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【映画メモ】  で始まる映画



バートン・フィンク

1991年  アメリカ  116分
監督 ジョエル・コーエン
出演
ジョン・タトゥーロ、ジョン・グッドマン、ジュディ・デイヴィス
ジョン・マホーニー、スティーヴ・ブシェーミ

  ストーリー
 1941年、ニューヨーク。若手劇作家のバートン・フィンク(ジョン・タトゥーロ)は、芝居の成功により一躍有名人となり、ハリ ウッドに招かれる。映画のシナリオ執筆を依頼され、さっそく安ホテルにチェックインするが、隣室の不気味な笑い声が気になり、声の 主チャーリー(ジョン・グッドマン)に苦情をいう。
 仕事が進まない苛立ちから神経をすり減らす毎日が続き、やがて思いがけない殺人事件に巻き込まれていく。カンヌ国際映画祭グラン プリ、監督賞、主演男優賞を受賞した。

  一口感想
 バートン・フィンクがハリウッドに来てから出会うのは変な人ばかりだ。エキセントリックな映画会社の社長と、秘書だか鞄持ちだかの 男。奇妙な笑い声を上げる隣室の太った保険セールスマン、長いスランプで酒に溺れている大物脚本家(ジョン・マホーニー)(脚本はどうやら愛人(ジュデ ィ・デイヴィス)が代作しているらしい)。
 ホテルのフロントマンは別にどうということのない男だが、演じている のがスティーヴ・ブシェーミとなると、やっぱり怪しい感じになってくる。
 1人くらいなら「世の中、こんな人もいるよ」ですむけれど、これだけおかしな人に囲まれてしまうと、自分がまともかだんだん分ら なくなる。その辺の感じは(経験ないけど)分らなくはない。

 たしかにハリウッドに来てからのバートンは変だ。ホテルは薄暗くて汚くて、壁紙は嫌な音を立てて始終はがれるし、蚊は飛ぶし、とうてい仕事に 集中できる環境じゃない。どうしてほかのホテルに移らないんだろうと思うのだ。
 そもそも、なんでB級プロレス映画の脚本なんか引き受けたのか。ブロードウェイで成功したといっても、彼が目指すのは社会派演劇だ。映画会社は有望な若手作家の名前がほしいだけ。無理な仕事を引き受けて、じわじわ神経がおかしくなるくらいなら、思い切って断わればいいのだ。
 周囲が変なのか、バートンが変なのか、それとも両方なのか、だんだん絵の具が溶けて境い目が定かでない油絵を見ている気分になる。

 コーエン作品常連のジョン・グッドマンが相変わらず達者なところを見せている。童顔といっていい風貌、独特の愛嬌ある体躯は、どう したってお喋り好きの気の好い男にしか思えない。世間をよく知ってるし、行きづまったバートンが彼を頼りにするのは無理はない。
 彼がじつは連続殺人鬼だと言われても、なにか事件が起こった時、近所の人が「おとなしい、い い人でしたよ」なんてインタビューに 答えてるのを思い出すくらい、信じられない話なのだ。
 ところが、炎に包まれたホテルの廊下を歩く彼は、正直言って、怖い。目から狂気がほとばしり、大きな身体が魔王のよう。彼が バートンに箱を預け、「じつは君のものが入ってる」というのもゾーッとする。「あー、あれだな」と分ってしまうからだ。

 バートンがその箱をぶら下げて浜辺をフラフラいくと、ホテルの部屋に掛けられていた絵の中の美女が、同じ姿勢でそこにいる。彼は 絵の中に入り込んでしまったのか? 一挙にポンと非現実の感覚。
 バートンの部屋で起こった殺人は現実なのか、彼の見た悪夢なのか、炎上するホテルは現実か夢か。もしもすべてがバートンの妄想なら ば、それはいつ始まったのか、きっかけはなんだったのか、といろんな思いが湧いてくる。全体が奇妙な感覚でおおわれて、不思議な 映画だと思う。
  【◎△×】7

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幕末太陽傳

1957年  日本  110分
監督 川島 雄三
出演
フランキー 堺、左 幸子、南田 洋子、石原 裕次郎、金子 信夫
山岡 久乃、芦川 いづみ、岡田 真澄、菅井 きん、小沢 昭一、市村 俊幸

  ストーリー
 古典落語の「居残り佐平次」を下敷きに「芝浜の革財布」「品川心中」などを取り入れて、幕末の品川遊郭に居座り続ける お調子者、佐平次を描いたコメディ。
 明治維新まであと5年の文久2年、北の吉原と並び称される品川遊郭で、佐平次(フランキー 堺)は金もないのにお大尽遊びをして、 そのまま居残りになる。じつはこれも佐平次の計算のうち。宿には高杉晋作(石原 裕次郎)などの勤皇志士たちも居残りに なっていた。機転が利き面倒見のよい佐平次は、たちまち廓の人気者になる。

  一口感想
 公開当時、ずいぶん話題になった映画だ。“太陽族” を連想させるタイトルや、爆発的人気だった石原裕次郎が初めて出演した時代劇 であることが主な理由だったように思うが、それだけでないことが今頃見て分かった。面白い。乾いて洒落たおかしさはまるで落語の 世界(と思ったら、じっさい落語のネタをもとにしているらしい)。
 邦画はじっとりまとわりつく感覚が嫌で、ずっと避けていたけれど、こんな映画もあるんだと目からうろこ、これ以後かなり積極的に 邦画を見るようになった、私にとって記念すべき作品だ。

 フランキー堺のうまさに驚嘆した。調子がよくて図々しくて、そのくせ憎めない、口先一つで世渡りしている男の軽さをじつに巧みに 出している。
 「いのさ〜〜ん」と声がかかると、パッと羽織に腕を通し、跳ねるように廓の広廊下を走る。部屋に来るとすっと腰を落とし、半呼吸 おいて、障子を開けた時にはもう賑わいに満ちた陽気な声。流れるような一連の動きがじつに粋だ。
 平次なんて名はとっくにどっかにいっちゃって、居残りの “いのさん”。これもいかにも彼らしい。

 しかし、時々妙な咳をして、一人の時は暗い表情を見せる。じつは彼は労咳を病んでいて、客はもちろん、手代や女郎からさえも、 用足しすれば抜かりなく心づけをせしめるのは、治療のためにアメリカに渡る費用を作るためなのだ。
 「悪い咳してるぜ」というセリフが何回か出てくるが、病気は思ったより進行してそうだ。で、佐平次も多分、分かってるんじゃないかと思う。裏に濃い影を背負っているからこその彼の明るさなのだ。佐平次の人間像を膨らませているのがこの映画の魅力だ。

 山岡久乃、金子信雄、小沢昭一、出番は少ないが市村俊幸など、芸達者な脇役陣がそろった。南田洋子、左幸子のあっけら かんとした女郎ぶりもいい。とくに、おそめ(左 幸子)と “あば金” こ と貸本屋の金造(小沢 昭一)の心中騒ぎは面白い。
 いい加減でちゃっかりしているのは、どっちもどっちのいい勝負。佐平次が一枚噛んで、楼主・相模屋(金子 信夫)から金を巻き上げるオチにも笑わせられた。

 佐平次を中にした廓話が面白すぎて、裕次郎らが扮する勤皇志士らの倒幕陰謀のエピソードが浮き上がっているのが惜しい。彼らの妙に現代的な 演技が、当時の時代の変わり目を感じさせたのは怪我の功名だったかも。

 全編賑やかな映画だけに、佐平次が明け方、寝静まった遊廓をこっそり抜け出るラストの静けさが、ひときわ印象的だ。疲れて眠り 込む女郎や手代を見つめる彼の目がやさしい。世相を映し、人情を描き、コメディを超えた厚みを持った映画だと思った。
  【◎△×】8

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初恋

2006年  日本  114分
監督 塙(はなわ) 幸成
出演
宮崎 あおい、小出 恵介、宮崎 将
小嶺 麗奈、藤村 俊二

  ストーリー
 1968年12月10日、銀行の現金輸送車をだまして3億円を奪い取った、いわゆる「3億円事件」をモチーフに、その犯人が じつは18歳の女子高生だったという設定で描いた青春映画。
 学園闘争、ベトナム戦争の激化など、内外の世相が騒然とする1968年、女子高生のみすず(宮崎 あおい)は叔母の家で冷淡な扱い を受けつつ孤独な日々を過ごしていた。
 消息の知れなかった兄(宮崎 将)が突然現われたのがきっかけで、兄やその仲間が集まるジャズ喫茶に出入りし始めたみすずは、 そこで出会った岸(小出 恵介)に淡い恋心を抱く。そして、彼がもくろむある計画に協力するようになるのだが・・・。

  一口感想
 東京・府中で東芝の工場従業員のボーナス、3億円が強奪されたと聞いた時の驚きは今も鮮明だ。被害額が当時としては空前の億単位 だったこともあるが、犯行の手並みが水際立っていたからだ。遺留品が多く、すぐ解決するかと思ったけど、結局迷宮入り。もう40年 近くが経ってしまった。
 殺傷事件ではなく、公表されたモンタージュ写真が白皙の美青年で、被害額は保険によってまかなわれ、結局だれの懐も痛まなかった ことなどから、犯罪には違いないけれど、犯人が国民的 人気を博したことも面白かった。

 その後、松本清張をはじめ犯人像についてさまざまな説が出され、私も好奇心から読み散らした時期がある。
 それなりの根拠とともに述べてあって、それぞれに面白かったが、さすがに “犯人女性説” だけはなかった。一番のネックはやはり声でしょう。いくら低くしても、女性の声を男性と聞き違えることはそう滅多にないでしょうから。

 そんなわけで本作は「3億円事件」をモチーフにしてはいるが、犯罪そのものの再現ではなくて、一人の孤独な少女のラブストーリー だ。
 幼い頃に父と死別し、母は兄だけを連れてどこかに消え、引き取られた叔母の家で邪魔者扱いをされている少女。宮崎あおいのまっすぐ に見つめる目がいい。強い光芒がだれにも心を開かないみすずの孤独を雄弁に示している。

 思いがけず兄と再会したことから、みすずはジャズ喫茶に通い始める。そして岸と出会う。安らぎを感じているけれど、そこにたむろ する仲間と交じり合うわけでないところは、みすずと岸はよく似ている。みすずが彼に惹かれたのは自然なことだったと思う。
 彼女が彼のために「3億円強奪」を実行する経過はごくあっさりした描写だ。それでも宮崎あおいの華奢な身体では、かなり痛々しい。 バイクに引っかかった黒いコートが取れず、引きずったま ま走る場面は、保護者みたいにハラハラしてしまった。

 岸がなぜ計画を自分で実行しなかったのかも含めて、強奪された金が1円も使われないまま犯人が姿を消してしまった理由について、映画は一応の解釈を示すけれど、それも事件の経過というよりは、むしろみすずの恋の成りゆきに重要だからだ。
 「もう1人はいやだよ」とつぶやいて、岸の本に記された詩に嗚咽するみすずは、犯行後に彼に頭をなでられて見せる笑顔とともに、 宮崎あおいあっての映画といっていいほど、鮮やかな印象を残す。

 偶然出会った母に声をかけずに立ち去るみすずには、1人で生きる決意が垣間見える。孤独な少女が初めての恋を通して大人へ成長 していく姿が、瑞々しい感性で描かれていた。
  【◎△×】7

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バットマン ビギンズ

2005年  アメリカ  140分
監督 クリストファー・ノーラン
出演
クリスチャン・ベール、リーアム・ニーソン、マイケル・ケイン
モーガン・フリーマン、ケイティ・ホームズ、渡辺 謙

  ストーリー
 人気シリーズ “バットマン” の8年ぶりの映画化で、バットマン誕生の軌跡をたどっている。
 大富豪の家庭に育ったブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)は、幼い頃、井戸に落ちてコウモリの大群に遭遇し、以来コウモリ 恐怖症になっていた。さらに両親が浮浪者に殺されるのを目撃し、大きなショックを受ける。
 成人し、父の遺した企業を受け継いだブルースだが、かずかずのトラウマを克服すべく放浪の旅に出る。そして、デュカード(リーアム ・ニーソン)と名乗る謎の男と出会い、彼のもとで心身を鍛錬する修行に打ち込むが・・・。

  一口感想
 『バットマン』シリーズは、89年の第1作と、92年の『バットマン・リターンズ』の2つしか見ていないが、『リターンズ』は ダニー・デヴィートの怪人 “ペンギン” と、ミシェル・ファイファーの “キャット ウーマン” が強烈で、笑いと哀しみがミックスした快作だった。
 そして、なぜバットマンが生まれたかを綴った本作『ビギンズ』は、娯楽アクションの体裁を取りつつも意外に真面目な作風。これも なかなか面白かった。

 ウェインの両親を殺したのは(第1作では、いつも笑っているジョーカーだったが)ホームレスの男で、それはゴッサム・シティの悪と 腐敗が生んだ貧しさのため、という設定が目新しい。
 また、初めは復讐に凝り固まっていたウェインが、次第にゴッサム・シティの悪そのものが闘うべき相手なのだと気づいていく、という成長物語になっている。
 とくに私が興味を感じたのは、コウモリ恐怖症のウェインが、それを克服して、自分自身バットマンに変身するところ。大袈裟に言えば、自分の内なる弱さと対決することが、外なる悪と闘うエネルギーになるという発想だ。

 もう1つ、アイロニカルで面白いと思ったのが、彼に武闘の技を仕込んで鍛えるのが “世界平和のために闘う秘密結社” と、一見正義の 味方のようでいて、「正義」のためならどんな「悪」も許さ れる、という逆転の発想を持つ狂信的団体だったこと。
 ウェインは彼らの詭弁に目をくらまされず、敢然と袂(たもと)を分かつが、その結果、ゴッサム・シティの悪の組織ばかりでなく、武闘家としての自分を育ててくれた彼らとも戦わなければならなくなる。
 いろいろ考えると、けっこう話の奥は深い。

 ぞろぞろ出てくる出演者の豪華さにびっくり。
 クリスチャン・ベールをはじめ、リーアム・ニーソン、マイケル・ケイン、トム・ウィルキンソン、キリアン・マーフィ、ライナス・ローチとイギリス俳優が多いのが目を引く。さらにドイツのルトガー・ハウアーも いる。
 ヨーロッパ系俳優のかもし出す翳りや落ち着きは独特のものがあるが、それが本作の奥行きになっている気がする。
 渡辺謙は話題になった割には出演場面は少ないが、リーアム・ニーソンと互角の存在感を示していたと思う。
  【◎△×】7

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パトリオット

2000年  アメリカ  164分
監督 ローランド・エメリッヒ
出演
メル・ギブソン、ヒース・レジャー、ジョエリー・リチャードソン
クリス・クーパー、ジェイソン・アイザックス、トム・ウィルキンソン

  ストーリー
 1776年、フレンチ・インディアン戦争の英雄だったベンジャミン・マーティン(メル・ギブソン)は、妻亡きあと、今は7人の 子供のよき父親として、平穏な農夫暮しの日々を送っている。しかし独立戦争が勃発、愛国心に燃える18歳の長男ガブリエル (ヒース・レジャー)が参戦。2年後に負傷して帰る。
 彼を追ってきたイギリス軍のタヴィントン大佐(ジェイソン・アイザックス)は、次男トマスを殺し、家を焼いて立ち去る。怒り に駆られたベンジャミンは、かつての戦友でアメリカ軍司令官バーウェル大佐(クリス・クーパー)を訪れ、民兵を鍛え上げて参戦する。

  一口感想
 この映画は、一見 “独立戦争を壮大なスケールで描く” という作りになっているせいか、「家族愛」が前面に出すぎて、見ていて ちょっと戸惑った。初めは息子が独立戦争に参加することに反対していた主人公が、民兵を率いてイギリス正規軍に戦いを挑むのは、 イギリス将校の残酷な手口によって次男を殺されたからなのだ。戦争の「大義」によってではない。

 では「家族愛」がテーマかというと、英国将校のやり口があまりに卑劣かつ非情なので、主人公に感情移入して見ているこちらとして も、つい、どこかで復讐のタカルシスを爆発させたい気分に駆られる。
 実際、主人公は幼い三男、四男の眼前で、倒した敵兵に狂った ように手斧を振り下ろし続ける。息子たちは血まみれの父親を目を丸くして見つめる。ただの生々しい復讐譚に走りそうな気配に、ちょっとヤバイ気分になるのです。

 平和な暮らしを望みながら、愛するものを奪われて復讐(→ 独立 → 自由)のために立ち上がる、というのはメル・ギブソンの監督作 『ブレイブハート』に共通している。“パトリオット”(愛国者)というタイトルからしても、本作はやはり、独立によって自由を勝ち 取る、という独立戦争の「大義」にテーマを絞った正攻法でいったほうがよかったんじゃないかしら。
 テーマが2つに割れて統合されないのは、見ていて少々落ち着きが悪い。

 ーーこれは最初に本作を見た時の感想です。久しぶりに再見して、やはり家族を殺された男が復讐を誓い、復讐される側が返り討ちを 狙う、という印象のほうが強かったのは、イギリス将校タヴィントン大佐の無慈悲、冷酷ぶりがそれだけ際立っているのでしょう。

 ただ今回思ったのは、「あ、これはアメリカ版 “ロビン・フッド” だ!」ということだった。暴虐な悪代官にシャーウッドの森の義賊 ロビン・フッドが闘いを挑む、という図式。主人公ベンジャミンが展開するゲリラ戦などはまさにシャーウッドの森の闘いだ。
 ロビンの手下にタック坊主がいたように、ベンジャミンの民兵にも牧師がいるし、けな気に彼を支える義妹シャーロッテ(ジョエリー ・リチャードソン)はロビンの恋人マリアンだ。ベンジャミンがイギリス軍を出し抜く捕虜交換のくだりは、絞首刑寸前の手下を救いに 現れるロビン・フッドを彷彿させ、スカッとした気分になる。
 冒険活劇ものという目で見たせいか、今回はけっこう楽しめた。
  【◎△×】6

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パニック・ルーム

2002年  アメリカ  113分
監督 デヴィッド・フィンチャー
出演
ジョディ・フォスター、フォレスト・ウィテカー、ドワイト・ヨーカム
ジャレッド・レト、クリステン・スチュワート

  ストーリー
 夫と離婚したメグ(ジョディ・フォスター)は、11歳の娘サラ(クリステン・スチュワート)とマンハッタンの高級タウンハウスに 引っ越してくる。4階建てのその家には “パニック・ルーム” と呼ばれる防犯シェルターが付いていた。強盗に入られた時、警察が来る まで身の安全を確保するための部屋で、四方をコンクリートの厚い壁で固め、完璧な防犯システムが備えられている。
 越してきたその夜、3人の男たち(フォレスト・ウィテカー、ドワイト・ヨーカム、ジャレッド・レト)が侵入する。身の危険を感じた メグはサラとともにパニック・ルームに逃げ込むが、男たちの目的はじつはここにあった。前の住人の富豪が残した遺産が、この部屋の 金庫に隠されていたのだ。

  一口感想
 テレビ・ゲームを連想した。深夜不気味な侵入者が現われたら、ふつうは家の外に逃げることを考えると思うのだが、この母娘は、 逆に、家の奥の密室に逃げ込む。堅固な防犯システムを備えたシェルターだ。難攻不落の城に籠城したわけだが、ということは、兵糧攻めにされたらアウトだ。 しかし、ゲームだからその手は使わない。
 一応ルールがあって、籠城したほうは〔1.侵入者の姿を監視モニターで見ることができる〕〔2.マイクでメッセージを伝えることが出来る〕。侵入者のほうは〔1.メンバーは3人。話し合いで作戦を決める〕〔2.籠城側のメッセージは聞こえるが、こちらの意図を伝える方法はない(のちに、モニターに映るパントマイムで知らせる方法を思いつく)〕。

 籠城者側は1人が子どもの上、難病を持っている。侵入者側にはセキュリティの専門家がいて、密室の構造に詳しく、籠城者側が伝えて くるメッセージのブラフを見破ることができるのと、3人い るので智恵を出し合える。圧倒的に侵入者側が有利だが、逆に主導権争いや仲間割れの危険もある。こんなところでゲーム開始という ことになる。

 侵入者側は音で籠城者側の動きを察知したり、脅しや罠を仕掛け、籠城者側は懐中電灯で隣家に合図して助けを求めたり、通気孔から 送り込まれてきたガスにライターで火を放って、侵入者側に逆流させたり、丁々発止の攻防戦を展開、それなりに面白くはあるのだが、 なにしろ場が限定されているので動きが少なく、プレーヤーはともかく、脇で観戦しているものはだんだん退屈してくる。そこで、次の ステージに進むことになる。

 ステージ2で密室に閉じこもるのは侵入者側だ。侵入された側はこれさいわいと逃げ出せばゲーム終了のはずだが、そうは問屋が卸さ ない。娘が人質に取られ、おまけに持病の発作がでる。 ステージ1で侵入させまいとがんばった母親は、今度は入るための智恵を 絞らなければならない。入る側と入らせまいとする側が攻守ところを変えるのだ。

 もう1つ新しい要因は、外部の人間が登場するところ。母娘の別れた夫(父親)と異変を察したパトロール警官だ。ここでやっと3:3 の闘いになるわけだが、何しろ娘が人質に取られている。母親は滅多な動きはできず、孤軍奮闘せざるを得ない。しかし2人を無駄に 登場させたわけではなく、最後は3人の連係プレーが功を奏することになる。

 ゲームといっても、母娘側が最後は勝つことは分かっているので、そこまでをいかに面白く持っていくかが演出の腕の見せ所になる。 吹き抜けの階段と部屋と廊下を結んだ家の構造や、モニターの死角を利用して登場人物が動き回ったり、視覚的な工夫が面白い。
 ジョディ・フォスターは本作と『ハンニバル』との調整が出来ず、『ハンニバル』の出演を蹴ったそうだが、気合いの入ったアクション を見せていた。
  【◎△×】6

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バリー・リンドン

1975年  イギリス  186分
監督 スタンリー・キューブリック
出演
ライアン・オニール、マリサ・ベレンソン、パトリック・マギー
マーレイ・メルヴィン、マリー・キーン、ハーディ・クリューガー

  ストーリー
 成り上がり貴族バリーの野心と挫折を描いたイギリスの文豪サッカレーの同名小説の映画化。
 アイルランドの田舎貴族レドモンド・バリー(ライアン・オニール)は、恋の鞘当てをめぐる決闘で相手を倒したために故郷にいら れなくなり、出奔する。その後、軍人、スパイ、そしてイカサマ・ギャンブラーとなって諸国を渡り歩く。
 女伯爵のレディ・リンドン(マリサ・ベレンソン)と知り合ったバリーは、彼女の夫リンドン卿が心臓発作で死ぬと、その後釜に 納まる。子どもも生まれバリーは溺愛するが、彼女と前夫との息子ブリンドンは新しい父を憎悪の目で見つめていた・・・。
 完全主義者と知られるキューブリックは、男性貴族の化粧と付けボクロ、室内撮影では特殊レンズと好感度フィルムを使用してろうそく の灯だけで撮影するなど、18世紀の貴族社会を忠実に再現している。

  一口感想
 本作はレドモンド・バリーの青年時代の冒険を描いた第1部と、伯爵夫人と結婚し、バリー・リンドンと称するようになってからの第2 部に分かれている。第1部と第2部の調子が違うので少々面喰うが、私のお気に入りは明るく楽しい第1部だ。

 ここでのバリーは初心(うぶ)なお人好し、無鉄砲で軽はずみなことばかりする。年上の従姉に岡惚れして 恋敵の軍人に決闘を申し込み、相手を倒して出奔、ダブリンへの道中では追いはぎ親子に出くわし、身ぐるみはがれる。
 運良く軍隊にもぐり込むと、同僚にそそのかされてデカイ古参兵士と殴り合い、ここでも相手を倒すものの、同郷の隊長が戦死すると 嫌気がさして脱走を試みる。逃走中に知り合った美人の人 妻とは一夜の恋もする。
 行き当たりばったりだけど、やることみんないいほうに転がり、『トム・ジョーンズの華麗な冒険』(63)のトム・ジョーンズを彷彿と する明るさがある。ライアン・オニールのちょっとノー天気っぽいところがピッタリはまって、とってもチャーミング。

 脇の登場人物もなかなか個性豊かだ。恋敵のクイン大尉は傲慢不遜で、いかにも戦い馴れた風をしているけど、じつはとても小心者。 決闘ではバリーに空砲の銃を渡し、撃たれて死んだふりをする。追いはぎ親子の父親は盗人とは思えぬダンディ男。両手を上げたまま 逃げるバリーに「もう下げていい」と声をかけるところなんぞ、粋でいいですねぇ。

 脱走中にドイツ軍に捕まった辺りからバリーの人生の雲行きが怪しくなる。スパイを命じられた相手に真相を告白し、2人で国外脱出に 成功するところはまだバリーらしい。ところが彼とコンビを組んでいかさまカードで諸国を渡り歩くうちに、バリーのなかに野心と欲望が 芽生える。
 美貌の伯爵夫人を丸め込み、急死した夫の後釜に納まると、貴族の称号を買収するために妻の財産を浪費する。女たちと放蕩する。妻も 義理の息子も愛さない打算だけの結婚だ。

 第1部から一転して、第2部ではバリーの成功と転落、そして貴族社会の頽廃ぶりが描かれる。
 豪華なサロンでギャンブルに明け暮れる貴族たち。成り上がり者とバリーを嘲りながら、彼の蕩尽する金を平気で吸い上げる。外見の 虚栄と内実の空虚さ。それを端的に感じるのが男性の化粧だ。
 17、8世紀の貴族社会では普通だったというが、老貴族がしわだらけの顔に厚化粧をしているのはかなりぎょっとする。日本でも平安 時代は公家も化粧したというし、当時の薄暗い照明ではそれほどおかしくはなかったのかな・・・。食べるに困らない上流階級というのは 洋の東西を問わず似たような発想をするらしい。

 18世紀を忠実に再現するためにろうそくだけで撮影したという画面の1つ1つが繊細なロココ調の絵のようだ。そしてレディ・リン ドンの陶器のような美しさ。年の離れた夫との索漠とした結婚生活、そして再婚後は夫バリーの不誠実。ラスト近く、追放されたバリーの 年金に署名をする時、ふとペンを止めた彼女の顔に翳ろいが揺れるのが印象的。
 やはり彼女は本当にバリーを愛していたのだと思う。美貌と財産に恵まれながら不幸だったレディ・リンドン。最後はむしろバリーより も彼女の悲しみが強く心に残った。
  【◎△×】7

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パリの恋人

1957年  アメリカ  103分
監督 スタンリー・ドーネン
出演
フレッド・アステア、オードリー・ヘプバーン
ケイ・トムソン、ミシェル・オークレール

  ストーリー
 ヘプバーンとアステアの顔合わせで作られたロマンチック・コメディ・ミュージカル。
 ニューヨークのファッション雑誌社の切れ者編集長マギー(ケイ・トムソン)は、新しいモデルを使って雑誌を売ろうと計画し、 カメラマンのディック(フレッド・アステア)がモデルを探すことになる。彼は古本屋の店員ジョー(オードリー・ヘプバーン)を スカウトする。
 初めは乗り気でなかったジョーだが、パリで撮影すると知り、信奉する “共感主義” の提唱者、フロストル教授(ミシェル・オー クレール)に会うのが目的で承諾する。そしてパリに着くと、仕事そっちのけで教授に会いに出かけてしまう。

  一口感想
 ファッション雑誌をめくっていく時の気分。お洒落でゴージャスでカラフル。パリ観光を兼ねたような映像は、50年前の日本では (アメリカでも?)夢のような映画だったんでしょうねぇ。“ファニー・ フェイス” という言葉がが流行ったのもこの映画から。たしかにヘプバーンは正統派の美人じゃな いけど、《個性的=魅力的》 と 世間の評価を一変させたところが彼女のすごさです。

 ジョーがパリ名所のあちこちで写真撮影するシーンが気に入っている。雨中の広場で風船を飛ばしたり、列車の蒸気に巻かれたり、 セーヌ川で魚を釣ったり、とくに、ルーヴル美術館の階段を真っ赤なドレスで「Take a picture!」と叫びながら降りて くる時の華麗さなどは、まさにヘプバーンならでは。
 それだけに、裏町のカフェの前衛っぽい踊りにはびっくり。すごく新鮮だ。女編集長のマギーとデュエットで踊るヘプバーンもお茶目 でキュート。全編、ヘプバーンの魅力のカタログみたいな楽しさがある。

 ダンスシーンでは、アステアとヘプバーンが暗室で踊ったり、アステアが闘牛の真似をしながらソロで踊ったり、印象に残る場面が 多いが、ディックがマギーと2人で「二階へ行きたい」と歌い踊る 場面が抜群に素晴らしい。ディキシーランド・ジャズ風の 曲調でがらっと気分が変わるのと、アステアとトムソンの息がぴったり合ってダンスに勢いがあるのがいい。
 アステアはさすがに往年のキレはなくなっているけど、小粋な味は健在。ヘプバーンとのキスもすごくさまになっている。ヤキモチを 焼くアステアも初めて見たような気がするなぁ。

 個人的には、怪しげな教授役でミシェル・オークレールが見れたのが嬉しかった。『アンリエットの巴里祭』(54)でダンディな色男 ぶりに悩殺されて以来だ。ほんのちょっと渋みを増して、ますますいい男になっている。あれから50年、今はどんな素敵な老人に なってるかな。
 ストーリーはこういったら何だけど、どうしようもないです。ヒロインのはた迷惑な “共感主義” に共感できなくて(笑)、1点減点になりました。
  【◎△×】6

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パルプ・フィクション

1994年  アメリカ  154分
監督 クエンティン・タランティーノ
出演
ジョン・トラヴォルタ、サミュエル・L・ジャクソン、ユマ・サーマン
ブルース・ウィリス、ティム・ロス、アマンダ・プラマー
ハーヴェイ・カイテル

  ストーリー
 デビュー作『レザボア・ドッグス』で一躍注目される存在となったタランティーノが、時間とストーリーを交錯させて描いた異色の 犯罪オムニバス。カンヌ国際映画祭で作品賞受賞。
 レストラン強盗を計画するパンプキン(ティム・ロス)とハニー・バニー(アマンダ・プラマー)のカップルを皮切りに、盗まれた ボスの鞄を取り返しにいくギャングのヴィンセント(ジョン・トラヴォルタ)とジュールス(サミュエル・L・ジャクソン)の2人組、 ボスの妻(ユマ・サーマン)のお守り役をする羽目になったヴィンセント、八百長で勝ってしまい、組織に追われるボクサーのブッチ (ブルース・ウィリス)などのエピソードが重なり合う。

  一口感想
 パルプ・フィクションとは “三文小説” のこと。日本でも戦後すぐの頃は粗悪な紙の雑誌(パルプ・マガジン)が出回ったが、そう いう雑誌に載るような安手の小説のことだ。一応3話からなるオムニバス映画だが、各エピソードはゆるやかにつながり、登場人物は 別のエピソードにも現われ たりして、連作短編集といった趣だ。
 話はどれも面白いが、強烈な印象を残すのはジョン・トラヴォルタとサミュエル・L・ジャクソンが扮するヴィンセントとジュールス のコンビだろう。

 この2人、情け容赦もなく人を撃ち殺す非情なギャングだが、妙に議論好き。登場する時はいつでも理屈を並べて言い争っている。 初めはボスの女房ミアの足をマッサージしたばかりに、殺されてしまった男について。
 足のマッサージくらいで殺されたんじゃ割りにあわない、というのがジュールスの主張。ヴィンセントは、マッサージでセックス以上に 感じる女もいるから、これは浮気をしたのと同じだ、という理屈。
 結論が出る前に目的地に着いてしまった2人が、仕事は後回しにして 議論を続けるのには笑ってしまった。
 この話にはオチがついていて、ミアの弁は「その男、足には触っていない」という。「触ったのは手よ」「それも一度きり。結婚式で お祝いの握手をしたの」。殺された男には悪いが、これには吹き出した。ミアに同情心のカケラもないのがまた何となく可笑しい。

 終盤、「神はいるか」という深遠なるテーマで2人はまた論争する。ジュールスは「いる」という。チンピラに至近距離から撃たれた のに当たらなかった、というのが根拠だ。ヴィンセントは「ただの偶然だ」というが、ジュールスは「奇跡が起こった」といって 譲らない。そして、この仕事が済んだら神を見つけるために放浪の旅に出るといって、ヴィンセントを呆れさせる。
 仕事の合間に挟み込まれるこうしたやり取りが、暴力シーンさえ乾いたタッチのユーモアに変えてしまう。

 尾篭(びろう)な話だが、ヴィンセントはどういうわけかトイレに入っている時に限ってコトが起きる男だ。
 初めはボスの女房のお守り役を仰せつかった時。誘惑には乗らないことにしよう、なんていい気なことを考えながら出てみると、なんと 彼女は麻薬をやりすぎて、鼻から血を出して死にかかっている。
 レストランでジュールスと “神” 論争をした時は、チンピラ・ギャングのパンプキンとハニーが客を相手に拳銃を振り回していた。
 そして最後は、ボスを裏切ったボクサーのブッチのアパートで、のんびり用を足して出た途端、舞い戻ったブッチと鉢合わせ、彼に 撃たれて死んでしまう。
 神を求めて旅立った(だろう)ジュールスと呆気なく神に召されたヴィンセント。2人の皮肉な運命にクスリと笑いが湧いてくる。
  【◎△×】8

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晩秋

1989年  アメリカ  118分
監督 ゲイリー・デヴィッド・ゴールドバーグ
出演
ジャック・レモン、テッド・ダンソン、オリンピア・デュカキス
キャシー・ベイカー、イーサン・ホーク、ケヴィン・スペイシー

  ストーリー
 エリート・ビジネスマンのジョン(テッド・ダンソン)のもとに、妹アニー(キャシー・ベイカー)から、母ベティ(オリンピア・ デュカキス)が倒れたという知らせが届く。久しぶりの帰郷をしたジョンは、すっかり老い込んだ父ジェイク(ジャック・レモン)の姿に 驚くのだった。
 さいわいベティは間もなく退院するが、今度はジェイクがガンに侵されていることが分る。ジョンはこのまましばらく実家にとどまり、 父を看護することを決意する。

  一口感想
 母が心臓病で入院したという知らせを受けて、久しぶりに実家にもどったジョンは、あまりに老いこんだ父の姿に驚く。呆けたように テレビの前に座り、パジャマのボタンを留めるのもおぼつかない。
 序盤のこのシーンは非常に印象的だ。子供というのはふつう、親はいつまでも元気だと思っているところがある。そしてある日、なにか のはずみで突然その老いを実感する。これは私の経験からいっても、自分が年を取るより、もっとショックだ。ジョンは思わずこまごま 世話を焼き、父のジェ イクを抱いてベッドに運んでいく。
 大きく頼もしい息子と、縮んで小さくなった父。逆転した父と子の姿を見ていると、なんとも言えぬ気持ちになる。

 ジェイクのボケ状態は妻ベティの入院というショックもあったと思うが、ベティの過剰な世話焼きが夫の「自分で何かする」意欲を 奪ってしまっていたことも大きい。
 最近は日本でも簡単な家事を手伝ったり、身の回りのことくらいは自分でする中高年男性が増えてきた。なにも家事分担意識が進んだ わけではなくて、妻に何かがあった時に困らないため、という背に腹は変えられない事情を男性自身感じ始めているのではないだろうか。
 じっさいジェイクは息子ジョンのリードよろしく家事をこなすようになると、次第に生きいきした表情を取りどす。老後の夫婦のあり 方を考えさせられる。

 庭の温室で、ジェイクとベティが若い頃のようにキスをし、抱き合って踊るシーンがとても素敵だ。長い人生をともに歩み、喜び哀しみ を分かち合った夫婦の感慨が、静かに満ちてくるのを感じるのだ。
 ベティの退院と入れ替わるように、今度はジェイクがガンに侵されていることが分り、ジェイクは妻子のために抑圧していた願望を 次々に実行し、残りの人生を悔いなく生きようとする。それはかなり素っ頓狂な行状で、昔かたぎのベティは到底ついていけない。そんな 妻にジェイクは語りかけるのだ、「死は罪じゃない。生きないことが罪だ」と。
 私自身、“老い” や “死” が身近になり、「いかに死ぬか」は「いかに生きるか」ということだ、と折に触れて思うだけに、この 言葉はとても胸に沁みる。こうしてジェイクは、家族に見守られながら、秋の残光のように静かに人生を終えるのだ。

 エリート・ビジネスマンとして成功したものの、結婚生活に失敗したジョンは、家族の大切さに初めて気づく。そして、息子ビリーと 心を打ち割って話し合い、「俺はお前の父親なんだから」と告げる。父、息子、孫が心を通わし、絆をたしかめ合った晩秋のひと時。 しみじみした余韻が残る。ジャック・レモン、オリンピア・デュカキス、名優2人の演技が味わい深い。
  【◎△×】7

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