仲谷 昇)と同棲を始めるが、彼が新劇女優で詩人の日夏京子(草笛 光子)と関係している ことを知り、伊達と別れる。牛めし屋の女中、カフェの女給と、職を転々としながら、ふみ子が発表する作品は高く評価されるように なる。 そんな中、詩人・福地(宝田 明)と結婚するが、相変わらずの貧乏暮らしだった。 高峰秀子の扮する「林ふみ子」は、写真で見る林扶美子に比べると当然ながら随分とべっぴんだが、どことなくグダッとしただらし ない着物の着方や身のこなしなど、全体の雰囲気がとてもよく似ているのに驚いた。そうとう研究したんだろうなと思う。 ただ、林扶美子は美男好きで、かなり惚れっぽい女(ひと)だったと聞いているが、その辺りは高峰秀子の きりっとした個性が邪魔をして今1つの感。 ふみ子が貧窮に喘ぎながら文学修業に励む姿が十分に描かれていなかったのがちょっと物足りなかったが、彼女が少々のことでは へこたれず、したたかにのし上がっていく様子はなかなか迫力がある。 彼女をめぐる男たちが、加東大介扮する安岡の朴訥な誠実さや、仲谷昇演ずる伊達の口先ばかりで実のない男の性分、宝田明扮する 福地の女房の才能に嫉妬してうじうじひねくれる亭主など、それぞれが個性的に描き分けられていて、面白かった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 連続猟奇殺人事件の解明に挑む、寝たきりの科学捜査官の活躍を描くサスペンス・ドラマ。 リンカーン・ライム(デンゼル・ワシントン)は有能な犯罪捜査官だったが、事故で全身麻痺となり、寝たきりとなっていた。 ある時、市民をタクシーに乗せて連れ去り、残虐に殺害する連続殺人事件が起こる。犯罪現場に残っていたのは奇妙な骨と紙片。 これを分析するため、ライムの部屋が科学捜査班の対策本部となる。 ライムは有望な若手女性警官アメリア・ドナヒー(アンジェリーナ・ジョリー)を助手に任命して、無線で彼女に指示を送りながら、 事件に挑んでいく。 科学捜査官のライムは4年も寝たきりで、時々発作を起こして生死の境をさまよったりするのだが、扮するデンゼル・ワシントンが どうにもそんな重病人に見えない。体格がよく、すこぶる健康そうなのだ。 昔『鬼警部アイアンサイド』というアメリカの連続テレビ・ドラマがあった。アイアンサイドは体が不自由で、車椅子に座ったままで 捜査にあたる。“動けない警部” という設定が面白く、おまけに、そのアイアンサイドをいかにも頑丈そうな体躯のレイモンド・バーが 扮する、という2重の意外性で人
気があった。本作のライムも、事故で寝たきりになっているが、単に動けないだけであとは元気、という方が見ていてスンナリくる。無線でがんがん アメリアに指示を飛ばし、犯人とも精力的に渡り合う、という単純な設定でもよかったんじゃないかなぁ。 そのせいか、ライムが死亡願望から立ち直り、生命力を回復するというサブ・ストーリーが、本筋の中でうまく機能していなかった気がする。 アメリアが捜査を通して警察官として成長してゆくという流れはよかったと思う。初めは無惨な死体を直視できず、現場を離れて しまったアメリアが、次第に逞しい捜査員に変貌していく。ライムとアメリアの間にただよう微妙な感情もいいアクセントになって いた。 欲をいえば、犯人の仕掛ける謎をライムが解いていくプロセスをもっとじっくり見せてほしかった。被害者の生存救出をかけて、犯人と 捜査側がタイムリミットぎりぎりの知恵比べだ。切羽詰まった緊迫感でもっと盛り上ったんじゃなかろうか。 ところで、犯人はストーリーのどこかに出ていたかなぁ。図書館にいた男がいかにも怪しい雰囲気。これかと思ったけど、空振り だった。最後になって急に出てこられてもほんとのとこ戸惑うのよね。それと、動機とあまりに凄惨な犯行との関連も、ちょっと無理が あると思った。 個人的にはマイケル・ルーカーが単純にいけ好かないヤツにさせられてるのが残念。ルイス・ガスマン、脂ぎってない役もなかなかいい。 【◎○△×】6 |
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ストーリー ウディ・アレンが一躍注目を集めるきっかけとなったヒューマン・コメディ。 ウディ・アレン扮する主人公アラン(ウディ・アレン)は冴えない映画評論家だ。ハンフリー・ボガードの映画ならセリフもすべて 覚えているほどの熱烈なボギー・ファンだが、妻のナンシーには逃げられ、親友のディック(トニー・ロバーツ)とリンダ夫婦が紹介 してくれた女性にも敬遠されてしまう。 アランはいつしか親身に心配してくれるリンダ(ダイアン・キートン)に仄かな想いを寄せるようになる。ボギーの幻影が現われて 恋の手ほどきをするのだが、アランはなかなか行動に移せない。 しかし、ある時ひょんなことからリンダと関係を持ったアランは、愛と友情の板ばさみ。意を決したアランは霧の空港でリンダに 別れを告げるのだった。 ボギーのそっくりさんにまず驚かされた。顔がアップになるとさすがに違うが、遠目には姿・形・声、そして雰囲気はまったくボギー そのもの。 そのボギーの幻影が、アランがせっかくいいとこに行きそうになると突然現われて、「それゆけ、やれゆけ」と急かす。 アランはそれが気になってかえってタイミングを逸してしまう。そのマの外れ方、アランのトンチンカンぶりがなんともいえず 可笑しい。 そしてラストの “霧にむせぶ” 空港のシーン。アランは『カサブランカ』のリックの決めゼリフで、かっこよくリンダに別れを 告げるのだが、例の「君の瞳に乾杯!」を一体どんな顔して言うんだろ、と興味津々、期待(?)して待ったが、さすがに言わな かった。 やっぱりあれはボギー以外は言っちゃいけないセリフなのよね。というか、ウディ・アレンは己を知っているというべきか。 そんなアレンが夜霧の空港でボギーの幻影に慰めてもらう姿が愛らしくも切ないのだった。 【◎○△×】6 |
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ストーリー 『 ファイト・クラブ』 『アメリカン・ヒストリーX』のエドワート・ノートンが初めて監督に挑戦したロマンチック・コメディ。 ニューヨークに住むユダヤ教のラビ、ジェイックとカトリックの神父ブライアンは、幼なじみの親友だ。ある日突然、子ども時代の 遊び友達アナ・ライリー、通称“アナ・バナナ”から電話がかかる。仕事で数ヵ月間ニューヨークに滞在するというのだ。 アナは2人の初恋の相手。父親の仕事の都合で引っ越してしまって以来16年ぶりの再会だ。胸躍らせるジェイクとブライアンの前に 現われたアナは素敵なキャリアウーマンになっていた。 2人はあらためて彼女に恋心を抱くが、ラビと神父であることが思わぬ障害になってしまう。 デビュー作『真実の行方』以来、癖のある役柄を演ずることの多いエドワード・ノートンの初監督作品にしては、意外に可愛らしい ロマンティック・コメディだった。 古くは『突然炎のごとく』や『冒険者たち』など、映画に現われる女1人に男2人の関係は、よく “聖なる三角形” などと 呼ばれるが、この映画はまさしく男2人が“聖”職者なのがユニークだ。 といっても別に堅苦しい映画でない。幼なじみの女の子に大人になって恋してしまう親友同士の物語。ハンサム度では上の エドワード・ノートンが振られ男を演じて脇に回る。 一方のベン・スティラーは目がセクシーで「これならもてそう」と納得のいく存在感。彼の扮するジェイクはラビの長に任命され、 ブライアンとの友情も無事復活、恋も仕事も友情も全部ゲットの一人勝ちだ。 アナに扮するジェンナ・エルフマン、初めてみる女優だけどヤンチャな少女の面影を残し、勝気な感じがチャーミングだ。宗教の ことを別にすれば、“愛と友情” というテーマはとくに目新しくはないけれど、なかなか楽しい青春映画だった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 良家の長男として生まれた永井(津川 雅彦)は、早くから文学の道を志し、大学教授ながら足繁く玉の井に足を運んで遊蕩生活を 送っていた。ある雨の夜、荷風は偶然に娼婦お雪(墨田 ユキ)に出会い、その優しい心根に惹かれて、たびたび彼女の元を訪れるように なる。 やがて、お雪に理想の女を見るようになった永井は、57歳にして初めての結婚を決意する。それをお雪に伝えに行こうとした夜、 東京はアメリカ軍による大空襲に見舞われ、2人は離れ離れとなってしまう。 永井荷風の同名小説を、主人公を荷風本人に置き換えるという大胆な脚色により映画化、一代の遊蕩児であった彼の半生を、玉ノ井の 娼婦・お雪とのロマンスを中心に描いている。 お雪にはオーディションで選ばれた新人・墨田ユキが扮し、大胆なヌードを披露している。 戦前の岡場所、玉の井の迷路のように入り組んだ路地。「ぬけられます」なんて右から左に書いた看板を見ただけで、ふらふらっと 入って、どこへ抜けられるのか確かめたい気分になる。濃厚に漂う色町の情緒。こんな界隈が、可憐で人情味のある娼婦お雪にはとても よく似合う。 ドアを開けると、とっつきの部屋で、お雪はちゃぶ台を前にご飯を食べたり、蚊帳を吊ったりしている。客が来ると、下宿屋みたいに とんとんと2階へ階段を上る。ふつうの市井の暮らしの匂い。
それでいて、初めての客の永井に「こんな商売、一々本気になってたら
身が持たない」なんていう。「私にもそうなのかい」「それはお客次第よ」。さらっといってのける。嫌味がない。お雪は、雇い主のまさの言葉を借りれば、「こういう商売を苦にしていない」という。苦界に身を沈めた女=運命の犠牲者、という 図式で考えたがる私は意表を衝かれるけれど、彼女には不思議と泥沼に咲く蓮の花のように、ふわっと軽やかな明るさがある。 音羽信子が演じる雇い主のまさは、お雪が永井と結婚の約束をしたと話すと、まだ1年残っている年期の証文を黙って焼いてしまう。 2人の間には商売ずくでない情がある。不幸な女二人が身を寄せて生きているようなしみじみした風情だ。 永井が惹かれたのは、こうしたもろもろが溶け合い、凝縮した末の、お雪との官能だったのだろう。お雪が父親ほど歳の違う永井に 感じたのも、客と娼婦のあわいに滲み出る安らぎのゆえだったのかもしれない。墨田ユキの棒読みみたいな台詞回しがかえって素朴な 人柄を感じさせて、瑞々しい。 お雪と別れ、戦災で家を失った永井は、急速に老いて、だれ一人看取るものもなく死ぬ。哀れといえば哀れな末期だが、彼にすれば思うままに生きた人生で、これも本望だったかもしれない。 津川雅彦が、お雪に惹かれながらも、結婚という責任ある関係には なかなか踏み切れない優柔不断な遊蕩者の雰囲気を、うまく出している。とくに、洋食屋で一人カツ丼を食べる時の口の動きは、ぎくりとするほど老残が出て、巧いなぁ、と感嘆した。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 1942年秋。ポーランドの街クラクフにもナチスの軍隊が侵攻し、ユダヤ人の強制連行が始まっていた。 ユダヤ人少年ロメック(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は、両親の手で農夫グニチオ(オラフ・ルバスゼンコ)に預けられる。 彼の素性を知っているのは、グニチオのほかには妻と村の神父(ウィレム・デフォー)だけだ。 そこにはヴラデック(リチャード・バネル)とトロ(リアム・へス)の兄弟がいた。ロメックに年齢の近いヴラデックは敵意を示すが、 トロは温かく接し、2人の間には友情が育まれる。 この小さな田舎の村もナチスの支配下にあり、ロメックはユダヤ人であることを偽り、カトリックを装って生活しなければなら なかった。そんなある日、隣家の農夫と収穫物を売りに出かけたグニチオが、死体となって戻ってくる。 山村に預けられた少年が、戦下とはいえ美しい自然のなかで伸びやかに成長していく、というようなストーリーを予想してしたら、 そんな甘い話ではなかった。 どういういきさつで農夫グニチオが主人公ロメックを匿(かくま)うことにしたのかいく分からないが、妻も 長男ヴラデックもけっして彼に好意的ではない。隣家の農夫とその息子は薄々ロメックの素性に気づいているらしい。いつ密告されるか 分からない不安が、一見のどかな田園風景の背後に常に漂う。 それだけではない。隣家の息子は仲間の少年と一緒に、深夜、近くを通る収容所行きの列車から逃亡してくるユダヤ人を襲い、 身ぐるみを剥いでいた。 ロメック自身、村に駐留するナチス軍に捕らえられた時、ユダヤ人であることを隠し通すために、してもいないユダヤ人襲撃の 真似ごとを演じて見せなければならないのだ。「生き延びる」、ということの容赦のなさを思い知らされる。 映画の中で、幼いトロの存在が不思議な輝きを放つ。 彼は死んだ父親グニチオを甦えらせるためには、自分が聖者にならなければいけない、と信じる。そしてそのために、キリストの ようにわが身を苦痛に捧げ、十字架に掛けられることを願う。 遂には、ユダヤ人と間違えられて強制収容所行きの列車に乗せられた時、必死に救おうとするロメックや兄ヴラドックを振り切って、 そのまま閉まる扉の向こうに消えるのだ。 トロの行動は一見奇異に見える。なぜ彼は、死が待ち受けることを薄々知っていながら、列車から降りようとしなかったのだろう。 理不尽な父の死はトロの純真な心を正面から直撃し、打ちのめした。戦争のむごい現実を受け入れるには、トロの心の器は小さく、 あまりに幼な過ぎたのかもしれない。彼は錯乱し、死の道を選んでしまった・・・。 そうかもしれない。でもなぜか私は彼はすべてを悟っていたように思えてならない。列車の奥に消えた彼の顔に聖者の面影が見えて しまったのだ。 彼は殉教の道を選んだのだと思う。戦争という罪悪による人間の苦痛を一身に引き受けようとした幼いトロが、この 映画の本当の主人公ではないかと思った。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 小さなレストランに集う人々の様々なエピソードがグランド・ホテル形式で綴られていく。モントリオール映画祭グランプリ 受賞作品。 ローマの街角にあるリストランテ “アルトゥーロの店” は、病気療養中の夫に代わって、笑顔を絶やさない女主人フローラ (ファニー・アルダン)が切り盛りしている。 ある冬の夕暮れ、店内はすでに常連客で埋まっている。一番乗りは詩人のペズッロ教授(ヴィットリオ・ガスマン)。壁際の お決まりの席につき、店全体の様子に目を配る。 進路のことで意見が合わない母(ステファニア・サンドレッリ)と娘、不倫中の教授(ジャンカルロ・ジャンニーニ)と女子学生 (マリー・ジラン)、中庭のテーブルではフローラの姪の誕生祝いが盛り上がり、レストランの夜は更けていく。 しかし今夜のフローラはどこか落ち着かない様子だ。 私にとってこの映画の一番の難点は、レストランなのに料理がちっとも美味しそうに見えないことだ。テーブルには料理があまり 運ばれてこないし、やっと来たと思っても客は喋ってばかりで、あまり手をつけない。気のせいか冷めてまずそうに見える。 給仕長は不平ばかり言ってるし、厨房もシェフは大声で文句を喚いてばかり。こんな気分で作られたんじゃ旨い料理が出来るはずが ないなぁと思ってしまう。 だいたいレストランの内装自体が寒々しい。客たちの演ずるドラマにはそれぞれの人生模様があって、それをあっさりと仕上げている 匙加減は悪くない。女主人のファニー・アルダンも好きな女優だ。でも・・・。 レストランが舞台の映画は、やっぱり料理がほかほかと湯気を立てて、見るだけで幸せな気分に浸らせてほしいのだ。 【◎○△×】6 |
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ストーリー 屈指の実力を持つボディガードのフランク(ケヴィン・コスナー)は、歌手で女優としても活躍するトップスター、レイチェル (ホイットニー・ヒューストン)の護衛を依頼される。レイチェルはスタッフが強引に雇ったフランクをうるさがり、彼の忠告を聞かず にライブハウスのステージに上がるが、男に襲われ、フランクに助けられてから彼に心を開くようになる。 フロリダのコンサートではレイチェルのもとに脅迫電話がかかる。フランクはレイチェル親子と彼女の姉で付き人のニッキー (ミシェル・ラマー・リチャーズ)を、父が住む雪深いオレゴンに一時避難させることにする。 公開当時はコスナー人気で見に行って、それなり雰囲気を味わった気がしたけど、こういう映画って、ほんと、風化が早い。久しぶりに 見ると、当時どうしてあんなに大ヒットしたんだろうと首をひねってしまう。 一番の難点は、見えない敵に狙われるという緊迫感やスリルがないところかな。ヒロインが具体的に身の危険を覚える場面は、(ない ことはないけど)皆無にひとしい。フランクが邸の警備を厳重にしたり、レイチェルの身辺警護に神経質になるのが空回りに見えるもの。 犯人がピンセットで文字を貼り付けて脅迫状を作っているシーンが何回か出てくるのがせいぜいです。
といって、ラブストーリーとして見ようとすると、ホイットニー・ヒューストンって現実スーパー・スターには違いないけど、彼女が 演じるレイチェルがどうにも魅力薄。気が強くて我が侭で、スーパー・スターって実際あんなものなんでしょうねぇ。でも、フランクが どうして彼女に惹かれるのかが私にはまるきり分からなかった。 人気者であるゆえの心細さとか寂しさとか、弱さが時々ほろっとこぼれ出れば、もうちょっと感情移入できたかもしれない。 付き人ニッキーが庭の片隅の東屋(あずまや)でダンスに励むシーンがある。薄く汗をかいているところが セクシーだ。彼女はレイチェルの姉なのだが、東屋の壁にはかつて妹とバンドを組んでいた頃の写真が何枚も飾ってあって、フランクに 「わびしいけど、ここは私の栄光のギャラリーなの」という。妹に献身的に尽くしながらも、充たされぬ鬱屈を抱えるムードが出ていて、 引かれた。 レイチェルに姉の胸中を思いやるやさしさが、フランクに彼女の孤独を察する敏感さがあったら、もう少しストーリーがふくらんだかも しれないな、と思ったりもする。 ケヴィン・コスナーって、『アンタッチャブル』の頃から気になっていたけど、なんだか口元にしまりがない。目は涼しくていいのに ねぇ・・・。惜しいです。ホイットニーはマイクの前に立つと俄然オーラがきらめき出る。この辺りはさすがに一流歌手の貫禄だ。彼女の 歌に+1点。 【◎○△×】6 |
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ストーリー ポネットを演じたヴィクトワール・ティヴィソルは、ヴェネチア映画祭で最年少の主演女優賞を受賞した。 秋のプロヴァンス。4歳のポネット(ヴィクトワール・ティヴィソル)は、ママ(マリー・トランティニャン)が交通事故を起こし、 重体に陥る。ポネットも軽傷を負う。退院の日、パパ(グザビエ・ボーヴォワ)はママが亡くなったことを告げる。 仕事のあるパパはポネットを伯母(クレール・ヌブー)の家に預けて、町に帰っていく。いとこのデルフィーヌ(デルフィーヌ・ シルツ)とマチアス(マチアス・ビューロー・カトン)が、なにくれとなく面倒を見てくれるが、ポネットはママが恋しくてならない。 ポネットはいとこたちと寄宿保育園に入るが、そこでも自分の殻に閉じこもる。ユダヤ人の少女アダ(レオポルディーヌ・セール) から「神様のテストに合格すれば願いが叶う」と聞いて、一生懸命テストに取り組むのだが・・・。 寄宿保育園の子供たちの様子が面白い。しかつめらしい顔をして「独身」談義をしたり、魔法のキャンディで男の子にキスをけし かけたり、とても生き生きしている。いとこのデルフィーヌ、マチアス姉弟のやんちゃないたずらやポネットに寄せる優しさも、 微笑ましい。 それに比べると、ポネットはリュックをしょって歩いている後ろ姿と、眉間にしわを寄せて泣いている顔しか思い出せず、意外に 印象が薄い。そのどちらもたしかになんもいえず愛らしいけれど、製作者はその愛らしさに頼りすぎたのではないかという気もする。 ヴィクトワール・ティヴィソルの演技は驚くべきものだ。母親の死をしっかりと認識し、それに打ちのめされている様子が演技とは 思えぬほどに自然なのだ。ポネットは、寝ても覚めても朝から晩まで、四六時中、ママのことばかり思っている。
しかし、これがかえって違和感を生じさせる。ふつうの4歳くらいの子供ってこんな風なんだろうか。ママのことを忘れて遊びほうける
こともあるんじゃないのかなぁ。それから急に「ママがいない」ことに気づいて探し回って、どんなに探してもどこにもいない、どんなに待っても帰ってこない。 そこで初めて「ママは死んだ」ことに思いがいたり、不安になったり悲しくなったりするじゃないかと思うのだが・・・。 映画としてはきちんと出来ていると思う。でもそのわりに胸に響くものが薄いのは、「母を失った幼い子供の悲しみ」を大人が 自分たちの頭で想像し、それを子供に演じさせているからではないんだろうか。 むしろ、最後に死んだ母親が現われて、ポネットがふっとそれで悲しみを乗り越えてしまうところが、かえって子どもの心象風景を リアルに感じさせて、印象に残った。 【◎○△×】7 |
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ストーリー ポルターガイスト現象に襲われた家族が娘を取りもどすために闘う姿を描いたSFホラー。 不動産会社のベテランセールスマン、スティーヴ(クレイグ・T・ネルンン)と妻ダイアン(ジョベス・ウィリアムス)の間には、 16歳の長女デイナ、7歳の長男ロビー、5歳の末娘キャロル=アン(ヘザー・オルーク)の3人の子どもがいる。 ある夜、キャロルが放送の終ったテレビの画面と話をするようになる。それ以後、テレビの画面から魔女の手のようなものが キャロルに向って伸びてきたり、台所の椅子が食卓の上に勝手に積み重なったりと、怪現象が次々と起きる。 そして、ついにキャロルが怪しい光を帯びた戸棚にすい込まれ、テレビの中から助けを求める彼女の声が聞こえ始めた。 たしかどっかでお母さんは32歳っていってた。で長女は16歳。えぇ!ってことはお母さんは16歳の時に長女を産んだの?! 本筋には関係ないけどちょっとびっくり。色っぽくて、母性たっぷ
りで、ほんとにチャーミングなお母さんだ。お父さんも家族のために実入りのいい仕事をきっぱり捨てて、なかなか頼もしい。 超能力者の小さなおばちゃん(ゼルダ・ルビンスタイン)は、不思議な優しさを湛えた顔をしていて、いかにもただものでないという 感じだ。 怪奇現象の原因は墓場を奪われた幽霊たちのシワザだった、という分かりやすさが気に入った。骸骨たちはプールからワラワラと出て きてお母さんを脅かすけれど、それ以上の悪さはしないし、連れ去ったキャロル=アンにもどうやらそんなに酷いことはしなかった みたいだ。超能力者が「除霊完了」といった後で一波乱起こして、終わりもちゃんと盛り上げてくれたし、なかなかいい幽霊たちだ。 なんだか1人で悦に入ってしまった。 子供部屋のクローゼットと階下の天井がどういう具合でつながってるのかよく分からなかったけど、金色の光はとても綺麗。大仰な CGを見慣れた目には素朴と言ってもいいほどのシンプルさだが、かえってそれが心地よかった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー パラマウントのビスタビジョン第一回作品となったミュージカル映画。主題歌 「ホワイト・クリスマス」 は長く歌い継がれるスタン ダード・ナンバーとなった。 第2次世界大戦中、フィル(ダニー・ケイ)は人気歌手のボブ (ビング・クロスビー)と同じ部隊となり、戦後はコンビを組んでラジオ に舞台に大活躍。あるホテルのショーに出ていた姉妹歌手ベティ(ローズマリー・クルーニー)とジュディ(ヴェラ=エレン)を加えて チーム強化を図る。 スキーをしようと訪れた冬のリゾート・ホテルの主人は、偶然ボブとフィルのかつての隊長ウェイバリー将軍 (ディーン・ジャガー)だった。ホテルが窮状に陥っているのを知った彼らは、ホテル建て直しのためのショーを開催する計画を立てる。 しかし、売名行為のためのショーと誤解したベティは、2人のもとから去ってしまう。 最後は誤解の解けたベティは応援に駆けつけ、ショーを知った元部隊員たちも参集し、ショー当日のクリスマスは一同軍服を着て将軍 と対面、折りよく雪も降り出して・・・、とすべてが丸く収まって何と言うことのない話だけど、けっこう最後まで楽しかった。 とくにダニー・ケイは高校生の頃見た 『五つの銅貨』 以来40数年ぶり。彼が扮するフィルがジュディに言い寄られて、ソファの上を ズルズル端っこまで移動するところなんか、可笑しいのと、ダニー・ケイらしくて懐かしいのとで、もうとっても嬉しかった。 ビング・クロスビーの 「ホワイト・クリスマス」 をじっくり聞けたのもよかった。彼って深い声をしているから大きい人かと思って たら、案外柄が小さい。意外な発見だった。 【◎○△×】6 |
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ストーリー イギリス音楽史上最高のチェリストと謳われたジャクリーヌ・デュ・プレの生涯を、姉ヒラリーと弟ピエールが書いた伝記をもとに 映画化。 ヒラリー(レイチェル・グリフィス)とジャクリーヌ(エミリー・ワトソン)の姉妹は幼い頃から母によって音楽の才能を育てられ、 音楽コンクールに出場しては賞賛を浴びる。姉ヒラリーは早くに才能を認められるがやがて行き詰まり、代わって妹ジャクリーヌが天才 ぶりを発揮するようになる。 やがてヒラリーは自分の才能に見切りをつけ、音楽大学の同級生キーファ(デヴィッド・モリッセイ)と結婚し、平凡な主婦の道を 選ぶ。 一方、ジャクリーヌのチェリストとしての名声は高まり、演奏で世界を旅する生活が続く。しかし、家族を離れたジャクリーヌの孤独 は深まるばかりだった。 22歳でピアニストで指揮者でもあるダニエル・ボレンバイム(ジェームズ・フレイン)と情熱的な結婚をするが、28歳の時難病を 発病。夫ダニエルはパリで別の家庭を持ち、ジャクリーヌは長い闘病生活の後、1987年にロンドンで42歳の生涯を閉じる。 常人にない才能をもつのも考えものだなぁ、というのが、ミもフタもない言い方だけど、率直な感想だった。 天才は往々にしてエキセントリックな行動を取ると言われたりするけれど、いくら寂しいからといって、姉に義兄を貸してほしいと いうのには驚いた。もっと驚くのは、姉ヒラリーも彼女の夫キーファも一度は断りながらも、ジャクリーヌの錯乱に負けて、結局は 彼女の要求を受け入れてしまうことだ。凡人の私にはこの辺りなかなか理解しがたい。 翌朝ジャクリーヌはすっきりした顔で、ヒラリーに「とっても幸せ」などという。寝室の夫と妹の気配に眠れぬ夜を過ごした ヒラリーに対して、なんという無神経さだろう。 ヒラリーは早くに才能を開花させるが、さっさと見切りをつけて平凡な結婚を選ぶ。一方、ジャクリーヌは初めは姉の添え物だったが、 やがて本物の才能を開花させる。 こうして、音楽をめぐって始まった姉妹の葛藤は、少女時代で終らず、ジャクリーヌの生涯を通じて続いたような気がする。 ジャクリーヌにとってヒラリーは、たえず先へ先へとジャクリーヌの欲したもの(初めは音楽の才能に対する賞賛、次は平凡な幸せ) を手に入れてしまう存在だ。 “平凡な” ヒラリーに、“非凡な” ジャクリーヌが、いつも負ける。 そこにジャクリーヌの嫉妬や羨望、苛立ちがあったのではないだろうか。ヒラリーがそれを明確に察知していたのかどうかは 分からないが・・・。 そんな2人の構図には興味が引かれたが、残念ながら2回見て、2回とも、才能ゆえに孤独と難病に苦しむジャクリーヌに心から共感 することが出来なかった。時を経て見直したら、今度は違う印象を持つのだろうか・・・。 【◎○△×】7 |