| 【映画メモ】 う で始まる映画 |
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ストーリー アイルランドの小さな村タリーモアの住人ネッド(ジミー・ケオー)は、690万ポンド(12億円相当)の宝くじに当たったショック でそのままぽっくり昇天、天国へ。ネッドには身寄りがなく、賞金はこのままでは国に没収されてしまう。みすみす大金を逃す手はない と、村人52人が一致団結、ダブリンからやって来た宝くじ調査員を相手に、ねこばば計画を企てる。 ところが村の鼻つまみ者リジーが、「詐欺を通報すれば賞金の10%が貰える。100万ポンドくれなきゃ通報する」と騒ぎ出した。 本当のことがバレたら刑務所行きだ。といって今さら後には引けない。首謀者のジャッキー(イアン・バネン)とマイケル(デヴィッド ・ケリー)は一か八かの大勝負に出るのだが・・・。 タリーモアの村人の楽しみは、毎週宝くじを買い、週末の発表を待つことだ。ある日、晴天の霹靂(へきれき) の出来事が起こる。この人口わずか52人の小さな島に当選者が出たらしいのだ。 主人公のジャッキーと親友マイケルは、誰なのか懸命に探り出そうとする。住人の1人1人がお互いをよく知っている。内緒にする なんて水くさい、少しは幸運を分けてくれてもいいじゃないか、というわけだ。チキン・パーティを開いた2人が、だれ彼なしに水を 向け、互いに目配せしあう様子がたまらなくおかしい。 他愛のない当選者探しが、当のネッドがベッドでクジを握り締めたままショック死しているのが見つかってから、騒ぎが大きくなる。 ネッドには家族がいないため、このままでは高額(先週の賞金が繰り越されて、なんと12億円!)の賞金は国庫に吸収されてしまう からだ。 そんなバカな!勿体ない!なんとか手を打たないと。ジャッキーの肝入りで緊急村民集会が開かれ、マイケルがネッドになりすまして 宝くじ委員会の調査員を誤魔化すことになる。 海辺で水浴びしている2人に、ダブリンからやって来た調査員がネッドの家を訪ねる場面が面白
い。車に同乗したジャッキーは、案内すると称して、付近の森をぐるぐる無駄回りする。岩陰に隠れて姿を見られずに済んだマイケルが、その間に大急ぎでネッドの家に駆けつける。服を着る時間も惜しい。しわくちゃご 老体のスッポンポンでバイクに跨り、ヘルメットを被った姿は爆笑もの。 無事先回りして、後からやって来た調査員の質問に答える。そのうちに、当選チケットを見せてくれといわれる。2人は島はずれの 電話ボックスに置き忘れていたことを思い出す。 マイケルが話を引き伸ばしている間に、ジャッキーがバイクで電話ボックスまでを往復する。服はマイケルに貸してしまったので、 今度はジャッキーが裸だ。口にチケットを咥え必死の形相でハンドルを握る姿にまたまた爆笑だ。 村人が一致協力してマイケルを「ネッドだ」と証言し、1人2400万円を手に入れるはずの計画だが、思わぬ邪魔が入る。ひねくれ 者のリジーが、村人の詐欺を通報すれば1割の礼をもらえる、そのほうが得だ、と計算したのだ。 彼女が電話ボックスにたどり着き、あわや宝くじ委員会に電話しようという時に起こる出来事はまさに予想外。車に跳ね飛ばされて びょ〜〜んと宙を飛ぶ電話ボックス。運転するのは村の神父。ネッドの姓ディヴァイン “Devine” は「神の恩寵」「神の意思」 を意味する “divine” と同じ発音だ。イギリス的な皮肉の効いたユーモアにニヤリとさせられる。 主役2人を演じるイアン・バネン、デヴィッド・ケリーがじつにいい味。とくにデヴィッド・ケリーは、細い目がずるそうだったり、 小心そうだったり、時には律儀にも見えて、見ていて少しも飽きない。 ネッドの葬儀を営んでいる最中に、教会に調査員が現れる。狼狽する村人たち。ジャッキーは急遽、死んだのはマイケルということに する。ムッとするマイケル。 お構いなしにジャッキーは2人の長い友情を振り返り、哀悼の言葉を述べる、「ともに笑い合えば、我らの日々は青春だった」と。 親友への真情があふれ、マイケルの細い目にもじわっと涙が浮かぶ。思わずほろりするいい場面だ。 芸達者なベテラン俳優ぞろいだが、馴染みのない顔ばかり。それでもとても面白い映画だった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー ヨーロッパが第一次世界大戦で荒廃していた1917年。ウェールズの小さな村を2人のイングランド人測量技師が訪れる。ガラード (イアン・マックニース)とアンソン(ヒュー・グラント)、2人の目的は村の誇り、フュノン・ガルウの山を測量することだ。 ところが測量の結果、山の基準には6メートル足りず、丘に過ぎないことが判明する。村は大騒動。大切な山を “丘” と言われた 村人たちは、一致団結して6メートル分の土を積び、丘を “山” にしようとする。 クリストファー・マンガー監督が故郷のウェールズ南部地方に伝わるという話を温かいタッチで描いたヒューマン・コメディ。 村にある “山” が高さが若干足りなくて、じつは “丘” だった、というのは端(はた)から見れば、どっちだっていいようなこと だ。ところが村の人たちにとっては “プライド” に関わる大問題、村中総出で土を運び、山にしようと躍起になる。
で話を本作に戻すと、第一次大戦の勃発で全国の正確な地図を作る必要が生じ、測量技師が国中を測量して回るのだが、その時に設け られたのが、305m以上が “山” で、それ以下は “丘” という基準だ。 ウェールズ人にしたらこれはイングランドが決めたことで、自分たちが “山” だと思っているものを勝手に “丘” にされたら たまらない。なにしろこの “山” は、かつて外敵(つまりイングランド人)から彼らを守ってくれた大切な山なのだ。それを “丘” だ なんてとんでもない、というわけだ。 しかし村人たちは異議を唱えたりはせず(勝負にならないのは初めから明らかだし)、イングランドの基準に合わせて “山” で あることを証明しようとする。いじらしいと言うか愛らしいと言うか。初めは「捏造だ」と反対していた老牧師(ケネス・グリフィス) も、いつの間にか「それが神の意思だ」と自説を変える。 こんな調子でほのぼのと素朴に山造りが始まるが、大した事件も起きない。せいぜい2日目に
雨が降り出したことくらいだ。ところがこれがなまなかな雨ではない。豪雨といっていい激しさで3日も4日も降り続く。せっかく盛った
土はどんどん流れるし、技師たちは次の測量地へ出発しようとするし、村人たちはなんとか彼らの足を引き止めようと知恵を振り絞る。技師の1人、アンソンに扮するのはヒュー・グラント。雨が上ると、中年技師ガラードが酒に酔いつぶれている隙に、村人たちと 一緒に土を運び始める。村人の “山” に対する心情を理解したからだが、もちろんそれだけではない。 “好色” モーガン(コルム・ミーニイ)の策略にまんまと引っかかり、カーディフからやって来たベティ(タラ・フィッツジェラルド) にぞっこんになってしまったのだ。英国紳士の香りと適度なユーモアを持ったこういう役が、彼はほんとによく似合う。 こうして “丘” はみごと基準をクリア、“山” に昇格する。第一次世界大戦でウェールズは窮乏と疲弊が増し、村には戦争神経症に なって帰還する若者(イアン・ハート)もいる。そんな時代背景もさり気なく描き込まれるが、のんびりした味わいは何とも捨てが たい。 映画のラストに、「この映画の撮影のために測量し直したら、なんと、3m低くなって “山” はまた “丘” になっていた」という オチがつくのも私のお気に入り。愛すべき小品だ。 【◎○△×】7 |
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ストーリー ニューヨークでビジネスを成功させ、市民権も得ている台湾出身の青年ウェイトン( ウィンストン・チャオ)は、白人の恋人サイ モン(ミッチェル・リヒテンシュタイン)と同棲している。故郷の両親(ロン・ション、グア・アーレイ)にはゲイであることを言えず、 2人を安心させるため、グリーンカードがほしい上海出身の女性ウェイウェイ(メイ・チン)との偽装結婚を思いつくのだが・・・。 奇妙な三角関係を交えて、家族の関係をコミカルに描いたヒューマン・ストーリー。ベルリン国際映画祭にて金熊賞を受賞。 ニューヨークに住む台湾人のウェイトンは市民権を得てビジネスも順調だが、ゲイであることを故国の両親に隠している。父親の健康が 思わしくないことを知り、結婚をせっつく両親を安心させるために、上海出身の不法入国者ウェイウェイとの偽装結婚を思いつく。彼女 はグリーンカード(労働許可証)を取得できるし、一挙両得のつもりだった。
ところが両親は張り切ってはるばるアメリカまでやって来る。仕方なく役所で結婚式を済ませるが、両親は大ショック。ひょんなこと
から豪華な披露宴をしなきゃいけなくなると、両親は大満悦だけど、今度はウェイトンが複雑だ。こんな具合で、両親が一人息子の結婚に描く夢と、現実のウェイトンとのズレがいろんなところに現われて、笑いを誘われる。 それにしても、中国系の結婚披露宴のド派手なこと! これってやっぱり国民性だろうか。その上、部屋まで大挙押しかけて、トコトン 乱痴気騒ぎを繰り広げる。ぜんぶが終わった時の新婚カップルの疲れきった顔には笑ってしまった。 ウェイトンとウェイウェイはこの夜、はずみで関係してしまい、ウェイウェイは妊娠してしまう。健気に縁の下の力持ちをつとめてきた ウェイトンの恋人サイモンも、さすがにこれにはブチ切れし、3人の間に口論勃発。英語の分らない母親は「なに? なんなの?」という 感じだが、父親が「お前は黙んなさい」と妻を制する。俯いてじっと耳を澄ます。じつは父親は英語が多少分るんですね。この辺りから、 ストーリーの主役は完全にこの中年夫婦に移ります。 嫁の妊娠を知った母親は、息子夫婦が中絶しようとしているのを察すると、病院には行かせまいと必死になる。あたふたと転がるように バッグを取りにもどる姿は、滑稽なのに、とっても切な
い。息子にゲイであることを打ち明けられた母親は夫には秘密にし、父親も知っているけど素振りに出さない。気の好い母親を演じたグア ・アーレイもよかったけど、父親を演じたロン・ションは一本芯の通った頑固親父がほんとによく似合う。 台所で黙々と皿を洗う背中なんて、寡黙だからこそ滲み出る愛情に、胸がきゅっとなる。海岸べりでサイモンと交わす会話、空港で彼を ねぎらい息子を託す態度、終盤ぐんと存在感を増した父親です。 両親が搭乗口に向かいながら交わす「幸せよ」「私もだ」というさりげない会話がいい。息子がゲイであろうとなかろうと、子どもの 幸せを願う親の愛に変わりはない。若い3人は、生まれてくる子どもを中心に新しい関係を築いていくようだし、コミカルに始まり、最後 は親子・家族の深い絆が感じられる、いい映画だった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 天国のと地獄の使者が、地上にいる一人の男の魂をめぐって様々な駆け引きを繰り広げる奇想天外なコメディ。監督は『死んで しまったら私のことなんか誰も話さない』で衝撃のデビューを飾ったアグスティン・ディアス・ヤネス。 地上は暴力や犯罪が増加で善い魂が激減し、天国は破産寸前に追い込まれていた。そんな中で、地上では今まさに2流ボクサー、マニ (デミアン・ビチル)が死を迎えようとしていた。天国の作戦本部に、母親の「息子の魂を救ってほしい」という願いが届く。 本部長マリーナ(ファニー・アルダン)は、天国一のクラブ歌手ロラ(ヴィクトリア・アブリル)を、マニの妻に扮して彼を天国へ 導く工作員として地上に送り込む。地獄も負けてはいない。司令部は囚人相手のウェイトレス、カルメン(ペネロペ・クルス)に、 ボクサーの従姉妹に成りすまして彼を地獄へ連れてよう指令を下す。 しかし彼女は実力者ダヴェンポート(ガエル・ガルシア・ベルナル)から密かに別の使命も与えられていた。 冒頭で、これから強盗を働こうというロラとカルメンの交わす “神” 談義が面白い。神がこの世の悪を正そうとしないのは「勇気が ないからだ」「それなら神は臆病者だ」「勇気があるのにしないなら、神は悪党だ」「両方なら、臆病者で悪党ということになる」と いうような会話を交わすのだ。“神” を「臆病者で悪党」と断じる台詞には初めて出会った。 もっとも映画では “神” は連絡を取ろうにも所在不明、仕方ないので “神” 不在のまま、天国・地獄それぞれの生き残りをかけた “死者の魂” 争奪戦が繰り広げられる。 スペイン映画って、時々思いもかけない発想に出会って驚かされる。本作も、地上は人心が荒れて天国に来る魂が激減し、「倒産寸前」 に追い込まれているというのだ。頼りの天国のオーナー “神” もあまりのことに雲隠れしてしまったらしい。「そうかぁー、天国 維持するのも大変なんだ」と
妙に納得。天国も地獄も魂招致の「作戦本部」があり、「財務担当」がおり、地上には「工作員」が派遣される。この世と同じ仕組みになって いるところが世知辛くて、笑いを誘われる。 どう見ても善行よりは悪行のほうが多そうな2流ボクサーの魂がどうしてそんなに大事なのか、については「些細なことが大きな 変化を起こすことがある」という台詞であっさり片付けられる。こういういい加減さもスペイン映画の魅力の1つだ。 天国はモノクロだが、地上と地獄はカラー、ただしどちらも同じ色調だ。せっかく公用語が、天国はフランス語、地上がスペイン語、 地獄は英語(!)、魂の審判をする裁判所はラテン語、と分けているのだから、地獄は地上とは違う色合いに染めてもよかったんじゃ ないかなぁ。それとも、「地上」は「地獄」と変わらない、という皮肉だろうか。 ペネロペ・クルスが素敵だ。彼女はもともとは寂しい顔立ちをしているが、化粧によってはどきりとするほど濃厚な雰囲気になる。 『ブロウ』(01)でびっくりしたものだが、本作もケバい化粧がすごくよく似合う。 蓮っ葉な口調、男っぽい仕草(あとでこれがちゃんと種明かしされる)がとてもかっこいい。黒スーツ姿で鏡の前で1人ステップを 踏む彼女には、つい見惚れてしまった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 世界経済の中心地、ニューヨーク・ウォール街を舞台に、野望を抱く証券マンの夢と成長を描く。マイケル・ダグラスがアカデミー 主演男優賞を受賞した。 一攫千金を夢見る若き証券マン、バド・フォックス(チャーリー・シーン)は、勝れた頭脳と度胸で巨万の富を築いたゴードン・ ゲッコー(マイケル・ダグラス)に憧れ、必死に接近を図る。 ゲッコーに取り入ったバドは、彼のためにインサイダー取引に手を出し、莫大な報酬を得る。ゲッコーの女だったダリアン(ダリル・ ハンナ)も手に入れ、成功に酔いしれるバドだったが、ある時、父・カール(マーティン・シーン)がて働く航空会社がゲッコーの 傘下に入り、潰されようとしていることを知る。 いつだったか、テレビで、インターネットを使って株の売買をするアメリカの一般投資家たちのドキュメントを見たことがある。秒 単位で株の値が動き、一瞬の遅れが何十万、何百万の損につながったり、反対に、一瞬早く手を打ったことが何十万、何百万の儲けに なる。これじゃ、うかうかパ
ソコンの前を離れることも出来ない(尾篭(びろう)な話だが、トイレにもいけない)、と見ていて息が
つまった。株の仕組みが全然分からないせいもあるが、損した儲けたといっても現実にお金が目の前にあるワケではないし、第一、「額に汗して 稼いだ」という実感のない金は、泡の上で踊っているような心許なさというか、空しさがありはしないか、と思ったものだ。 本作の証券マンが株値の動きで顧客に売りや買いを勧める様子や、ゲッコーが贅を凝らしたオフィスからひっきりなしに電話で指令を 飛ばす様子など、まさにその時のドキュメントを彷彿とさせる。生き馬の目を抜くような業界の描写が興味深い。 情報を制するものが時代を制するのは今に始まったことではない。戦国時代でも “忍び” という情報のプロをいかに上手く使うかが 戦いに勝つ鍵だった。ただこれまでは、“もの” という、手で触れ目に見ることが出来る “実体” との均衡が取れていたが、今は 情報の力が巨大になりすぎて、そのバランスが崩れてしまっている。私が不安を感じるのはもっぱらその辺にある。
ゲッコーは向上心や探究心も本能的・生理的欲求も野心も、すべて “欲”という言葉で括って「欲望は正しい」というけれど、これは
はっきり言って詭弁だと思うなぁ、私。彼は単なる拝金主義者だと思う。でもそういう人の皮膚感覚にまで沁みこんだ金銭感覚はすごい 説得力を持つらしい。テルダー製紙の株主総会でのスピーチを見ていると、彼のカリスマ性がよく分かる。金銭と引き換えに何か大切な ものを失っていないか、と思う私は古い人間なのかもしれない。 一徹者(いってつもの)のカールが「人の作ったものを売り買いするだけじゃなく、たまには自分で作って みろ」と息子のバドを一喝するのは、いかにも身体に汗して働く労働者らしい言葉で共感を覚える。バドが父親の生きかたに価値を見出す 結末は映画としては甘いかもしれないが、ゲッコーに「見どころがあると思っていたのに」といわれて、「僕は僕だ」と応える彼にほっと したのも事実だ。 いかにも悪辣なやり手の大資産家という感じのマイケル・ダグラスと、実直だけど一筋縄ではいかない頑固親父そのまんまという マーティン・シーンが、対照的で面白かった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 上田秋成の短編集「雨月物語」をベースに、「蛇性の淫」「朝茅が宿」の2編を取り上げて映画化。 戦国時代、琵琶湖畔に住む陶工の源十郎(森 雅之)は、義弟の籐兵衛(小沢 栄)を連れて、作った焼き物を売りに町に出る。品は 飛ぶように売れ、源十郎は妻の宮木(田中 絹代)や息子に小袖や様々な土産を買って帰るが、立身出世を夢見る籐兵衛とは離れ離れに なってしまう。 再び町に出た源十郎は、焼き物を買いにきた美しい女・若狭(京 マチ子)と老女・右近(毛利 菊枝)に出会い、二人に案内されて 朽木屋敷に赴くのだが・・・。一方、念願の侍に出世した籐兵衛は、遊女に落ちぶれた妻・阿浜(水戸 光子)に再会する。 洋の東西を問わず、中世、古代を舞台にした物語に私はとても惹かれるヘキがある。どんな不思議なことでも起こりうるし、起こって も許される気がするのだ。上田秋成の【雨月物語】もそんな訳で中学生時代、よく読んだ本の一つだ。 母親に「夜更かししないで、さっさと寝なさい」と叱られるので、電気を消して、布団にもぐり込んで、枕元のスタンドをつける。 暗い部屋に小さな丸い明りだけ。こんな状況で読むから、【吉備津(きびつ)の釜】なんて怖くて怖くて、風が 吹いて雨戸がガタッと小さく音を立てるだけで、飛び上がったりしたものだ。 映画を見ると【蛇性の淫】はこんなにエロティックな話だったのか、と今更に驚いている。少年少女向けに書かれた本はその辺りは 適当に誤魔化していたのだろう、幽霊に取り憑かれた哀れな
男の物語という印象だった。若狭を演じる京マチ子が本当に美しい。能を思わせるような、滑るような動きが、いかにもこの世ならざる感じ。流麗。 肉体派と言われている京マチ子にしては、若狭がいかにも儚い感じなのに対して、毛利菊枝が扮する老女・右近は、もう、迫力満点の 怖さ。彼女の思いは一言でいえば、「セックスを知らずに死んだ姫さまが哀れ」に尽きるが、性の悦楽こそがこの世のすべて、といわん ばかりの老女の “性への妄執” が感じられて、なんとなくゾッとする。 彼女自身がセックスを知らずに死んだ女だったのかしらん。叶えられなかったこの世への未練を、女主人に仮託した老女・右近。若狭も 源十郎も、彼女の我執に取り憑かれた操り人形のようにも見えてくる。 【朝茅が宿】は、縫い物をしながらあばら家で夫を待つ宮木の霊が果敢(はか)なく物悲しく、少女の私が もっとも引かれた物語だった。それが映画では、「色や欲に眼を取られず、真面目に働くのが一番」みたいな教訓譚になっており、 ラストで少々がっかりした。 それとも、もともと原作はこういう話だったんだろうか。死んだ後まで、霊がその辺にうろうろ残って説教垂れるのは、個人的には 勘弁してほしいが、「見守ってくれている」と安心する人もいるだろうから、一概には言えないのかな。 源十郎や藤兵衛らが乗った舟が霧に包まれた湖面を進んでいくシーンが、夢幻のように美しい。中学生時代に【雨月物語】に抱いた 怪異潭、幻想潭のイメージがもっとも強く感じられる場面だ。 【◎○△×】7 |
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ストーリー アルコール中毒患者の週末の行動を克明に追うことで酒への飢渇状態と苦悩を描き、作品・主演男優・監督・脚本の4部門でアカデ ミーを獲得した。 売れない作家のドン(レイ・ミランド)は同居中の兄ウィック(フィリップ・テリー)や恋人ヘレン(ジェーン・ワイマン)の懸命の 努力にもかかわらず、アルコール中毒から脱けだせずにいる。 ある週末、ウィックは酒のない10日間を過ごさせようと、田舎の休暇を計画するが、ドンは隙を見て家政婦の金をくすねると、その まま行きつけのナット(ハワード・ダ・シルヴァ)のバーで酒に溺れてしまう。 この映画が、ドンが酒を手に入れることに腐心する様子だけをしつこいくらいに描いているのが意外だった。アル中が主人公の映画と いえば、本人の苦悩及び酒を止めさせようとする家族との葛藤や修羅場がかならずある、という先入観が私の中にあったせいだ。 もちろん、本作にもドンの兄や恋人という、彼の立ち直りに献身的に努力する人たちが登場は
するものの、兄は比較的早い段階で退場するし、恋人も、回想場面や時おり心配して訪ねてくるのを除けば、終盤までほとんどストーリーにからまない。ドンは冒頭から、兄が計画してくれた田舎での健康な週末を過ごす準備をしながら、もう酒瓶を荷物に忍ばせる工夫を始める。それが 失敗すると、掃除や洗濯をしに来る家政婦の給金をちょろまかし、見知らぬクラブで隣に座った女性のバッグから金を盗み、作家として もっとも大事なタイプライターさえ質に入れようとし、自分に惚れているらしい酒場女に金を無心し、・・・と恥も外聞もなくあらゆる 手段で酒を買う金を手に入れようとする。 その合間には、部屋の本棚、ベッドの下、クローゼット、掃除機、冷蔵庫、と考えつく限りのところを探し回る。 依存症の治療は、酒に限ったことではないけれど、本人が止める決意をしないことには始まらず、その決意も ‘底’ をつかないと 本物ではないそうだ。‘底をつく’ とは具体的にどういう状態かよく分からないが、とにかく壮絶なものらしい。 ドンが階段から転げ落ちて脳震盪を起し、担ぎ込まれたアル中専門の病棟がすごくリアル。症状が進んで幻聴・幻覚が現われ、夜に なると怯えて騒ぎ出す患者たち。なかでも、ゴキブリが体中を這い回る、と手足を振り回す患者は、彼の体感を想像するだけで恐ろしい。
病棟を逃げ出したドンにも、ネズミとコウモリの幻覚が現われる。これで ‘底’ をついたのかはまだ分からないが、とりあえず治療の
端緒には付けるかもしれない。映画はここで急転直下、ハッピーエンドとなるけれど、実際にはこれが長い長い ‘回復’ の道程(みちの り)の第一歩ということになる。 アル中に ‘治る’ ということはないそうだ。あるのはただ、断酒という ‘クリーン’ な状態を一日一日と積み重ね、その期間を できるだけ長くすること。10年間クリーンでも、ある日「もうだいじょうぶ」と飲んだたった一杯で、あっという間に元にもどって しまうという。本人はもちろん、家族にとってもほんとうにつらい病気だと思う。 窓から吊り下げられた酒瓶がカーテンと一緒に揺れるシーン、電灯の笠に隠した酒瓶が透明なシルエットで天井に浮かび上がるシーン など、すぐれた映像にワイルダー監督の才気を感じた。 【◎○△×】7 |
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ストーリー アジアの3人の監督が競作したホラー・オムニバス。 【cut】 若くして成功を獲得した若手映画監督のリュ(イ・ビョンホン)。ある夜、彼がいつものように帰宅すると、見知らぬ男 (イム・ウォニ)に妻が拘禁されていた。見ず知らずの子どもも人質にされており、男はリュに恐ろしい選択を迫る。 【box】 雑居ビルの一室を仕事場にした美貌の女流小説家・鏡子(長谷川 京子)は、幼い頃の残酷な思い出を胸に秘めていた。 かつて彼女は、父親代わりの男・曳田(渡部 篤郎)に連れられて、双子の姉と見世物小屋の奇術に出ていたのだが・・・・。 【dumplings】 元女優のリー夫人(ミリアム・ヨン)は冷え切った夫(レオン・カーフェイ)の愛を取りもどそうと、ある 女の部屋を訪れる。大陸からやってきた謎の女メイ(バイ・リン)の作る餃子は、食べると若さと美貌が甦ると評判だった。早速効果が 出始めるが、ある日、リーはその中身を知ってしまう。 『オールド・ボーイ』のパク・チャヌク監督、『中国の鳥人』の三池崇史、『花火降る夏』や『リトル・チュン』のフルーツ・チャン 監督、と私としてはちょっと気になる3監督の競作、それにタイトルにも惹かれるし・・・。で感想だが、グロテスクさが濃くて ちょっと気分が引いた。
冒頭の【cut】は学歴・才能・仕事の成功・美しい妻、とすべてに恵まれた男が、「その上性格まで良過ぎるのはけしからん」と
逆恨みされる。この設定はけっこう面白い。「そんなことで怨まれても・・・」と思う一方、そんな男がいたら確かに腹が立つかも、
とも思う。どんなことで人の怨みを買ってるのか、世の中分からないものだな、とヒヤリとしたりもする。主人公の監督が、押し入った男の正体をなかなか思い当たらないのが笑わせる。これは男にしたらかなり腹が立つかも。毒のある ユーモアはパク・チャヌク監督らしいが、ただ、やたら血がどくどく流れるのが・・・。あとの話にまで血の赤い色がちらついて参って しまった。5点。 次の【box】が個人的には一番好きだった。がらんと広い部屋の一隅に置かれた机、青いドレスの美貌の作家、雪原に立つ1本の樹、 その根元で穴を掘る男・・・、寒々した中に謎めいた空気が
立ちこめる。赤いテント小屋でバレーを踊る双子の少女、身を屈して小さな箱にすっぽり入ると、男が蓋をして鍵を掛ける。黙って見つめる怪しげ な客たち。作家・鏡子の秘められた過去と、彼女が見る悪夢が交錯し、耽美的なエロティシズムが立ち上がる。とくに、少女にそっくり の人形が、顔の見えない男に頭をねじ折られ、ビニールの中に押し込まれるシーンは恐ろしい。 ベッドに寝かせた等身大の人形に、「姉とは生まれた時から離れたことはない」と語りかける鏡子から、一気に狂気が吹き出る感じだ。 曳田をめぐる近親相姦的な愛が日本的な静寂の中に展開されて、かなり怖い話だった。7点。 最後の【dumplings】はある程度予想のつく内容だが、あんまり気色のいい話ではない。餃子のコリコリいう音が耳につき そう。怖かったのは、ホームパーティでみんなが「変な臭いがする」「な
にか腐ったみたいな・・・」と言い出した時、主人公のリー夫人がはっと自分の首筋を押えるところ。そこから彼女の身体が腐り出して
いるんじゃないか、と一瞬思ってしまった。中国という底の知れない古い歴史を持つ国なら、こんな商売も高人貴人の機嫌取りのために行われていたんじゃないか、とさえ思えて くる。 メイ婆を演じるバイ・リンが変わった個性で面白い。あまりにあっけらかんとしていて、見ているうちに、若い女の皮をかぶった 老婆に見えてくる。最後の、天秤棒を担いでひょこひょこ去っていく後ろ姿が陽気な妖怪に見えた。毒の強い話だけど、彼女の軽快さで かなり救われたと思う。6点。 【◎○△×】6 |
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ストーリー 『春夏秋冬そして春』の韓国の鬼才キム・ギドク監督がベネチア国際映画祭で監督賞をはじめ4部門を受賞したラブストーリー。 独占欲の強い夫によって家に閉じ込められ、抜け殻のような生活を送るソナ(イ・スンヨン)のもとに、ある日、一人の青年テソク (ジェヒ)が現われる。彼は留守宅を見つけては侵入し、ひと時そこで暮らすという放浪生活を続けていた。留守宅と思って忍び込んだ 豪邸に、ソナがひっそり住んでいたのだ。 夫(クォン・ヒョコ)に虐げられた悲惨な暮らしを目の当たりにしたソテクは、彼女を連れ出し、2人で留守宅を転々とする暮らしを 続けるが・・・。 若者がバイクでやってきて、各戸の扉にチラシをはさんでいく。ありふれた朝の光景。午後になると同じ若者がやってきて、チラシの 有無を確かめる。そのままになっている家があると、鍵を細工して開け、中に滑り込む。「あー、コソ泥だったのか」と納得し かかるが、様子がちょっと違う。
我が家にいるように、若者は好きなCDをかけながら食事を作り、掃除機をかけ、シャワーを浴びて、洗濯物を干す。他人の家に入り込みながら、気楽で楽しそうな若者テソク。ユーモラスで風変わりな出だしに意表を衝かれる。テソクは洗濯機を使わない。浴室にしゃがんで、洗濯板でごしごしやる。所帯じみた格好には、ポワンと生まれた泡がふうわりふくら んでいくような幸福感がある。ソナも、テソクと一緒にこの暮らしをするようになると、洗い物はやはり洗濯板を使う。 テソクがソナで、ソナがテソク。浴室にしゃがんでごしごしやる2人は、まるで離れ離れの分身がやっと出会って一体になったみたい だ。映画にはこうした不思議な感覚がずっと付いて回る。 テソクが投獄されると、強引に夫の元に連れ戻されたソナは、ある日、見知らぬ家にやって来て、居間のソファで寝てしまう。前庭で 蓮の花の手入れをしていた若い主人は驚くが、止めはしない。蓮の花の下で赤い金魚がひらひら泳ぐ。やがて妻が帰ってくる。彼女も夫が「シー」と口に手を当てると、頷いて、ソナをそのまま寝かせておく。 ・・・この場面を見て、私は、この若夫婦は中国の古説話に出てくる “桃源郷の住人” に違いない、と思ってしまった。それほど 2人はのどかだし、家も古代韓国の大人の住まいのようにゆった
りと古雅な趣きがある。出所したテソクもこの家にやって来る。しかしもはや若夫婦には彼の姿は見えず、“気配” を感じるだけだ。ソナと永遠に いられるための術を獄中で会得したテソクは、とうとう半分桃源郷の住人になってしまったのだ、と私は思った。 考えると、何1つ盗まず、家をきれいに整頓していなくなるテソクは、侵入された家の住人にしてみたら、初めから気配だけの存在 だったのだと思う。そしてソナとの愛を成就するために、最後にはとうとう彼は本当に “気配” になってしまった。 このあとソナは(私の想像だけど)夫の家を出て、以前テソクとしていた放浪の暮らしを1人で始めるんじゃないかしら・・・。 もちろん “気配” となったテソクがいつも一緒だ。そうしてやがてソナも“ 気配” になって、2人して桃源郷に入っていく のだろう。 幸せと悲しみが混ざり合った静謐で透明なラブストーリー。ギドク監督はなんと不思議なファンタジーを紡ぎ出したのだろう。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 大統領選挙直前、再選を狙う大統領にセクハラ疑惑が発覚し、メディアに漏れる。大統領の側近のウィンフレッド(アン・ヘッシュ) は、国民の目をスキャンダルから逸らすために、フィクサーのコンラッド(ロバート・デ・ニーロ)と情報操作をすることにする。 コンラッドはハリウッドの大物プロデューサー、スタンリー(ダスティン・ホフマン)にプロデュースを依頼、アルバニアに戦争が 勃発したというシナリオを作り上げる。最新のデジタル技術を駆使して作られた映像は国民にショックを与え、いち早く「303特殊 部隊」を派遣した大統領の支持率は急上昇する。すべてはうまく運んだように思えたが・・・。 当時のクリントン大統領のセックス・スキャンダルとその後のイラク戦争が重なったこともあって、アメリカで大ヒットした。 再選を狙う現大統領に致命的なセックス・スキャンダルが起きる。大統領スタッフたちは世論の目を逸らすためアルバニアに架空の 戦争をでっち上げる。 戦火の町を子猫を抱えて逃げまどう少女の姿が、スタジオの中で作りだされる。実写部分は走る無名の少女タレント(キルスティン・ ダンスト)の姿だけ。背景の町や猫は写真を組み合わせ、バックの銃声も合成される。しかし、「ただいま現地からフィルムが届き ました」とテレビ報道されるその映像は、まるで本物そのものだ。 映画プロデューサー、スタンリーのセリフに「湾岸戦争の爆撃シーンはスタジオで自分が作ったものだ」というのがあるが、たしかに あの戦争以来、戦争すらゲームのようなある種の非現実感が生じ、怖いと思うことがある。 気がつくと、テレビ報道された戦闘シーンのあれこれを思い返して、「本当にあれは本当の映像
だったんだろうか」と思ったりしている。“嘘” でもみんながそうだと信じれば、“真実” になる。実体なんてなくったっていい
のだ。そういう意味で、この映画も絵空事を描いているとは思えないリアリティがある。情報が世界を動かす強大な力と化した現代の 恐さを、見ていてつくづく感じる。 自分の有能さを示すいい機会とばかりに、嬉々としてシナリオを作り出していくプロデューサーの自己愛的な感覚や、邪魔になれば 彼を始末するフィクサーの黒子的な冷静さも、いかにも現代的な怖さを感じさせる。 コワイを連発してしまったが、映画はアメリカものらしく肩の凝らない娯楽作品だ。レイプ殺人で服役中の凶悪犯(ウディ・ハレル ソン)を、本人の知らぬ間に捕虜となった戦争の英雄にでっち上げ、(幸いにも?)本人が死ぬと国葬ばりの葬儀を行って全国中継 する。なりふり構わぬ騒ぎには大いに笑わせられた。 プロデューサー役のダスティン・ホフマンもよかったが、正体不明のフィクサー、コンラッド・ブリーンに扮したロバート・デ・ ニーロがいい。いつものギラギラしたところがなく、抑え気味の演技のなかにじわじわ凄みが出てくる。大したものだ。 【◎○△×】7 |