| 【映画メモ】 フェ・ヴェ で始まる映画 |
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ストーリー マフィアの内部に潜入したFBI捜査官、ジョー・ピストーネの手記をもとに、違う世界に生きる男同士の友情と葛藤を描いたサス ペンス・ドラマ。 FBI捜査官ピストーネ(ジョニー・デップ)は、“ドニー・ブラスコ” という偽名で囮(おとり)捜査の ためにニューヨーク・ブルックリンのマフィア組織に潜入する。彼が最初に接触を持ったのは、古いタイプのギャング、レフティ(アル ・パチーノ)だった。 組織の末端に甘んじて盛りを過ぎたレフティは、頭脳と行動力をあわせ持つドニーとの出会いで、再び出世を夢見るようになる。6年に 及ぶ捜査の間に2人の間には深い友情がはぐくまれるが・・・。 この映画はFBI特別捜査官がブルックリンのマフィア組織に潜入した囮(おとり)捜査の実話に基づいているそうだ。ほんのわずかなミスからいつ正体がばれるか分からない。こんな捜査が現実に行われているのかと思うと、怖くて背筋がヒヤヒヤしてくる。 ジョニー・デップのが演じる覆面捜査官ドニーは、天と地ほど落差のある二重生活を強いられ、任務の内容を明かせないために妻子との間 にも溝が出来てゆく。その上、潜入期間は6年の長きにわたったというのだから驚いてしまう。その間(かん)の タイトロープを渡り続ける緊張がどれ
ほどのものか、想像することさえ難しい。デップの演技は緻密かつ豪胆、それにもまして人間的な苦悩を感じさせて印象に残る。彼の映画はこれまでいろいろ見てきたが、私が一番彼らしさを感じるのは、『シザーハンズ』(90)と、そして本作なのだ。 しかしこの映画を忘れがたいものにしているのは、ドニーが接近する万年平組員レフティを演ずるアル・パチーノの抜きん出た存在感だろう。上部の 命ずるままに仲間さえも手にかけ、いずれは認めてもらえると期待するものの、うだつは少しも上がらない。 かつて世話してやった後輩に出し抜かれ、新ボス(マイケル・マドセン)になった彼にコートを着せかけるやるせなさ。ひと泡吹か そうと開店準備に励んだ新規クラブも、気がつけばただの使い走りに利用されただけなのだ。 豪華ヨットの上で、ボスがさらに上部組織のボスにドニーを紹介する場面などは、取り残された老ギャングの悲哀が惻々(そくそく)と胸に迫り、涙がこぼれそうになった。 ドニーとレフティの間にはぐくまれる信頼と友情がこの映画の核になっている。ドニーはボスに目をかけられ出世の道を歩きだしても、たえずレフティを気にかけ、組織の内部抗争が激化し、彼の安全を危惧したFBI から撤退命令がくると、自分が抜けた後のレフティの身を案じる。
しかしさらに胸に沁みるのは、レフティのドニーに対する思いだ。ドニーの身元が割れ、レフティは深夜ボスから “呼び出し” を受ける。 これは「死」を意味する。レフティ自身、過去になんども人に “呼び出し” をかけてきたのだ。 身の回りの始末を終えると、彼は愛人に「ドニーから電話があったら伝えてくれ」と告げる、「どうせこうなるならお前でよかった、と」。 あとの科白は「お前だから許せる」という字幕で見ることが多いが、何回目かの鑑賞でこの訳に出会った時、私は「これだ」と思った。「どうせこうなるならお前でよかった」。 レフティはいずれこんな末路が自分を待っていることを予感していたのだろう。同じことならお前にやられたい。なんて切ない言葉かと思う。訳者の感性に唸らされる。 コートの襟を直し、ドアの向うに消えるレフティ。彼なりの男気と決意をもって死に赴く姿に胸がいっぱいになった。 ジョー・ピストーネは事件終結後、功績により顕彰されるが、マフィアに50万ドルの懸賞金を懸けられ、今(映画制作時)もFBIの 保護の下、名前を変えて潜伏生活を続けているそうだ。 【◎○△×】8 |
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ストーリー 登場人物たちの “フェイシズ(表情)” を追い、夫婦関係が壊れていく36時間を描いている。 結婚14年、倦怠期を迎えていたリチャード(ジョン・マーレイ)とマリア(リン・カーリン)は、いつも通りの夕飯を取り、朝を 迎えるが、リチャードは突然離婚したいとマリアに告げる。 その夜リチャードは高級娼婦のジーニー(ジーナ・ローランズ)のもとへ、マリアは友人の主婦ら4人でディスコに出かける。マリア はそこで知り合った若者チェティ(シーモア・カッセル)と一夜を過ごすのだが・・・。 カサヴァテス監督が、抵当に入っていた自宅を舞台にボランティア参加した友人らの協力で作り上げた作品。オスカー3部門にノミ ネートされ、ジョン・マーレイはヴェネチア国際映画祭で主演男優賞を獲得した。 リチャードが長年の友人フレディ(フレッド・ドレイパー)と行きつけの高級娼婦ジーニーの家でバカ騒ぎを演じているところから 映画は始まる。フレディは、どうせジーニーは金で買う女、という感覚があり、それがジーニーのプライドを逆なでする。だからと いって、すぐにリチャードになびくわけでもない。浮かれ騒ぎながらも、ジーニーをはさんで男2人の微妙な緊張感が室内に蔓延する。 やがてリチャードは帰宅し、妻マリアと食事を始めるが、リチャードの些細なジョークにマリアは吹き出し、いつまでも笑い転げる。 妙に寒々しいキチン。マリアのけたたましい笑い。ベッドに入ってもまだ笑い続ける。やがて背中を向けあった2人の顔にげっそりした 表情が浮かぶ。
冒頭の2つの場面はかなり長く、初めはなにが始まったのかと戸惑うが、やがて、賑やかで楽しげな騒ぎの底にひそむ虚しさを描いて いるのだと分かってくる。 翌朝、リチャードは唐突にマリアに離婚したいと切り出し、夜をジーニーの元で過ごすと告げる。 その夜マリアは、フレディの妻ルイーズら中年の主婦ばかり3人と、若者の集まるディスコに出かける。みな心の底に空しさと寂しさ を抱えつつも、若い熱気の溢れる場ではどう振る舞っていいか分からない。ここで4人は23歳の手慣れた若者チェティと知り合う。 4人はふつふつたぎる感情の爆発を冷静な仮面の下に押さえ込みながら、「これは浮気ではない」「私はなにも悪いことはしていない」 と自分に言い聞かせる。 やがて、一番年嵩のフローレンス(ドロシー・ガリヴァー)が自分を発散して思いのままに振る舞いはじめる。チェティにしがみつい てダンスをせがみ、「やさしくして」と懇願するのだ。まだ女であることを確認したい、その寂しさ、悲しさが溢れて、初めはみっとも ないなぁと思っていたのに、だんだん切なくなってくる。 ルイーズともう1人はあきれて帰ってしまう。分別があるように見えて妙に虚しいのは、2人はこれまで通り自分を偽り、見せかけの 夫婦関係を続けていくのだろう、と分かるからだ。 “フェイシズ(Faces)”というタイトル通り、カメラはクローズアップで登場人物の生の表情を映しとっていくが、 ラストシーンでは逆に引いた位置にカメラを固定して、静かな空気を作り出している。 初めは階段の上と下に座っていたリチャードとマリアが、一方が二階に上がりもどってくると、他方が下に降りて座を外す、という形 で故意にすれ違い演じるのだ。修復しがたく離れてしまった夫婦関係を示している。「もう愛していない」とリチャードに宣言するマリア が印象的だ。 夫婦とはなにか、とつい考え込んでしまう。ジゴロ風の若者チェティの意外なやさしさが映画の寂莫感を和らげているように思った。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 南北戦争末期、メキシコにやって来た南軍の少佐とならず者が隠された大金をめぐる争いに巻き込まれる娯楽アクション。 1866年、革命の嵐が吹き荒れるメキシコ。南軍少佐のベン・トレイン(ゲイリー・クーパー)はならず者のジョー・エリン(バート ・ランカスター)から馬を買うが、それはジョーが軍隊から盗んだものだったため、ジョーもろとも軍隊の追撃を受ける羽目になる。 2人は逃げる途中でアメリカ人兵士にいじめられていたニナ(サリタ・モンティール)というメキシコ娘を助けるが、彼女はトレイン から財布を盗んでいく。 そんななか、2人は皇帝の側近デ・ラボルデール(シーザー・ロメロ)から、デュバル伯爵夫人マリー(デニーズ・ダーセル)を メキシコのヴェラクルスまで護衛するように頼まれる。じつは、伯爵夫人マリーのひそかな役目は、馬車に隠された金貨を国外に運び 出すことだった・・・。 バート・ランカスターといえば『山猫』(63)や『家族の肖像』(74)の重厚な没落名門貴族のイメージが強い私には、無法者を 演ずる彼がとても新鮮にみえる。 父親がイギリス王朝ランカスター家の血筋だというから、貴族が似合うのは当然かもしれないが、もともとサーカスのアクロバット 芸人だったというランカスターにすれば、こっちのほうが本来の彼らしさなのかも知れない。らくらくと楽しそうに演じている。
真っ黒に日焼けした肌に、ニッと笑った白い歯がやけに目立つ。でも変に不自然だぞ、この笑顔・・・、と思っているうちに、この
白い歯がジョーの冷酷さを表わしていることが分かってくる。ふいっと思い出話などしてベンに心を許したかに見えて、やっぱり最後
まで悪党は悪党、信じるのは金と己の非情さだけなのだ。初めはジョーと同じく金だけがすべてと割り切っていたベンは、途中から革命軍の大義名分に共鳴し、最後はジョーを倒してしまう。 クーパーを「いい人」にしない訳にいかないし、悪は最後は滅びないといけないし、そういう意味では安心して見ていられる映画だ。 ただし、ストーリーは云々するほどのものではない。 伯爵夫人のマリーは、どう逆さになって眺めても、酒場女か流れ者の女賭博師だ。百歩譲っても、フランス貴族を垂らしこんで妻に 納まった元歌手、というところか。これだったら、皇帝から託された300万ドルの金を着服しようと企むのも、それほどおかしくない かも知れない。 【◎○△×】6 |
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ストーリー フェリーニの故郷、北イタリアの小さな港町リミニの四季が少年の瑞々しい眼を通して描かれる。少年ティッタ(ルーノ・ザニン)は悪童仲間たちと 町一番の美女ディスカ(マガリ・ノエル)を追い回しているが、ゲーリー・クーパーに憧れるディスカは彼を子供扱いするばかり。職人の父(アルマンド・ブランチャ)は ファシズムに反対して拷問を受け、色情狂の叔父は精神病院に入れられていた。第二次大戦下を伸びやかに生きるティッタの姿は、 自身の少年時代へのフェリーニの甘美な回想を示しているようだ。 大してストーリーらしいものはないけれど、北イタリアの小さな町の、陽気で賑やかな様子がとにかく楽しい。よくよく考えれば けっこう深刻な内容もあるのだけど、それも笑い飛ばしてしまう明るさがいかにもイタリアらしいバイタリティーを感じさせる。 雪の中で大きく羽を広げる孔雀、夜の港をアメリカに向かう豪華客船のイルミネーションなど、フェリーニらしい人工美的なシーンも 楽しかった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 古代遺跡と近代建築が同じ空間に存在する永遠の都ローマ。この街をこよなく愛したイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニが、自ら の心の故郷としてのローマと現実のローマを奔放に交錯させながら描いたファンタジックな作品。雨に濡れた交通ラッシュのハイウェイ、 地下鉄工事の途中で突き当たった古代遺跡、1938年の街並みなど、ローマの街のほとんどはチネチッタ撮影所の中に造られたセット で、とくに暴走族がローマの街を爆走するラスト・シーンで、オートバイのヘッドライトで照らし出されるローマの名所の数々が、 すべてこの映画のために建築された実物そっくりのセットであることに驚嘆させられる。ドキュメンタリー・タッチの映像の間に幻想的 な世界が現われ、フェリーニの心象的な物語が展開される。 なんとも猥雑で華麗で幻想的、まさしくこれこそフェリーニのローマだと思わせられる。バラフォンダ劇場で繰り広げられる素人演芸 と観客の滑稽なやり取り、売春宿の娼婦のいかがわしくももの凄い売り込み、華麗で皮肉たっぷりで笑わずにいられない教会ファッ ション・ショー、深夜暴走族の儀式めいた爆走、どれひとつ取っても活力と溢れる映像に圧倒されそうになる。なかでも、地下鉄の工事 現場で発見された古代遺跡は私にはもっとも印象深いシーンだった。部屋の壁から天上までぎっしりと描かれた精密で美しい壁画が、 壁が崩され外気が流れ込んだことで次々に色褪せ、消えてゆく。女性研究者の「絵が消える!」という悲痛な叫び。何千年と続いた文明 の名残りが現代に触れたことで、一瞬の間に消えてゆく。文明の儚さ、そして失われゆく永遠の都ローマへの、フェリーニの愛惜の思い を見るようだった。 【◎○△×】7 |