| 【映画メモ】 A−Z で始まる映画 |
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ストーリー コマーシャル・ディレクターとして数々のヒット作を生み出してきた市川準の監督デビュー作。 高校3年生の麦子(富田 靖子)は母(丘 みつ子)を振り切るようにして故郷を離れると、東京で芸者置屋をしている叔母(大楠 道代) のもとに身を寄せ、芸者修行をしながら学校に通うことになる。 頑なに心を閉ざす麦子に、同級生たちはからかい半分で文化祭の出し物を押しつける。人形振りの「八百屋お七」を演じることにし、 隅田川の川べりで一人練習する麦子を、ボクシング部の邦彦(高嶋 政宏)は遠くから見守るのだった。 “BU・SU” というのはどういう意味だろう、と思ったが、まさかほんとに「ブス」のこととは思わなかった。ただし「性格」の こと。“性格ブス” というと、私なんかは意地が悪く根性の曲がった人をイメージしてしまうのだが、そういう意味では麦子は “ブ ス” ではない。 母親との間になにかあって、それが心の傷になっているらしく、自分の殻に籠もって内向的。つ
まり、暗いのだ。でも芯は強く、自分をしっかり持っている少女だ。この映画は、多感な年頃の少女が母親から離れて精神的に自立するまでを、女子高生の淡々とした日常の中に描いている。クラスに 溶け込もうとしない心の距離が生み出すのだろうか、ちょっと離れたところからみんなを見ている麦子の視線に瑞々しさを感じる。 学校をズル休みして、東京の街を歩き回るシーンが魅力的だ。ありのままの東京がホームビデオのようなさり気なさで淡々と映しださ れる。テレビのワイドショーを見ているようでもあり、自分が街を往来する人々に紛れ込んだようでもある。 都会というのは不思議なところだ。人に深く関わろうとしない。無関心さの中にいると孤独を感じるが、時にそれは安らぎにもなる。 麦子はこの雑踏の中で、今、癒されているのかもしれないな、とぶらぶら歩く彼女を見ていて思った。 無理やり文化祭の出し物を引き受けさせられたことが、麦子の転機になる。自分からは積極的に何かをしようとしなかった麦子が、 叔母の厳しい手ほどきに耐える。黒子として手伝ってくれるクラスメートも現われる。母が昔踊ったという人形フリの「八百屋お七」を 演じることで、母と折り合いを付けられるようにもなる。 富田靖子の潤みを帯びた大きな目が、折々に揺れる感情をきめ細かに映し出す。当日は思わぬハプニングでせっかくの踊りのクライ マックスは台無しになるが、麦子はもうそれでへこたれたりしない。とくに大きな事件が起きるわけではないが、少女期の心の機微が 繊細に描かれ、ちょっとまぶしい思いになる。 『さびしんぼう』(85)でも感じたことだが、富田靖子は日本人にはめずらしく横顔がきれいで愛らしい。文化祭で出番が近づいて、 じっと鏡を見つめているうちにポロッと涙が目からこぼれるのが印象的だった。 【◎○△×】6 |
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ストーリー イギリスの俊英マイケル・ウィンターボトム監督が挑んだ初のSF映画。 高度に管理された近未来社会。都市間の移動は厳しく制限され、バベルと呼ばれる滞在許可証を持つものにしか許されない。マリア (サマンサ・モートン)はバベルを発行する上海・スフィンクス会社の社員だ。 違法パペルの調査員ウィリアム(ティム・ロビンス)は、スフィンクス社からパペル偽造事件の捜査を依頼されてシアトルからやって 来る。彼は犯人がマリアだとすぐ見破るが、上司に虚偽の報告をする。こうして2人は運命的な恋に落ちるが、それは「CODE46」 という法律に抵触していた・・・。 マイケル・ウィンターボトム監督といえば、私はすぐ『日蔭のふたり』(96)と『I Want You』(98)を思い出す。どちらも 独特の暗い情念が印象的だった。そのウィンターボトム監督が手がけた初のSF映画。 舞台は環境破壊が進み、地球が砂漠化した近未来。世界は “都市部” と “外” に二分され、人工的に整備され安全な “都市部” に はエリートたちが住み、荒廃した砂漠が果てしなく広がる “外” には、見捨てられた人々が住む。“都市部” は徹底的に管理され、 移動・旅行はパペルという許可証を持つ者でなければ許されない。 人々は遺伝子レベルで操作され、“コード(法規)46” によって同一の遺伝子を持つ者同士の生
殖行為が禁じられている。バベルを審査・発行するスフィンクス社に勤めるマリアは、そうした体制に疑問を抱き、自由を求める人たちに偽造バベルを手渡して いる。一方、違法バベルの調査員ウィリアムには現状への批判・疑問はない。 まったく立場の違う2人が恋に落ちるのだから、なんらかの苦悩・葛藤が起こるのが自然だと思うのだが、本作では主人公2人のそう した愛のプロセスが今ひとつはっきり見えてこない。 たとえば、“共鳴ウイルス” を体内に培養しているウィリアムは、直感的に相手の心の動きを読み取り、嘘を見抜くことが出来る。 スフィンクス社の社員1人1人を面接した彼は、すぐにマリアが犯人と見破るのだが、違う人間を犯人と報告してマリアを庇う。 マリアも当然それは察知している。にもかかわらず、偽造バベルを希望者に手渡す現場をわざわざウィリアムに目撃させる。こうした 2人の行為には、相手を試したり愛を探り合うといった複雑な感情が交錯しているはずだが、淡々とした筋立てからそれを読み取るのは かなり難しい。 “コード46” の前提も私にはかなり無理を感じた。なぜなら、性行為が常に妊娠につながる訳ではないからだ。「結婚を禁じる」と いうのなら分る。結婚は一応、妊娠・出産を前提にしていると考えてもそうおかしくはないから。しかし、ウィリアムは既婚者だし、 離婚してでもマリアと結婚したいと苦悩する訳でもない。“コード46” が2人の恋の障害としてはやや迫力に欠ける気がするのだ。 ストーリー全体がどことなく焦点の定まらない印象だ。ただ、体制に都合の悪い記憶はすべて除去手術が施されて、マリアとウィリア ムの愛の記憶が失われてしまう結末は、とても切ない気持ちになった。じっさいの上海の光景が、光沢のある青みがかった近未来社会に 見えるのが不思議な感じ。ウィンターボトム監督らしいセンスを感じる。 【◎○△×】6 |
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ストーリー リジー(エミリー・モーティマー)は暴力を振るう夫から逃げるため、9歳の息子フランキー(ジャック・マケルホーン)、老母ネル (メアリー・リガンズ)の3人でスコットランド中を転々としている。 父親の暴力が原因で自分が難聴になったとは知らないフランキーは、船乗りとして世界中を航海しているというリジーの話を信じて、 父に手紙を書き続ける。リジーが偽りの返事を書いていたが、ある時、フランキーを父親に引き合わせなければならない事態になって しまう。 見かねた親友マリー(シャロン・スモール)が、ある男(ジェラルド・バトラー)を臨時の父親役として紹介してくれるが・・・。 友人のマリーに紹介された “一日だけの父親” 役の男が、一家のアパートを訪れる場面が面白い。もともと「嘘」には反対の祖母 ネルは、当然男を歓迎せず、胡散くさい視線を投げる。母親リジーは他人行儀で堅苦しく、“父親” はどう振る舞えばいいのか戸惑って いる。場をぎこちなくよそよそしい空気がおおう。
緊張した面持ちのフランキー。彼はこの時にもう、「この人はほんとうの父じゃない」と直感したのかもしれない。子どもって大人が
考えるよりずっと物ごとをよく分っているものだ。ここで男がお土産の「魚の図鑑」を出したのはほんとに意外だった。彼はあらかじめフランキーの趣味を調べて用意していたんですね。 見かけは無骨だけど、男の優しさがさり気なく表われていてほっとする。“嘘の父親” だけど心根は嘘じゃない、そんな感じだ。 一緒に海を眺めたり、水切り遊びをしたり、町のカフェでおやつを食べたりして、2人は “親子” として一日を過ごす。無口で目は 鋭いけど温かさをたたえた男に、フランキーは父親の面影を見たのでしょう。それでも別れがすぐ来ることを知っている彼は、男が 見つけてくれた水切りの平たい石をポケットにそっと忍ばせる。いじらしくて、胸がじんとする場面です。 パーティでリジーと男がダンスをする場面が印象的だ。ずっと張りつめていたリジーの顔が和らぎ、男との間にふわりと親密な空気が 流れる。そんな2人を嬉しそうにみつめるフランキー。ほん
とうの父でなくても、“愛し合う父と母” を彼なりに味わいたかったのだと思う。帰り道、男はリジーから別れた夫の暴力のことを打ち明けられる。驚き、そして滲み出るいたわり。リジーが夫に会いに行く決心を するのは、男のうちにある優しさに触れたせいかもしれない。 別れ際の2人のキスシーンの素晴らしかったこと。一言の言葉も交わさずに、これほど情感をたたえたキスもあるんですね。戸惑い ながら、母と子に本当の愛を感じ始める男を、ジェラルド・バトラーが好演。エミリー・モーティマーもよかった。 泣けます的な映画は苦手な私だけど、少年が主人公で親子や家族の情愛を扱っているにしてはべたついたところがなく、控えめな トーンであることに好感を持った。港に座って海を見つめるリジーとフランキーの姿に、いつかまた男に会えるという希望が感じられ、 温かい気持ちになった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 最前線の野戦病院を舞台に、型破りな医師たちが繰り広げるナンセンスなドタバタを描いたコメディ。アルトマン監督の出世作と なった。 朝鮮戦争のさなか、移動陸軍病院(通称MASH)に3人の軍医(ドナルド・サザーランド、エリオット・グールド、トム・スケリット) が着任した。腕はいいが規律をまったく気にしない彼らは、従軍牧師や歯科医らを手なずけ、やりたい放題の気楽な生活を始める。 頭の固い少佐(ロバート・デュヴァル)や融通の利かないグラマー女性将校(サリー・ケラーマン)は、そんな彼らの業を煮やし、 本部の将軍に直訴するが・・・。 ずいぶん以前、テレビで同名番組が放送されていた。タイトルにくっ付いている★が気になって時々見たりしたが、今回TVシリーズの もとになった映画を見た。意外に面白かった。
オープニングの “Suicide is Painless” というテーマ曲にまずプフッときた。メロディーはとても綺麗なのに、
歌詞がふざけてる。「自殺は痛くない。それをすれば人生が変わる」。死んでから人生変わったって、・・・ねぇ。第一、主人公は人命を救うのが役目の医師なのだ。しかも彼らは腕がいい。しかし、そこは曲者アルトマン監督、手術中も彼らにジョークを飛ばさせる。余裕があるというよりは不真面目。ドナルド・サザーランドやエリオット・グールドが、「ここまでやっていいの?」と盛んにこぼしたというから、一見不敵な彼らのほうがよほどしおらしい。 朝鮮戦争を舞台にしているが、本作が当時激化の一途をたどっていたベトナム戦争を意識して作られているのは明白だ。しかし個人的にはそうした意味を読み取るより、単純に主人公たちのバカふざけに笑ってしまった。 自殺願望の歯科医の大尉のくだりはとくに可笑しかった。簡単に死ねると偽って睡眠薬を飲ませ、みなが神妙に柩(ひつぎ)に横たわった大尉に別れを告げる。テープルについた白い長衣の彼らの構図はダ・ヴィンチの “最後の晩餐” そっくり。「ほんとに13人いるかな?」とつい人数を数
えてしまった。頭の固い少佐と新任のグラマー女性少佐 ‘ホット・リップス’ の濃厚ラブシーンの生放送にも(彼らには気の毒だけど)吹き出した。ただ、彼女のシャワーを全員が見物するシーンは、女としてさすがにちょっと後味が悪かったけど。 「ジャ〜〜ン」とドラが鳴って九州・小倉が登場するのも大笑い。当時の日本への認識ってあの程度だったのね。隔世の感があります。 たどたどしい日本語の “東京シューシャイン・ボーイ”(若い方はご存じないでしょうね。戦後はやっ流行歌です) とともにたびたび流れる基地放送が時代を感じさせていいムードだ。ラストで「本日の映画は “マッシュ”、野戦病院を舞台にしたドタバタ・コメディで〜云々、出演者は〜云々」と本作の紹介をするのが洒落ていた。 ちなみに今回初めて知ったのだが、MASHとは “Mobile Army Surgical Hospital”(移動陸軍外科病院) の略で、★はMASHのサインらしい。私はマジに「マッシュ・ポテト」のマッシュと思っていた。 【◎○△×】7 |
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ストーリー トム・クルーズ主演による、人気シリーズ『ミッション・インポッシブル』第2作。 休暇中のIMFのエキスパート、イーサン・ハント(トム・クルーズ)に、司令官スワンベック(アンソニー・ホプキンス)から緊急 指令が入る。それは、元IMFメンバー、アンブローズ(ダグレー・スコット)をリーダーとするテロリスト集団に奪われた、殺人 ウィルス “キメラ” と解毒剤 “ベレロフォン” を奪還するというものだった。 早速新チームを編成したハントは、アンブローズの元恋人の女泥棒ナイア(サンディ・ニュートン)に接近を図る。 競馬場でナイアがアンブローズからディスクを盗み、それを受け取ったハントが、馬券を買うわずかな時間に、内蔵された情報を仲間 のPCに転送する場面など、前半はサスペンスの張り方やストーリーの膨らませ方がなかなか面白い。後半、ハントが巨大製薬会社 “バ イサイト” の研究所に潜入した辺りからアクションに重点が置かれて、話が急に薄くなった。 アクション・シーンは最近のようにCGでどうにでも作れるようになると、それだけで押すのはかなり難しい。こちらの感覚が馴れる というか、単調に感じてしまうのだ。結局はストーリーがどれだけしっかりしているかに行き着くが、その点で本作は少々物足りない。
アンブローズ役のダグレー・スコットは、濃いめの顔がアントニオ・バンデラスによく似ている。ナイアを艀(はし け)で迎えた時の潤んだ眼なんかなかなか色っぽい。ナイアに未練たっぷり、今も惚れているんだというのがとてもよく分かる。 ところが、彼女の裏切りを知った辺りから、そういう男と女の情緒はどこかに消えて、ただの冷酷な悪役になってしまった。 ハントのほうも事情は同じ。愛する人をみすみす敵の許に送り込まなければならない苦しみが、あんまり出ていない。ナイアを廻る 三角関係をもっとうまくストーリーに生かせたらよかったんだけどな。 本作で一番印象に残ったのは、奇妙なことに主役の3人ではなく、アンブローズの配下のスタンプだった。急に接近してきたナイアが 怪しい、と当然の疑問を口にしたばかりに、アンブローズの怒りを買って小指の先を切り取られる。演じているリチャード・ロクス バーグという俳優、シャープで抜け目なさそうな目をした男だ。今はおとなしくボスに従っているが、なにかやらかすんじゃないか、と 思わせる雰囲気を持っている。 彼が登場するたびに、ひりつく空気が流れる。いいところで裏切り劇を演じそう(といっても、ハントの味方になるという意味では ないが)、と期待していたのだが、べつにそんなこともなく、最後はアンブローズに殺されてしまった。いい味をした俳優だけど、見せ 場なしで気の毒だった。 【◎○△×】6 |
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ストーリー カンヌ映画祭でグランプリを獲得した『美しい諍い女』(91)の巨匠、ジャック・リヴェット監督が再びエマニュエル・ベアールを ヒロインに迎えて撮り上げた官能美溢れる物語。 中年の時計技師ジュリアン(イェジー・ラジヴィオヴィッチ)は、マダムX(アンヌ・ブロシェ)と名乗る女実業家の不正をネタに、 彼女を脅迫していた。 そんなある日、1年前に知り合った美しい女性マリー(エマニュエル・ベアール)と再会する。彼女は突然ジュリアンの家を訪れ、 自分が滞在するホテルでの夕食に招待する。欲望のままに一夜を共にした2人は、やがてジュリアンの家で暮らすようになるが、しばらく するとマリーは奇妙な行動を取り始める。2階の部屋に執着し、ジュリアンが入るのを拒むのだ。 マダムXから取引に応じると連絡が入り、マリーが受け渡し場所に出向くのだが・・・。 エマニュエル・ベアールって本当に不思議な女優だと思う。唇の先をつまんで引っ張ったような妙な顔で、決して美人じゃないんだ けど、なんともいえず妖しい魅力がある。ちょっとうなだれた横顔に乱れた髪がかかっている姿などは、女の私でさえぞくぞくする。 ジャック・リヴェットならずとも、監督なら彼女を使って映画を撮りたい気持ちになるだろうなと思う。 『ブッシュ・ド・ノエル』(99)のしっかり者の主婦、『8人の女たち』(02)のしたたかな悪女、など役柄でまったく違った顔を 見せるが、彼女の印象を一言でいうと猫だ。しなやかで音もなくすり寄るベルシャ猫。以前、ジャン・ギャバンの『獣人』(38)を見た 時、シモーヌ・シモンにまったく同じ印象を
受けた。こういう繊細で蠢惑的な翳りは、フランス女優特有の美しさなのだろうか。映画のラストで、マリーの記憶を失ったジュリアンは、マリーに「あなたが愛した女よ」と言われて「まさか」「君は僕の好みじゃ ない」という。でも彼は間違っている。なぜって彼はずっと猫との2人暮らし(という言い方も変だが)なのだ。彼は生活のパートナー に、犬ではなく猫を選んでいる。 何度やり直しても、ジュリアンはマリーを愛さずにおれないだろう。余裕たっぷりに「どうかしら」「すぐに分かるわ」というマリー は、それを知っているのだ。そしてそれまでの映画のトーンからは想像もつかないような軽快な音楽が流れ出して、エンドロール。 ちょっとエロティックなゴースト・ストーリーだが、エマニュエル・ベアールの気紛れで儚げな魅力が十分に出ている映画だと 思った。 ジュリアンが時計の修理職人で、古い時計の音が絶えずコチコチ時を刻むのが印象的。ちょっと幻想的な映画だが、ここだけは「現実」 がたしかに動いているという感じだ。アンジェイ・ワイダ監督のポーランド映画、『大理石の男』(77)のイェジー・ラジヴィオヴィッチ が渋く老けて、いい中年になっている。 【◎○△×】6 |
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ストーリー ダンスにまったく縁がなかったサラリーマンがいつしかその魅力に取りつかれ、人生や家庭生活をみつめ直す姿を描いた大ヒットコメ ディ。日本アカデミー賞でほとんどの賞を獲得、また全米公開でもヒットし、ハリウッド版がリメークされた。 仕事にも家族にも真面目一筋の杉山(役所 広司)は、ある日電車から、ダンス教室の窓辺に佇む一人の美しい女性(草刈 民代)を 見かけて心引かれる。ためらった末に、ついに杉山はそのダンス教室で生まれて初めて社交ダンスを習い始めるのだが・・・。 この映画のヒットでダンスを習い始める中高年が一気に増えたそうだ。たしかにダンスの伝統がない日本では、異性と身体を密着させ 腕を組んで踊るのは、なにかなし勇気が要る。まして本作の主人公・杉山は窓際に佇む美女に惹かれてのことだから、疚しさは 倍増だ。 彼がダンス教室の階段の入り口で回りをキョロキョロしたり、人目があると急になんでもない振りをしたり、散々ためらう様子は 可笑しくもあり、身につまされる人も多いんじゃないかなぁ。
窓辺の美女・舞先生が目的だった杉山が、次第にダンスの魅力に目覚め、本気で取り組むようになるプロセスが説得あるタッチで綴ら れるが、とくにカラフルで個性的な脇役陣が印象的。 初心者コースの凸凹コンビ(徳井 優、田口 浩正)も面白いが、なんといっても ハイライトはラテン人間・青木(竹中 直人)と、毒舌家の中年おばさん・高橋(渡辺 えり子)だ。 カツラをかぶり、身をくねらせて踊る青木の気色悪さったら! 竹中直人の過剰さがこれほどピタッとはまった映画もそうないんじゃ なかろうか。笑いをこらえるのに本当に苦労する。会社では似合わない背広姿でいかにも小心そうな青木だけに、踊る時の対比が効いて いる。せっかく見つけたコンテスト・パートナーに「青木さんの踊り、気持ち悪いんです」といわれて口あんぐりのシーンは、気の毒 だけどほんとに可笑しかった。 高橋に扮する渡辺えり子も絶品だ。いい加減な気持ちで踊る人は断じて許さない。口から火が吹いてるんじゃないかという勢いで、 バッタバッタとなぎ倒す。中年太りの美しくない身体に大胆な衣装をまとった迫力。弁当配達をしている高橋をほんのワンカット見せる 演出がうまいなぁ。 私は主人公の杉山やその妻(原 日出子)よりも彼らに引かれる。彼らは侘しい人生の活力をダンスから得てるんですよねぇ。ペーソス があります。切ない人たちだと思います。 たま子先生を演じた草村礼子も素敵だった。ふんわり上品で、酸いも甘いもかみ分けた佇まいのなんとも言えない味わい。濃い出演者が 多いだけに、その爽やかぶりは一服の清涼剤だ。 全体に楽しい映画だが、ラストの杉山はあんなにうじうじせずに、さっと舞先生のお別れパーティに行った方がよかったと思う。妻も 分ってくれて、タキシードまで用意してくれてるのだし。ちょっとタメの作りすぎだったんじゃないかな・・・。 【◎○△×】7 |
| Shall We Dance? |
| シャル・ウィ・ダンス? |
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ストーリー 日本本国のみならずアメリカでも大ヒットした周防正行監督の『Shall We ダンス?』のハリウッド・リメイク版。 ジョン・クラーク(リチャード・ギア)は遺言書の作成を専門にするシカゴの弁護士。最近、妻ビヴァリー(スーザン・サランドン) と2人の子供との平穏な暮らしに、なにか物足りなさを感じている。ある日、帰りの通勤電車からダンス教室の窓辺に佇む美しい女性・ ポリーナ(ジェニファー・ロペス)に目を留めたジョンは、思わず途中下車すると、ダンス教室に足を踏み入れてしまう・・・。 主人公のジョンは遺言書作成が専門の弁護士だ。弁護士というとつい法廷弁護士の華々しい姿を思い浮かべてしまうが、遺言書作成と なると相当地味な仕事なのだろう。電車に揺られてぼんやり窓外に目をやるジョンは、惰性に流された無気力なサラリーマンそのままだ。 リチャード・ギアが持ち前のツヤを消して、しょぼくれた感じを意外にしっくり出している。日々のルーチン・ワークからほんの少し 外れてみたいと思うのは、男でも女でもあることだ。ふと見上げたビルの窓際に、憂いを含んで佇む美女。ハッと目を取られ、思わず ダンス・スタジオに足を踏み入れたとしても、浮気心と言い立てるほどのことではないだろう。 ダンス教師ポリーナ役のジェニファー・ロペスは、映画を見る前は私はかなり疑問だったのだが、ピッタリはまっていたのは嬉しい 誤算だった。失恋とダンス・トーナメントの挫折による傷心を繊細な翳りで感じさせ、それでいてダンスに対しては情熱と厳しさを 見せる。
オリジナルにあった湿りっ気(これが私はちょっと苦手)がキレイに払拭されて、ジョンとの関係もベタつかない。ダンスに対して
中途半端だったジョンをシビアに導いていくところが清々しく感じられる。オリジナルとの大きな違いは、主人公の妻がおとなしいパート主婦から一流デパートの管理職の女性になったところだ。バリバリの キャリア・ウーマンで、行動力も理解力もある。 夫の行動に不審を抱くと私立探偵を雇って調べるが、熱を上げているのがダンスだと分るとサッと転換、エールを送る側に回る。物 分りよすぎて、これじゃジョンは頭が上がらないなとも思うけど、スーザン・サランドンのさっぱりした個性のせいか、嫌味では ない。 オリジナルに軍配が上がるのはもっぱら脇役陣。竹中直人のオーバーアクションはふだんは私はあまり好きでないのだが、彼の素っ頓 狂ぶりは筆舌に尽くせないほどおかしかった。さすがのスタンリー・トゥッチも適わない。渡辺えり子も憎まれ口をききながらもふっと 見せる中年女の可愛さやペーソスがなんとも言えなかった。 「小柄でひょうきん」と「大柄で太っちょ」の入門コース凸凹コンビも、一度見たら忘れられない味があった。リメーク版の彼らに 相応する登場人物たちは、おおむね大味で印象が薄い。 終盤、ビシッと決めた正装に一輪の真っ赤なバラを持ち、エスカレーターを上がってくるギアには思わず目が点になった。ストーリー からいえばこれほどカッコいい必然性はないのだが、ギアに対するボーナス・ショットかな。ラストの賑やかさもミュージカルでいえば フィナーレというところか、アメリカ的で楽しかった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 第2次世界大戦中、ナチス・ドイツ軍の誇る潜水艦U・ボートと敵軍との壮絶な闘いを、同乗した従軍記者の手記をもとにペーターゼン 監督が映画化。アカデミー賞6部門にノミネートされ、世界各国で爆発的大ヒットを記録した。 1941年、ナチス占領下のフランス、ラ・ロシェル港をナチス・ドイツの潜水艦Uー96が出航した。乗組員は艦長(ユルゲン・ プロホノフ)以下、総勢43名の若き兵士たち。従軍記者のヴェルナー少尉(ヘルベルト・グレーネマイヤー)も乗り込んでいた。 水深何メートルまで可能かをテストするなど平穏な日々が過ぎたある日、Uー96は敵艦隊と遭遇する。 “潜水艦もの” でこの映画を超えるものが今後現われるのかなぁ。限られた狭い空間の中で繰り広げられる壮絶な人間ドラマ、ほんと に感嘆した。 出港して10日ほどは何事もない日々。艦内に無為の空気が流れ始めた頃、海上に敵船団を発見する。さっそく魚雷を発射して、5隻の うち2隻に命中させ撃沈。沸き立つUー96の乗組員た
ち。と、ここまでは比較的平坦な語り口だ。ほんとうの地獄がすぐ後に控えているなんて予想もしない。一旦去ったと思われた敵駆逐艦のスクリュー音が近づき、コーン、コーンと探知ソナー音が響く。神経を研ぎ澄まし、身じろぎも しない乗組員たち。ソナーがそれほど敏感に音をキャッチするなんて、この映画を見るまで知らなかった。見えない敵、見えない魚雷 爆弾、音だけで表現された敵は、姿が見えないだけに、かえって恐怖感がある。 さらに深く潜水を続けるU96。水圧で艦がギシギシと軋む。パシッとボルトが吹き飛ぶ。ぴりぴりヒリヒリ息が詰まりそう。潜水艦の闘いは一種の神経戦だとつくづく思う。精神的にタフでないととても持たない。精神錯乱を起す乗組員も出てくる。 潜水艦が潜ったり浮上したりする時、乗組員が艦頭や艦尾に集まって重さのバランスを取ることも、この映画で初めて知った。移動の ために狭い艦内を猛烈な勢いで駆け抜ける乗組員たち、追うカメラワーク、とにかく凄い。 やっと帰途についた時、ジブラルタル海峡を突破せよという命令を受ける。ここで致命的な攻撃を受けた艦は海底まで沈む。 水深280m、重圧で気が遠くなりそうだ。いたるところから浸水し、
艦長でさえ一時は観念する。この時に浸水を止め、排水作業を完了させるのが、あの一時錯乱したヨハン(エルウィン・レーダー)という乗組員なのだ。閉塞感から 解放されたようなストレートな感動を覚えた。 印象的だったのは、十数時間ぶりに艦が浮上した時、艦長の開けたハッチの下に乗組員たちが集まって貪るように深呼吸するシーン。 それまでの長く絶望的な緊張から解き放たれた喜びが、ひしひし伝わってくる。 こうしてぎりぎりの生死を生き延びた彼らが、無事帰還した母港で空から敵機の襲撃を受け、死んでいくラストは衝撃的だった。爆撃 された愛艦の沈没を見届けて息絶える艦長、呆然と見つめる従軍記者。ペーターゼン監督が反戦映画としてこの映画を作ったのかどうか 分からないけれど、戦争の虚しさが是非もなく伝わってくる。 舞台のほとんどは密閉された潜水艦の中、登場人物は限られ、華々しい戦闘シーンがあるわけでもない。それでも艦内のさまざまな 人間模様をからめて、これだけリアルなドラマを作り上げる監督の手腕に感心させられる。2時間半付き合ってこっちもへとへとだけど、しっかり見応えがあった。 【◎○△×】9 |