HOME50音表シネマTOP




【映画メモ】  で始まる映画



追いつめられて

1987年  アメリカ  114分
監督 ロジャー・ドナルドソン
出演
ケヴィン・コスナー、ジーン・ハックマン
ショーン・ヤング、ウィル・パットン

  ストーリー
 海軍の連絡将校トム・ファレル(ケヴィン・コスナー)は、大学時代の友人スコット(ウィル・パットン)の招待で出かけたパーティで 、美しい女性スーザン(ショーン・ヤング)と出会い恋に落ちる。彼女は国防長官デヴィッド・ブライス(ジーン・ハックマン)の愛人 だった。
 彼女の行動に不審を抱いたブライスは、嫉妬心から過ってスーザンを殺してしまう。秘書のスコットは、犯人はソ連のスパイ “ユー リ” という筋書きを作り、ファレルに捜査を依頼するが、出てきた重要証拠が自分を犯人と指し示していることにファレルは驚く。

  一口感想
 “デジャ・ビュ”(既視感)という言葉があるが、この映画でその感覚を体験したのが面白かった。最初にそんな感じを持ったのは、 ファレルが2人の殺し屋に追いかけられて、道路脇のくぼ地の木に飛び移った時だ。下から仰ぐ角度でファレルの白い制服と緑の葉の 対照が鮮やか。「う? この光景、知ってる」と思った。
 スーザンが「ベッドを貸して」と女友達の部屋に入る時に、着ていた毛皮のコートをはらりと落としたら中は全裸、というシーンも「あ、どっかで見たことある」。もっともその時はまだ漠然とした印象。どちらも「アメリカ的な絵柄だな」と思っただけだった。

 もっと切実に「あれ?」と思ったのは、ファレルが国防省内で、事件担当者に付き添われて太った男がやって来るのを見て、「あ!」と 廊下の角に身をひそめる場面に遭遇した時だ。
 退勤時間に職員が出入り口のところに足止めを食って、押し合いへし合いしている場面も、どうも記憶がある。初めて疑問が湧いた。
 それにしてはタイトルも出演者も全然覚えていない。ケヴィン・コスナーとジーン・ハックマン・・・。ふ〜〜む。でも、ジョージ・ ズンザ扮する国防省のコンピューター技師が、体育館みたいなところでスコットに友人のファレルのことを相談する場面で、「あ、この 男、たしかこのあとこっちの男に殺される!」と思ったら、ほんとうにそうなった。
 ということは、やっぱりこの映画一遍どこかで見てるんだ・・・。

 映画もそこそこ面白かったけど、私としてはむしろ、一度見た映画のどこが記憶に残り、どこを忘れてしまうのか、に興味を覚えた。 たとえば、オープニング早々の、ファレルとスーザンのタクシー内のラブシーンはかなり濃厚なのに、きれいに記憶から抜けて、その後の 「コートはらり」のほうを覚えている。
 写真再生のコンピューター処理でファレルの顔が少しずつモニターに現れてくる場面や、ファレルが通気用の孔から天井に隠れて捜索の 目を逃れる場面など、今回かなりハラハラドキドキした場面だが、それは記憶に残っていない。ソ連のスパイ “ユーリ” をめぐる ラストのオチはまったく思いがけなかったのに、これも覚えていなかった。

 つらつら考えるに、どうも覚えているのは私にとって “思いがけないことが起こった場面” で、“ある程度なりゆきが予想できる 場面” は忘れてしまっているらしい。ラストのオチはもっと伏線を張り、じわじわ疑惑を高めてぱっと真相を明らかにする、という風に でもしたら、記憶に残ったんじゃないかな。取ってつけたような感じしかしなかったのがもったいない気がした。
  【◎△×】6

▲「上に戻る」





黄金の腕

1955年  アメリカ  115分
監督 オットー・プレミンジャー
出演
フランク・シナトラ、エリノア・パーカー、キム・ノヴァク
アーノルド・スタング、ダーレン・マクギャヴィンbr>
  ストーリー
 麻薬問題がテーマだったために検閲騒ぎが起きたネルソン・アルグレンの小説の映画化。 全編に流れるバーンスタインのテーマ曲が パワフルな魅力を作り出している。
 “黄金の腕を持つ男” と呼ばれる賭博カードのディーラー、フランキー(フランク・シナトラ)は麻薬対策病院で6ケ月の治療を 終えて町へもどってくる。堅気の仕事をしようとするフランキーだが、暮らしの不安が先に立つ車椅子の妻ゾシュ(エリノア・パーカー) は反対する。親身に心配してくれるのは酒場の女モリー(キム・ノヴァク)だけ。
 そんな彼に麻薬の売人ルイ(ダーレン・マクギャヴィン)が影のように付きまとう。

  一口感想
 一度聞いたら脳裏にしみこんで離れないのが、あのドスの利いたテーマ曲。私はてっきりギャング映画とばかり思っていた。薬物中毒を 扱った人間ドラマとは意外だった。とくに、フランキーの起 した自動車事故が原因で車椅子生活になった妻ゾシュの存在に興味を引かれた。

 施設での半年間の治療を終えて帰って来たフランキーは、治療の過程で覚えたドラムの腕を生かしてバンドマンになろうとする。親友の スパロー(アーノルド・スタング)や階下に住む女給のモリーは彼の更生を喜ぶが、ゾシュは大反対。ディーラーとして “黄金の腕を 持つ男” といわれたほどフランキーなのだ、トランプ賭博の世界に戻ってほしい、と強硬に主張する。
 じっとりからみつくような車椅子の妻の存在は、映画に異様なムードをもたらして迫力がある。ややオーバーアクションながら、エリ ノア・パーカー好演。

 バンドマンになっても収入がどれほどあるか分からない、ディーラーなら確実に稼げる、というゾシュの主張は一見合理的だけど、 本当は、真っ当な暮らしになることで夫との関係が変わることへの不安があるように思える。こんな身体になったのは貴方のせい、と 罪悪感で縛りつけ、夫の 目を自分にだけ向けさせるには、現実を遮断した賭博の閉ざされた世界のほうがいい。
 フランキーの社会復帰に怯えるゾシュは、“愛情依存症” といっていいような心の病を持っているように見える。

 対照的なのが、かつての恋人モリーだ。フランキーがオーディションの連絡が来ないことでヤケを起こすと、「それならこっちから電話 してみたら」と助言する。そうなんだ、と思う。多分、薬物中毒者に一番必要なのは、こういう当たり前の現実的な考え方なのだと思う。

 2人で街角のショールームを覗き込みながら、家庭生活への夢を語るモリー。愛があるのにどうにもならない現実を分かっていて、 それでも抑えた胸の内がじわっと伝わってきて切ない。
 柔らかな母性でフランキーを包み込むキム・ノヴァクが、当時、弱冠22歳の若さだったというから驚いてしまう。成熟した肢体と ともに、匂いたつような大人の女を感じさせる。

 フランキーが売人、ルイの部屋で「今度だけ」といいながらヤクを打つ場面は鬼気迫るものがある。
 憑かれたように袖をたくし上げ、ネクタイで腕を縛るフランキー。身体が悲鳴を上げてヤクを求めている。ぎりぎりと絞り上げられ一瞬も待てない。シナトラ入魂の演技だ。薬物中毒の恐ろしさが鮮明に表われて、終盤の禁断症状の場面より私はずっと怖かった。

 アメリカは『失われた週末』『酒とバラの日々』『リービング・ラスベガス』などアルコール中毒を扱った映画が多い。これらの作品が 依存症に正面から切り込んでいるの対して、本作は主人公をめぐる妻と恋人の三角関係というメロドラマ仕立てになっている。その分、 話はやや甘めだが、それでもなかなか面白かった。
  【◎△×】7

▲「上に戻る」



桜桃の味

1997年  イラン  98分
監督 アッバス・キアロスタミ
出演
ホマユン・エルシャディ、アブドルホセイン・バゲリ
アフシン・バクタリ、ホセイン・ヌーリbr>
  ストーリー
 カンヌ国際映画祭で今村昌平監督の『うなぎ』とグランプリを分けあった、イランの名匠アッバス・キアロスタミ監督の代表作。自殺 志願の中年男の紆余曲折をユーモラスに描いている。
 自殺しようと考える中年男バディ(ホマユン・エルシャディ)は、車を走らせながら手伝いをしてくれる人を探している。少年兵 (アフシン・バクタリ)にも工場の監視人にも神学生(ホセイン・ヌーリ)にも断られるが、最後に出会った初老のトルコ人バゲリ (アブドルホセイン・バゲリ)は引き受けてもいいという。
 やがて彼は、若い頃自分も自殺しようとしたことがある、と語り出す。

  一口感想
 中年男が物色するように道端の男たちに目をやりながら、ゆっくり車を走らせる。時々車を停めて話しかける、どうでもいいようなこと をくどくどと。これはそうとう怪しい光景だ。じっさい私は初めはゲイの男が相手を探しているのかと思ったほどだ。

  彼は自殺の手伝いを捜していたのだ。それで、奥歯にモノが挟まったような物言いになる。相手は訝(いぶか)しく思い、警戒する。
 自殺の手伝いとは突拍子もないが、それをわきまえているだけ、男は常識的ともいえる。そのチグハグさがこの映画のどことない可笑しさになっている。

 休暇を終えて兵舎に帰るところを声をかけられた少年兵のエピソードが面白い。気軽に乗り込んだのはいいけれど、男は違う方向に 走っていく。ぐずぐず他愛のない話を続け、そのうち、金になる話があると言い出す。当然、少年は仕事の中身を聞くが、男は「それは 大事じゃない。大切なのはお金だ。たくさん払う」という。
 これはどう考えても怪しいでしょう。ぬらりくらりとはぐらかしつつ説得を続ける中年男と不安げに落ち着かない少年、2人のやり 取りがとぼけていて、まるで漫才のボケとツッコミみたいだ。

 たどり着いたのは兵舎が眼下に見える丘の上。男はやっとここで、自殺の手伝いをしてほしいと切り出す。少年は仰天、男が懇願する のを振り切って脱兎のごとく逃げ出す。
 そりゃそうよね〜、私だってイヤ。不安が頂点に達し、転がるように丘を駆け下りていく少年の姿に思わず笑ってしまった。

 自殺したいなら勝手にすればいいんです、1人で。手伝いが要るってどういうこと? 遺体を鳥や獣に食い荒らされたくない、ちゃんと 埋葬されたい、というのが男の一応の理由。自殺を思いつめ てるのに「後は野となれ山となれ」でないところが何となく悠長で面白い。 でも本音は別にあるんですよね。

 彼は、薬を飲んで穴に横たわる自分に、翌朝2度声をかけてほしい。それでも起き上がらなかったら土をかけてくれ、と頼む。つまり、 「ひょっとしたら死んでないかもしれない」と思っているわけです。これは裏返せば、「死にたくない」になる。

 次々に手伝いを断わられ、「死ねない」状況になると依怙地になるけれど、あっさり引き受ける初老の男が現れると、だんだん本音が 意識の表面に上ってくる。彼のこの微妙な変化が後半の見どころだ。
 人生の素晴らしさをさり気なく伝えながらも、死ぬなら勝手に死ねば いい、と突き放す初老男の人生の達人ぶりがなかなかだ。“死” という重いテーマを扱いながらも、軽妙な明るさが映画全体をおおい、ユーモラスな後味が残る。
  【◎△×】7

▲「上に戻る」





お葬式

1984年  日本  124分
監督 伊丹 十三
出演
山崎 努、宮本 信子、菅井 きん、大滝 秀治、財津 一郎
江戸家 猫八、友里 千賀子、尾藤 イサオ、高瀬 春奈、笠智 衆

  ストーリー
 俳優として第一線で活躍していた伊丹十三の監督デビュー作。当初の予想をくつがえす大ヒットを記録し、この年の映画賞をほぼ独占 する高い評価を受けた。伊丹が自ら脚本も手がけたが、妻で女優の宮本信子の実父の葬儀をヒントに発想されている。
 俳優夫婦の井上侘助(山崎 努)と雨宮千鶴子(宮本 信子)は、千鶴子の父親の訃報を受けて、マネージャーの里見(財津 一郎)と ともに両親が暮らす別荘に駆けつける。親類縁者や友人らが訪れ、葬儀の準備が着々と進められる中、お葬式を出すのは初めての侘助と 千鶴子は、冠婚葬祭用のビデオを見て本番に備える。

  一口感想
 結婚式と違って、葬式はたいてい青天の霹靂(へきれき)のごとくやってくる。私の場合、舅は医者の診立て どおり倒れて2年後に逝ったが、それでも身内としてはまだまだ先と思いたい。だからやはり、突然という感じがしたものだ。実家の父は倒れて10日後だったから、これは正真正銘「え、もう?!」だった。
 映画の序盤に、遺体をどのような形で病院の霊安室から運びだすかを、遺族が相談する場面がある。
 私の場合、記憶を辿ると、舅は棺に納めて斎場まで運ばれていたが、実家の父は床の間の布団に寝かされていた。死後硬直が始まっているはずなのに、まるで眠っているようで、本作の葬儀屋(江戸家 猫八)の「(布団に寝かすのは)生々しい」というのは、今になって、なるほどと思う。
 どちらも葬儀屋の指示通りにやっただけなのだろうが、儀式というのはよく考えればかなり滑稽なところが多い。本作が秀逸なのは、 そうした儀式の側面を的確につかみ出しているところだろう。

 主人公夫婦がビデオで葬儀のハウ・ツーを学習したり、なかなか終わらない通夜の酒宴にどうやって幕引きをしようかと女性陣が四苦 八苦したり、高級車で乗りつけた僧侶(笠智 衆)がテラスのテーブルに目を付け「ガーデニング用に・・・」などど不似合いな科白を 洩らしたり、随所に笑い が散りばめられている。

 佗介の浮気相手(高瀬 春奈)が手伝いと称してやって来て、彼をてこずらせたり、従弟の茂(尾藤 イサオ)が身内の出世頭・正吉 伯父(大滝 秀治)への反感を千鶴子に洩らしたり、葬儀といっても生きている者にとっては昨日の続きの今日に過ぎないのだ。
 そんな中で、喪服姿の千鶴子が庭の丸太のブランコで揺れるシーン、通夜の客が引き上げたあと、母(菅井 きん)と茂の3人で酒を 酌み交わし、「東京だよおっかさん」を唄い踊るシーンは、亡父を追慕し悼む思いが静かな波のように漂って、いい場面だった。

 私の場合、どちらの父も天寿を全うしての死だったから、通夜はにぎやかで、葬儀もさっぱりした空気だったが、親というのは幾つに なっても元気でいるものと、子どもはどこかで思っているフシがある。その防波堤がなくなってしまう心許なさがあった。本作を 見ながら、そんなもろもろを思い出した。
  【◎△×】7

▲「上に戻る」




男はつらいよ 寅次郎紅の花

1995年  日本  109分
監督 山田 洋次
出演
渥美 清、倍賞 千恵子、浅丘 ルリ子、吉岡 秀隆、後藤 久美子
下絛 正巳、三崎 千恵子、前田 吟、太宰 久雄、佐藤 蛾次郎、笠 智衆
夏木マリ、宮川 大助、宮川 花子、芦屋 雁之助、笹野 高史、関 敬六

  ストーリー
 日本映画を代表する人気長寿シリーズ「男はつらいよ」の第48作。96年に主演の渥美清が逝去し、本作がシリーズ最終作となった。
 11作、15作、25作のマドンナ、リリーが4度目の登場をし、42〜45作の満男のガールフレンド・泉とともに、図らずも有終 の美を飾る形になった。
 “とらや”の面々は音沙汰のない寅次郎(渥美 清)を心配していたが、震災のあった神戸でボランティアをしていることが分り、 安堵する。一方、寅次郎の甥・満男(吉岡 秀隆)は、久しぶりに再会した泉(後藤 久美子)から見合い結婚をすると打ち明けられて 大ショック。一旦は祝福して見せたものの、泉の結婚式で騒動を起してしまう。
 傷心のまま満男は出奔して奄美大島にたどり着くが、そこにはリリー(浅丘 ルリ子)と暮らす寅次郎がいた・・・。

  一口感想
 前作では渥美清の衰弱ぶりが痛々しかったが、本作は外見上はそこそこ元気に見える。といっても動き回ることはほとんどなく、屋内 で座ってしゃべる場面が多い。山田監督もずいぶん脚本、演出を考えたんだろうな・・・。
 その分、満男の活躍がめざましい。3年ぶりに登場した泉が見合い結婚すると知ると、嫁ぎ先の岡山まで駆けつけて式をぶち壊す。 あの優柔不断だった満男が「オー・・・」というような行動力だ。もちろんその後は自己嫌悪に陥り、例の通りの家出。
 それにしても、泉ってほんとにしっかりしたいい子だなと思う、満男の行動の意味をちゃんと分ってるんだもの。沖縄でリリーと 暮らしていいた寅さんに再会し、居候を決め込んでいた満男の居場所を見つけてやって来る。満男もついに「愛してる」と泉に告白する。 こればかりは寅さんが成し遂げられなかった快挙だ。

 満男の恋がメインの時は寅さんの影が薄くなりがちだが、本作がそういう感じがしないのは、やはりリリーの存在感なのだろう。「男は 引き際が大事」という寅さんの美学と、「恋はぶざまなものだ」というリリーの恋愛観は平行線、あいかわらず喧嘩ばかりしているけれ ど、そこには夫婦のような気の置けなさがある。「喧嘩するほど仲がいい」のだ。
 いっときの同棲生活の後、寅さんはまた旅に出てしまうのだが、リリーの言葉のように、いつかまた気が向いたらフラッと彼女のもとに 帰っていくのだろう。リリーが寅さんの「終(つい)のねぐら」なのだと思う。
 さくらが2階の部屋でぽつねんと座る寅さんに、リリーと一緒になるように涙ながらに訴える場面は、シリーズ初期のパターンを思い 出して懐かしかった。満男が成長してからは、さくらはもっぱら息子の心配が先で、寅さんとの兄妹らしい情愛の場面がなくなっていた のだ。この時のさくらの言葉も、寅さんの胸に響いたんじゃないかしらん・・・。

 寅さん、満男それぞれが一応の恋の大団円を見る本作は、山田監督がそろそろシリーズの終了を考えていたことを感じさせる。渥美清 の病状を考えれば、そろそろゆっくり休養させてやりたいと思ったんじゃなかろうか。笠智衆が亡くなったあと、御前さま役を置かな かったことにもそれがうかがえる。
 “とらや”(映画ではもうすっかり “くるまや” になっているのだけど、私はやっぱり “とらや” と言いたい)でもさくらが「若 奥さん」として店を取りしきり、本作ではおばちゃんは初めて店にも台所にも立たなかった。世代交代を感じるのも最終作らしい。

 渥美清は映画ファンに素晴らしいプレゼントを残して旅立ったけれど、寅さんは今頃、また沖縄のリリーのところにもどって、のん びり島唄でも聞いてるんじゃないかな・・・。寅さんはいつまでもファンの胸に生きているのだ。合掌。
  【◎△×】7

▲「上に戻る」




踊る結婚式

1941年  アメリカ  88分
監督 シドニー・ランフィールド
出演
フレッド・アステア、リタ・ヘイワース、ロバート・ベンチリー
ジョン・ハバード、フリーダ・イネスコート

  ストーリー
 浮気な劇場主コートランド(ロバート・ベンチリー)は、美しいコーラス・ガールのシーラ(リタ・ヘイワース)を口説こうと、 高価なブレスレットを贈る。シーラは言葉巧みに断るが、コートランドはそのブレスレットを妻に見つけられ、振り付け師のロバート (フレッド・アステア)に頼まれたと嘘をつく。
 翌日の新聞のゴシップ欄には、ロバートとシーラが婚約したという報道が・・・。騒ぎが大きくなって、ロバートは召集令が来たのを さいわい軍隊に逃げ込むが・・・。

  一口感想
 リタ・ヘイワースといえば40年代に一世を風靡したセックス・シンボルだ。『ショーシャンクの空に』(94)で、主人公の独房の壁 に貼ってあったのも彼女のポスターだった。大きな目や口は日本人の私には少々濃いけれど、大輪の花のようなあでやかさがある。
 しかしこの映画で彼女が優秀なダンサーでもあることを知ってびっくりした。ショーのリハーサル場面で、舞台監督のアステアに個人 指導を受けるシーンのステップの見事さ、アステアと並んで踊ってもまったく引けを取らない。軍の慰問ショーで、デュエットで踊る 優雅な美しさにはただもううっとりした。

 私はこの時代のミュージカル・スターでは、ジーン・ケリーがなぜか退屈してしまうのだが(半袖のポロシャツ、横ちょにかぶった 野球帽、というスタイルが好みに合わないのかな)、アステアはけ っこう好き。踊りが洗練されている。上品だ。
 営倉に入れられたロバートが、仲間のギターや歌に合わせて踊りまくる場面では、初めはさり気なく踏んでいたステップが、調子が 上るにつれてどんどん華麗に変化していくのがとても楽しかった。

 妻に頭が上がらないくせに浮気の虫が納まらない劇場主が面白い。宝石店で豪華なブレスレットを買って、店員がてっきり「奥様へ プレゼント」と勘違いすると、「あ、女房ね」と孫の手を買うのには笑ってしまった。
 浮気がばれそうになるたびに尻拭いをロバートに押し付けて、そのくせ「君のお蔭で大迷惑だ」なんて言う。例のブレスレットが、 ロバートの恋と劇場主の浮気の行方に合わせてあっちにいったりこっちにいったり、うまい使われ方をしているのに感心した。

 変なタイトルだし一体どんな映画かと思ったけど、ミュージカルとは思わなかった。ストーリーははっきり言って他愛がない。戦時中 だというのに、戦車をウェディング・ケーキに見立てたりして、いかにもアメリカ的だなと思う。白いドレスの花嫁たちがずらりと 並んで壮観。
 ただ、ショーのなかでロバートとシーラの結婚を本物にしてしまうラストは、かなり苦しいなぁ。なんとかハッピーエンドに持って いきたいという、苦肉の策だったかもしれないけど。
  【◎△×】6

▲「上に戻る」





鬼婆

1964年  日本  100分
監督 新藤 兼人
出演
乙羽 信子、吉村 実子、佐藤 慶
殿山 泰司、宇野 重吉

  ストーリー
 南北朝の戦乱の中、芒ケ原に、落武者を殺しその武具や甲冑を売りさばいて生きる女(乙羽 信子)と嫁(吉村 実子)がいた。女の 息子は立身を願って戦場にいったまま、帰ってこない。ある日、若い男 ‘八’(佐藤 慶)が戦場からもどり、女の息子が死んだと 告げる。
 やがて嫁と ‘八’ は逢引きを重ねるようになる。
 ある夜、女は道案内を乞うた敗将(宇野 重吉)を殺し、彼が付けていた鬼の面を奪う。‘八’ 逢いたさに芒ケ原をひた走る嫁の前に、 鬼が出没し始めた・・・。

  一口感想
 ずっと以前、深夜放送で何の気なしに見て、強烈なインパクトを受けた。漆黒の闇に包まれた原野を、男の肌を求めて疾走する女。 吉村実子のキュッと釣り上がった光芒の強い目、顎をあげ、髪をなびかせて、まっしぐらに走る姿、・・・まだ若く、“性” の原始的 ともいえるパワーを知らなかった私には、憑かれたような姿が恐ろしく、また未知の力強さにあふれて見えた。

 私は飛鳥・奈良といった古代や平安、南北朝の戦乱時代を舞台にした物語が好きだ。ここでは狐狸(こり)も魂を持ち、‘妖かし’ と人間の境い目は茫漠とした彼方に溶け合う。気がつけば人は鬼になり、鬼は人になる。何十年ぶりかで本作を見ると、舞台となる芒ケ原には、こうした現実と 寓話が一体となった幻想的空気が満ち満ちている。

 女が2人。ほとんど口を利かない。言葉を知らないのではなく、会話の必要がないのだ。食べる。寝る。それ以上のなにが必要か。
 ここに若い男が現われ、欠けていたものが露わになる。それは “性” だ。男は「女がほしい」と地をのたうち、女は葦をかき分けて男の元へ 疾駆する。すべてをそぎ取った “生” と “性” の力が、場面を突き抜けて迫ってくる。

 この時代、女は10代半ばになれば、一人前の女として嫁にいくのはふつうだった。だから、乙羽信子が扮する中年女は、男に「ババァ」と罵られるけれど、実際はまだ四十そこそこだろう。
 性はまだ枯れていない。嫁と男が抱き合うのを覗き見て、女がはだけた胸をかきむしる場面がある。嫁を奪われるのは、“生”(の手段)を失い、同時に “性”(の欠乏)を突きつけられることなのだ。ニ重の恐怖が女を鬼へと変化(へんげ)させる。

 折々に映される葦の葉群れに魅了された。午後の日盛り、月光の下、淡い暮色、・・・それぞれの光景の中で、ある時はねっとりと 重く、ある時はざわざわ不穏に揺れる葦のなんと官能的なことか。モノクロの画面が陰影を深くする。
 もう1つ印象的なのは 〔鬼の面〕。眉根に深くしわを刻み、大きく口を開けた顔が、嘆きにも、嘲りにも、脅しにも、苦悩にも、その 時々で変化する。その多様さと深さに驚嘆した。ストーリーはないに等しい。それだからこそ、かえって人間の淵源を感じさせられる。
  【◎△×】7

▲「上に戻る」





オリバー!

1968年  イギリス  146分
監督 キャロル・リード
出演
ロン・ムーディ、オリヴァー・リード、シャニ・ウォリス
マーク・レスター、ジャック・ワイルド、ジョゼフ・オコーナー

  ストーリー
 ビクトリア朝を代表する文豪チャールズ・ディケンズ原作の戯曲をもとにしたミュージカル。作品、監督など5部門でアカデミー賞を 受賞した。
 19世紀初めのイギリス、救貧院で育った孤児オリバー(マーク・レスター)は、僅かの金で売り飛ばされた葬儀屋を逃げ出し、ロン ドンにやって来る。スリの少年 ‘腕利きドジャー’(ジャック・ワイルド)と出会い、親方フェイギン(ロン・ムーディ)の率いるスリ の仲間になる。悪党ビル・サイクス(オリヴァー・リード)、彼の愛人で心優しいナンシー(シャニ・ウォリス)とも知り合いになる。
 オリバーの初仕事の日、相手は品のいい老紳士ブラウンロウ氏(ジョゼフ・オコーナー)。だがあっけなく失敗してしまう。

  一口感想
 原作にある悲惨さが、ミュージカル仕立てにしたことで薄れ、楽しい映画になっている。私としては小さな子どもがあんまりひどい目に 遭うのはつらいし、映画は映画、原作は原作、これでよかったと思う。ただ、アカデミー賞の5部門でオスカー獲得というのは評価しすぎ の感も。『恋の手ほどき』(58)でも同様の感想を持ったけど、アメリカ人のミュージカル好きが反映されているのかな。

 ♪ウンパッパ、ルンパッパ、Everyone Knows〜、がこのミュージカルの歌とは知らなかったなぁ。ナンシーが酒場で みんなを巻き込んで、この歌を歌い踊る。といっても、それはサイクスやフェイギンを欺いて、オリバーをここから連れ出すための策略 だ。
 ナンシーは時々目を走らせて2人の様子を窺う。酒場中が歌と踊りでどんどん盛り上がっていく中で、その緊張感がわさびのように 利くのがいい。

 フェイギンの屋根裏部屋で、スリの少年たちと馬車の真似をしながら歌うシーンでは、‘腕利きドジャー’ が御者、ナンシーがお客、 少年たちが何頭立てもの馬になる。白い可愛いパラソルが車輪代わりにクルクルまわり、見ていてほんとうに楽しい。
 ナンシーを演じているシャニ・ウォリスってどういう女優なんだろう。歌が本格的でとても迫力がある。オリバーを守るために、惚れ きったサイクスにさえ対決しようとする母性的な強さ、悪の世界に住んでいても失っていない善良さなどを感じさせて、本作では一番 印象に残った。

 フェイギンをただの強欲な悪党にしていないところもよかった。子どもたちの稼ぎをかすめて貯め込んでいるのは老後の不安のため。 ドジャーたちはまだ大物悪党になるという夢(!)があるけど、フェイギンの未来といえば、老衰した自分の惨めな姿だけ。
 子どもたちを仕事に送り出す時に「早く帰ってこいよ、寂しいから」なんて歌う。ほんと憎めない。原作とは違って映画では、彼は貯めこんだ全財産を失くしてしまうものの、捕まらずにすむ。ドジャーが物陰で待っていて、2人は夕陽の町をコミカルなステップで去っていく。悪党人生を続ける2人の明るくない未来、・・・ちょっとした哀感だ。

 ジャックワイルドが相変わらずすごく達者。こんなに才能があるのに、あまり恵まれない俳優人生だったのが悲しい。マーク・レスターは『小さな恋のメロディ』同様、愛らしすぎてかえって印象が薄かった。
  【◎△×】7

▲「上に戻る」




女相続人

1949年  アメリカ  115分
監督 ウィリアム・ワイラー
出演
オリヴィア・デ・ハヴィランド、モンゴメリー・クリフト
ラルフ・リチャードソン、ミリアム・ホプキンス

  ストーリー
 アメリカの文豪ヘンリー・ジェームズの短編小説の映画化で、裕福な医者と娘とその恋人が織りなす愛憎の物語。
 1850年のニューヨーク。著名な医師・スローパー博士(ラルフ・リチャードソン)は才色すぐれた亡妻にくらべて、内気で社交性の 乏しい娘のキャサリン(オリヴィア・デ・ハヴィランド)に物足りなさを覚えていた。同居している未亡人の妹(ミリアム・ホプキンス) はそんな姪を心配して、なにかと男性と付き合う機会を作ろうとする。
 ある日、従妹の婚約披露パーティで、キャサリンはハンサムな青年モリス(モンゴメリー・クリフト)と巡り合う。スローパー博士は 「財産目当てに違いない」と2人の結婚に反対するが、キャサリンは3万ドルの遺産相続権を放棄して、モリスと駆け落ちしようとする のだが・・・。

  一口感想
 ワシントン・スクエアの高級住宅街、キャサリンの日常から映画は始まる。庭先で行商から魚を買い、叔母と料理の話をし、診察に 出かける父を見送り、刺繍にいそしむ。器量はぱっとしないけ れど、つつましいキャサリンの人柄が描かれる。
 だがつねに美しく才能豊かだった亡母と比較され、何の取り柄もないと父に思われている辛さが、彼女の胸の奥にはくすぶっている。愛されたい! ・・・その悲痛な願いがモリスとの出会いで一気に吹き出した。映画の核心の1つは、“愛に対する飢え” だと思う。

 ところでモリスがキャサリンに近づいたのは、彼女の相続する財産が目的だったのだろうか。それもあったとは思う。彼はハンサム だけど、いってみてばそれだけの男だ。親の遺産をヨーロッパで使い果たし、帰国してからも熱心に職探しをするわけではない。金持ち 娘と結婚してぬくぬく暮らしたい、そんなもくろみはあったでしょう。
 しかしキャサリンのやさしさに引かれる気持ちも嘘ではなかったと思う。「父親と絶縁する」という彼女の固い決意を知って遁走して しまったのは、その先を引き受ける勇気がなく、怖気(おじけ)づいてしまったから。それだけのような気がする。

 キャサリンがモリスとの駆け落ちを決心したのは、父の「何をやらせてもダメな娘だ。お前の取り柄は財産だけ。それ以外何もない」 という言葉によってだった。彼女は愛されないだけでなく、女として無価値だと宣告されてしまったのだ。
 この映画のもう1つの核は、“見下される痛み(プライドの傷つき)” だと思う。人にとって2つながらに大切な愛と自尊心。その傷つきという苦痛の淵に最初にキャサリンを押しやったのは父であり、モリスがその仕上げをしたことになる。

 彼が現れないままに夜が明け、両手に荷物を下げて二階の自室にもどるキャサリンは、がっくり老けてまるで中年女のようだ。絶望の深さがまざまざと表われている。
 この日を境にキャサリンは変貌する。「3万ドルの遺産があればどんな男でも選べる」という父に、「‘買う’ ならモリスにするわ」と返すキャサリンの言葉のなんという辛辣さ。

 数年後に現れたモリスは、西部暮らしのせいか、多少の逞しさに狡さも併せ持った男になっていた。甘言を弄して金持ち女をたぶらかす男の匂い。失踪前の彼との微妙な変化を演じ分けて、モンゴメリー・クリフトは美貌だけでない俳優としての力量を感じさせる。
 そして、モリスに手切れ金代わりの高価なプレゼントを与え、扉の外に閉め出すキャサリン。デ・ハヴィランドは本作で2度目のオス カーを獲得したが、うっすらと笑みを浮かべて階段を上る姿は鬼気迫るものがある。凍てついた心の氷原を思わせるラストだ。

 愛らしく人の好い叔母に扮したミリアム・ホプキンス、冷徹な父を演じたラルフ・リチャードソンら脇役陣も素晴らしかった。
  【◎△×】8

▲「上に戻る」




女と味噌汁

1968年  日本  97分
監督 五所 平之助
出演
池内 淳子、長山 藍子、山岡 久乃、田中 邦衛
佐藤 慶、田村 正和、川崎 敬三

  ストーリー
 平岩弓枝の同名小説が原作で、TVで人気シリーズとなったドラマの映画化。主演はTVと同じく池内淳子。
 芸者・手毬(池内 淳子)は美人で、その上、唄も踊りも三味線も上手く、女将(山岡 久乃)の信頼も厚い。将来のためにお座敷が はねるとライトバンで味噌汁屋を開いている。彼女の作る味噌汁は絶品のうまさ。酔客たちに多くのファンが出来た頃、店に異母弟の 智一郎(田村 正和)が現われる。ハンサムな智一郎に妹芸者の小桃(長山 藍子)が熱を上げる。
 一方、手毬にも学校時代の同級生の下駄屋の正ちゃん(田中 邦衛)や羽振りのいい勉ちゃん(佐藤 慶)が想いを寄せる。

  一口感想
 さっぱりしていて面倒見がよくて、そのうえ美人で、芸者・手毬は魅力的な女性のはずなんだけど、なんでかな、あんまり惹かれない。 他人が入り込めないほど彼女の世界が自己完結しちゃってるせいかしら。
 独身と思っていた桐谷には妻子がいて、いそいそ旅行の準備をしている最中に奥さんが乗り込んでくる。ここは手毬には多少なりとも 動揺してほしいところだ。ところが彼女、いささかも動ぜず、美味しいお茶の入れ方とか味噌汁の作り方とか、逆に妻の心得を説教する。 言ってることが正論だけに、かえって救いがない。

 奥さん、浮気より、夫が渡した1万円が問題で押しかけてきたのが可笑しいけど、3万円の給料のうちの1万円ですものね、切ない です。で、手毬はそのお金、その場で返すのかなと思ったら、しないんですね。奥さんを送りがてら外に出て、そこでやっと出す。
 奥さんは人が好いのか「受け取れない」なんていう。手毬は「それなら」って、5000円お釣りを返してもらう。(これも見ていて 妙な光景です。)で、「これならお互い気が済むでしょう」っていうんだけど、そうかなぁ。奥さん、家に帰ってから、やっぱり返した 5000円が引っかかるんじゃないかしら・・・。

 もっとも手毬の隙のなさは、男やもめの病院長にプロポーズされ、彼の姉に「医者の後妻に芸者だなんてとんでもない」と言われる場面でも発揮される。しっかり者の女将さえおろおろしている時に、相手をペしゃんとやりこめる。これはなかなか痛快だった。
 自分が同じ理由で、腹違いの医学生の弟と妹芸者・小桃の結婚に反対したことを思いだし、「ごめんね」と小桃に詫びるのもよかった。 日頃は「芸者だって人間、頭を上げて生きなくちゃ」と言っていても、いざ身内のこととなるとつい本音が出てしまう。人間ってそんな ものですよね、理屈で首尾一貫できるものじゃない。
 あっさり許しちゃう小桃がいい。一目惚れした相手なのに、手毬の気持ちを汲んでけな気にも思い切る。明るくて、人が好くて、いじ らしくて、長山藍子って暗いイメージを持っていたので、意外だった。

 味噌汁が売り物の映画なのに、作り方が雑なのが気になった。鍋に水を張って、いきなりドボンと味噌を入れて、箸でちょこちょこ っと2、3回掻き回して終わり、どう見ても上手い味噌汁にはなりそうにない。スタッフも池内淳子も作ったことない人ばかり 集まったのかなぁ。一度くらいはダシ取りから始めて丁寧で愛情のこもった手順を見せてほしかった。
  【◎△×】6

▲「上に戻る」