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【映画メモ】  で始まる映画



愛に迷った時

1995年  アメリカ  105分
監督 ラッセ・ハルストレム
出演
ジュリア・ロバーツ、ロバート・デュバル、ジーナ・ローランズ
デニス・クエイド、キーラ・セジウィック、ヘイリー・オール

  ストーリー
 南部の名家の娘グレイス(ジュリア・ロバーツ)は、大学のダンスパーティで知り合い結婚したエディ(デニス・クエイド)との間に 娘も授かり、満ち足りた日々を送っていた。
 ある日、偶然エディが街角で見知らぬ女性とキスとしているのを目撃したグレイスは、姉のエマ・レイ(キーラ・セジウィック)の ところに転がり込む。エディは謝りに来るが、浮気は認めようとしない。グレイスは、獣医になる夢が結婚のせいで果たせな かった不満を、彼にぶつける。
 2人のギクシャクした関係は、やがて、牧場主の父(ロバート・デュバル)と母(ジーナ・ローランズ)の夫婦関係にも波及 して・・・。

  一口感想
 いつまでもお嬢さんのままで、困った奥さんだな、というのがグレイスに対する第一印象。寝巻きにガウン引っ掛けたままで、レスト ランで「彼女」と談笑している夫のところに押しかけるのはご愛嬌としても、婦人会の集まりで町の夫族の情事を暴露してしてしまう のはやり過ぎだ。第一、浮気ったってそれほど深刻なものじゃないみたいだし、グレイスの過剰反応なんじゃないかなぁ。

 この騒ぎは、結婚によって自分のキャリアが中断したことをずっと悔いていて、それがエディの浮気で一気に噴出したように見えない こともない。でも、だれに押しつけられたわけでもない、姉のエマ・レイの言葉ではないが「自分が選んだ道」だ。その責任はどうなる の、と思ってしまう。
 グレイスが自分の生きかたに何らかの疑問を感じている、という前フリ描写があればよかったのだが、エディの浮気疑惑で降って 湧いたように言い出したようにしか見えないのが、この映画の弱いところだ。
 グレイスがいる環境は相当恵まれている。キャリアを復活させたいのなら、結婚生活を続けながら学生にもどることも難しくない。 それなのにわざわざ別居を選ぶのは、単に恋人時代のときめきがほしいだけにも見えてしまう。

 ジュリア・ロバーツの好演で、グレイスがあまり嫌味な女になっていないのが救いだけど、ヒロインに共感できないのでは、作品と しては失敗じゃないのかなぁ。実家の牧場のベテラン牧童と父親との葛藤や馬術競技会もメイン・ストーリーに巧くからんでいないし ・・・。

 姉のエマ・レイがとても魅力的。独身のまま実家の離れに住んでいるのだが、恋人らしい男は出てこないし、それがずっと気になって しまった。レズビアンっていうことじゃないのよね・・・。
 ちなみに、彼女を演じたキーラ・セジウィックは実生活ではケヴィン・ベーコンの奥さんとか。さすが似合いのカップル。離婚とか しないでね、お2人さん。
  【◎○×】5

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青いパパイヤの香り

1993年  フランス/ベトナム  104分
監督 トラン・アン・ユン
出演
トラン・ヌー・イェン・ケー、リュ・マン・サン、グエン・アン・ホア
ヴォン・ホア・ホイ、トルゥオン・チー・ロック、トラン・ゴック・トゥルン

  ストーリー
 1950年代のベトナム戦争前のサイゴンを舞台に、ゆったりとしたリズムの中で、少女の視線で様々な人々や自然の美しさが描き 出されていく。ドキュメンタリー出身のトラン・アン・ユン監督の瑞々しい感性が注目を集めた長編処女作品。
 1951年、サイゴンで布地屋を営む一家に、10歳の少女ムイ(リュ・マン・サン)が下働きの使用人として雇われてくる。その 家は、琵琶を弾く以外何もしない父親(トラン・ゴック・トゥルン)、店を切り盛りし家計を支える母親(トルゥオン・チー・ロック)、 3人の息子、祖母、長年仕えている使用人のティー(グエン・アン・ホア)が暮らしている。
 ティーに家事を教えられながら、ムイは食事の世話や家の細々したことをこなしていく。ある時一家を訪れた長男の友人クェン (ヴォン・ホア・ホイ)に、ムイは淡い憧れを抱くようになる。
 10年の歳月が流れ、布地屋から暇を出されたムイ(トラン・ヌー・イェン・ケー)は、クェンの家に奉公することになるのだが…。

  一口感想
 二度訪れたベトナムは、うだるような蒸し暑さ、無数のバイク、すごい活気の市場、そして食べ物の匂いで満ちていた。トラン・アン ・ユン監督の描くヴェトナムは、本作にしろ、『夏至』(00)にしろ、ほの暗く落ち着いた室内、しっとり湿った空気など、どこか 物憂く空気の流れが涼しげだ。実際とはずいぶん違うけれど、洗練された雰囲気にいつも魅了される。

 ストーリーは、主人公ムイの少女時代と、成人してからの大きく2つに分かれるが、前半の10歳のムイが奉公に出た家の人間模様が 面白い。細々と布地屋を営む女主人とその夫、3人の息子、それに姑の5人家族だが、夫が仕事をする様子は一切出てこない。日永一日、 奥まった部屋で琵琶を弾いている。
 放浪癖があるらしく、時々なんの前触れもなく蒸発し、またふっと戻ってくる。なにか心の病を持っているのだろうか。夫が蒸発する たびに、姑は「お前がちゃんと仕えないからだ」と嫁を責める。
 父親の不在は子どもたちにも影を落とし、末っ子はその憤懣をムイを苛めることで晴らす。(彼が小便や糞など、排泄物でムイを 困らすのが興味深い。文字通り溜まった「ふんまん」を外に吐き 出しているのだ。)
 次男は、「お父さんはいつ帰るの」と遠慮もなく聞く弟をたしなめて、母を庇う。そんな形で、彼なりの悲しみを処理しようとする。 長男はどこにいるのか、ほとんど印象がない。

 ある日突然帰宅した夫はそのまま亡くなってしまう。理由は分からない。一家の不幸を、女主人はすべて胸のうちに収めて、黙々と 貧しい商いを切り盛りする。女主人に扮するトルゥオン・チー・ロックという中年女優は、しっとりした風情と凛とした気品が混ざり 合い、美人とは言えないが耐える姿が美しい。
 女主人の心情を理解しているの長年この家に仕えているは、中年の奉公人ティーだ。彼女は料理の仕方やこの家の仕来りをムイに教える。 女主人は、幼くして亡くした娘の面影をムイに重ねて、彼女を可愛がる。女3人が本物の家族のように寄り添って、この家を支えて いく。

 しかし、こうしたものをストーリーと呼んでいいのか分からない。それほど、淡々と日々の営みが綴られる。ぼんやりとした灯火の 明り、池や水壷に姿を見せる小さな生き物たち、漆のように滑らかに濡れた黒い髪、ほの暗い部屋の調度や骨董品、その中をゆるやかに 動く風、そんな美しいものの1つ1つを味わえば、それでいいのではないかとさえ思える。
 主人一家の人間模様を見つめる少女ムイの眼差しが瑞々しい。ティーが作るパパイヤのサラダがほんとうの美味しそう。ベトナム戦争 で国土が傷つけられる前のサイゴンの美しさが印象的だ。
  【◎△×】7

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アサシン

1993年  アメリカ  108分
監督 ジョン・バダム
出演
ブリジット・フォンダ、ガブリエル・バーン、ダーモット・マローニー
アン・バンクロフト、ハーヴェイ・カイテル、ミゲル・ファーラー

  ストーリー
 警官を殺した罪で死刑の判決が下った不良少女マギー(ブリジット・フォンダ)は、政府の秘密組織のボブ(ガブリエル・バーン) から、生きて国の秘密工作員になるか、刑を受けて死ぬかの選択を迫られる。その日から暗殺者になるための厳しい訓練が始まる。
 一流の暗殺テクニックを身につけ、美しく変身したマギーは、2年後、一般人にまじって新生活を始める。偶然出会ったJP(ダー モット・マローニー)と暮らし始めたマギーのもとに、ある日、組織から初仕事の指令が入る。
 大ヒットしたフランス映画『ニキータ』(90)のハリウッド版リメーク。オリジナル版でジャン・レノ、ジャンヌ・モローの演じた ヒロインに力を貸す役どころで、ハーヴェイ・カイテル(殺し屋ヴィクター)、アン・バンクロフト(情操教育係アマンダ)など ハリウッドを代表する曲者俳優が出演、脇を固めている。

  一口感想
 登場人物もストーリーの組み立てもまずまずと思うが、オリジナルにあった陰影がなくなり、私にはやや魅力薄の映画になった。
 たとえば、ヒロインが教官ボブにレストランで誕生祝いをしてもらう場面で、プレゼントされたものが拳銃であることを知った時、 ニキータは驚きの後がっくりと失望の表情をみせた。組織の苛酷さ を思い知った顔だった。リメーク版ではむしろその後の銃撃戦に重きが置かれて、マギーの心情はあまり読み取れない。
 オリジナル版で教官ボブを演じたチェッキー・カリョは非情で、その中にふと人肌の温かさが混じるところが魅力的だった。本作の ガブリエル・バーンは表情が柔らかすぎて、冷徹な組織の人間という匂いはあまりしない。

 ニキータの恋人マルコは、ジャン=ユーグ・アングラードの限りない優しさが印象的だった。ニキータの素性を薄々感じながら、任務を 終えて疲れきって眠るニキータを、涙を浮かべて黙って抱きしめる。荒みきったニキータの心が、彼の愛によって潤い癒されていくのが とてもよく分かった。
 一方、本作のマギーの恋人JPは、ふつうの青年と感じ。悪くはないが、しっとりした情緒は伝わってこない。

 両版の違いは後半のストーリーではさらに顕著になる。リメーク版では、マギーと相棒の女工作員は、敵組織のボスの愛人を用心棒の 目の前でいきなり抱きかかえ、口を塞ぎ首に注射器を刺す。あまりに乱暴で雑な仕事ぶりにびっくりする。
 その後の展開もいかにもアメリカ映画らしく派手。初めからアクション映画として見るなら悪くないかもしれないが、オリジナル版の 静かな緊張感が好きだった私には、荒っぽさが話の底を浅くしているように思える。

 両版でもっとも異なるのは結末だろう。本作では、教官ボブは去っていくマギーの後ろ姿を見ながら、「ニーナ(マギーのコード・ ネーム)は死んだ」と上層部に報告する。ボブの温情だろうけれど、オリジナルにあったニキータの運命の哀しさがこれですっかり なくなってしまった。
 見せ場を派手にし、最後はハッピー・エンド。良くも悪しくもこれがハリウッド映画なのだなぁと思う。マギーを演じたブリジット・ フォンダは、体当たりの熱演。好演だったと思う。
  【◎△×】7

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阿修羅のごとく

2003年  日本  135分
監督 森田 芳光 出演
大竹 しのぶ、黒木 瞳、深津 絵里、深田 恭子、八千草 薫
仲代 達矢、小林 薫、中村 獅童、RIKIYA、桃井 かおり
坂東 三津五郎、木村 佳乃、紺野 美沙子

  ストーリー
 昭和54年の冬。竹沢家の3女・滝子(深津 絵里)の呼びかけで、久しぶりに4姉妹が集まった。滝子がいうには、70歳を迎える父 ・恒太郎(仲代達矢)に愛人(紺野 美沙子)と子供がいるというのだ。すぐには信じられない話がだったが、4人は母には知らせない ように約束する。
 じつは4姉妹もそれぞれに問題を抱えていた。華道の師匠で未亡人の長女・綱子(大竹しのぶ)は、妻子持ちの男(坂東 三津五郎)と 不倫中。次女・巻子(黒木 瞳)は最近夫(小林 薫)の浮気を疑い始めている。図書館に勤める3女・滝子は、父の調査を頼んだ内気な 探偵(中村 獅童)との恋が足踏み状態で、4女・咲子(深田恭子)は、売れないボクサー(RIKIYA)と同棲中だ。
 母のふじ(八千草 薫)だけが、何も知らずに平穏な日々を過ごしている。昭和の名脚本家・向田邦子の代表作の映画化。

  一口感想
 タイトルからはもっとドロドロした愛憎劇を想像していたが、意外にあっさりした普通のホーム・ドラマだった。4人姉妹のエピソード を表面だけさらっと撫でた感じだから無理もない。
 こういう家族群像みたいな話って、けっこう映画としてまとめるのは難しいんじゃないかと思う。エピソードを羅列しただけでは印象が 拡散し、盛り上がりのない映画になる。どの登場人物も同じ比重で描きつつ、ドラマとしての吸引力を失わないためには相当の演出力が 必要になると思うが、本作は残念ながら長いだけの凡作で終わった。だれか1人に焦点を絞りったら、もっと引き締まっ た映画になったのではないかと思う。

 で誰がいいかとなると、“阿修羅” の名にふさわしいトラブルを抱えているのは長女・綱子だ。彼女と不倫相手の妻で、料亭の女将・ 豊子(桃井 かおり)の直接対決の場面は、もう、とても面白い。
 1度目は、華道師匠の綱子が、出入り先の豊子の料亭で首を言い渡される場面。2度目は、綱子の家に豊子が押しかけてくる場面。
 互いに空々しい笑みを浮かべながら、慇懃無礼にかつ丁々発止とやりあう。見えない火花が飛び散る。心のうちでは憎悪・嫉妬・悔しさ などが渦を巻き、今にも吹きだしそうなのを、圧力鍋の蓋みたいな凄い力で抑え込んでいるのがありありと分かる。傍らでは、豊子の 亭主・枡川が、おろおろと2人の様子を窺っている。
 大騒動のあと、「女房と別れる」という枡川の手を投げやりに振り払って、「同じことよ。寂しいことには変わりない」という綱子の 台詞が効いている。大竹しのぶ、桃井かおりの演技合戦が見応え十分、枡川に扮した坂東三津五郎もなかなかいい。

 姉妹の残りの3人は、エピソード自体にもそれほど魅力がないが、なにより女優陣が演技力不足。なかでも深田恭子は演技云々以前の 問題だ。意外だったのは、次女・巻子の夫の不倫相手を演じた木村佳乃。ねっとりしたふてぶてしさ、みたいな奇妙な色気が新鮮 だった。
  【◎△×】6

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アナライズ・ミー

1999年  アメリカ  104分
監督 ハロルド・ライミス
出演
ロバート・デ・ニーロ、ビリー・クリスタル、リサ・クドロウ
チャズ・パルミンテリ、ジョー・ヴィテレッリ、トニー・ベネット

  ストーリー
 父の跡を継いだニューヨーク・マフィアのボス、ポール(ロバート・デ・ニーロ)は、敵対するプリモ(チャズ・パルミンテリ)との 抗争を間近にひかえて悩んでいた。最近、夜は眠れず、人前では息が苦しくなるのだ。
 一日も早く治したいと焦るポールは、腹心ジェリー(ジョー・ヴィテレリ)の紹介で、精神科医のベン(ビリー・クリスタル)の もとを訪れる。
 物騒な患者の出現でポールの日常はメチャクチャに・・・。TVレポーター、ローラ(リサ・クドロウ)との結婚も危うくなる。 しかし、本来、別世界に住むふたりの間に次第に友情が芽生えていく。

  一口感想
 ニューヨークのマフィア界を牛耳るボスが、どういうわけか急に気弱になって、精神分析を受ける、という設定が笑わせる。
 “脳も筋肉製”といわんばかりのマフィアのボスが、友人にかこつけて、分析医に悩みを打ち明ける。「思い切っていいましょう。 その友人ってあなたのことでしょう」「どうして分った?! あんたは名医だ」って、そりゃだれだって分かります。
 有無を言わせぬ脅しをかけるかと思うと、「見捨てないでくれ」と泣きべそをかく。マフィアといえ ばデ・ニーロ、というくらいコワモテが似合う彼だけに、虚勢を張った弱気の演技が笑わせる。
 分析医に扮するビリー・クリスタルの軽いノリもいい。「名医だ!」と持ち上げられたかと思うと、「治ってねぇ」とすごまれる。 勝手に主治医にされて、困惑するサマが笑いを誘う。

 面白い映画だが、それだけで終っているのがもったいない。こういったタイプの映画は主役の2人がたがいに影響しあい、それぞれに 変化していく、というのが話の本道だろう。分析医のベンは、同業の父親との間にどうやら問題を抱えているらしい。せっかくその 布石をして置きながら、それきりになっている。
 そういえば面白い場面があった。ベンに父親のことを聞かれたポールが、腹を立てて、「そっちの父親はどうなんだ」というような ことを言う。そしてベンのわずかなためらいを見逃さず、「おかしい。何かあるんじゃないか」と言い出す。患者に分析される分析医の 図だ。
 精神構造が単純なようでいて、ポールもけっこう鋭い。一面、こういう微妙なことに気づくようじゃ、マフィアを続けるのは神経が 持たないかも、とまたおかしくなる。
 芸達者をそろえているのだから、ポールがマフィアの足を洗ったように、ベンも彼の治療の中で自分の問題を見つめ直し、 父との関係を解決する、という流れがあってもよかったんじゃないかと思う。
  【◎△×】6

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乱暴者(あばれもの)

1953年  アメリカ  79分
監督 ラズロ・ベネディク
出演
マーロン・ブランド、メアリー・マーフィ、リー・マーヴィン
ジェイ・C・フリッペン、ロバート・キース、レイ・ティール

  ストーリー
 当時の若者のカリスマ的存在となったブランドのイメージを強く印象づけた作品。『理由なき反抗』(55)など一連の “反抗する 若者” 映画のルーツとなった。
 ジョニー(マーロン・ブランド)率いる暴走族の一団がある田舎町を通りかかる。傍若無人に振舞う彼らに町民の反感が強まる中、 チノ(リー・マーヴィン)率いる別の一団がやって来て静かな町はかつてない緊張に包まれる。
 その夜、ジョニーは、好意を寄せるウェイトレスのキャシー(アリー・マーフィ)が酔った暴走族に絡まれているのを助けるが、 それを目撃した町民に勘違いされ、集団リンチを受けてしまう。

  一口感想
 ヨーロッパ映画を見ていると、革ジャン姿でバイクにまたがるマーロン・ブランドの写真が壁にピンナップされているのを時々 見かける。それが『乱暴者(あばれもの)』と知るようになってから、どんな映画だろうとずっと思っていた。私の映画体験の原点とも いえる『エデンの東』のジェームズ・ディーンが、この映画のブランドに憧れたと知ればなおさらだ。

 郊外の道路を爆音を轟かせて数十人のバイカーたちが現われる冒頭シーンは圧巻だ。先頭で集団を率いるのが黒メガネに革ジャンの ブランド。たしかにかっこいい。当時の若者たちがどれほど痺れたか、分かる気がする。
 ジョニーは人に指図されるのが嫌いで、そのくせ女性には初心。突っ張った外見と裏腹のナイーブさは、彼を演じる若き日のブランド のイメージにそのまま重なる。

 ストーリーは暴走族の一団がある町を通りかかり、翌日立ち去るまでの騒ぎを描いていて、今の過激な描写に馴らされた眼から見れば、 他愛がないといってもいいような内容だ。ジョニーは町民たちのリンチに遭いかけるが、郡警察が出動して夜を徹しての騒ぎはどうやら 収まる。郡警官はジョニーに訓戒を垂れて一団を放免する。
 全体に若者の狼藉に対して大人が寛容なのが印象的だ。若い頃はこんなこともあるという大人のゆとりを感じないでもない。あっさり さっていく若者たちも可愛いといえば可愛い。50年前の時代の空気は大方こんなところだったのだろうか。

 敵対グループのリーダーをリー・マーヴィンがやっている。彼って若い時からおっさん顔。暴走族か・・・、けっこう好演してるん だけど、やっぱりなんか笑ってしまう。
  【◎△×】6

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甘い嘘

1999年  フランス  94分
監督 マティアス・ルドゥー
出演
ジャン=ユーグ・アングラード、クロチルド・クロー
クリスティーヌ・ボワッソン、ジョゼ・ガルシア、ダニエル・ルブラン

  ストーリー
 パリ、モンマルトル。結婚7年目のジャン(ジャン=ユーグ・アングラード)とミシェル(クロチルド・クロー)は、古いアパルトマン で慎ましくも幸せな暮らしを送っている。
 ある日、2人のもとに思いがけない知らせが届く。向かいの豪邸に住むギメ氏が亡くなり、2人は理由も分からぬままに、彼の邸宅を 相続することになったのだ。ただし、それには「屋敷を10年間、他人に譲渡しないこと」「使用人のクレマンス(クリスティーヌ・ ボワッソン)を引き続き雇用すること」という2つの条件が付いていた。
 屋敷に移り住んでから、2人の幸せが徐々に崩れ始める・・・。

  一口感想
 赤の他人から突然もたらされた莫大な遺産、不気味な家政婦、邸内の妖しげな部屋、赤いドレスの女、と条件はそろっている。いくら でもミステリアスに作れる話だと思うのだが、そのどれもが見事なほど不発のままで終わった。
 主人の亡霊に取り憑かれたような家政婦のクレメンスは『レベッカ』を、望遠鏡で他人の生活を覗くところは『裏窓』を、それぞれ すぐに連想させる。しかし、御大ヒッチコックは容易に手のうちを 明かさずにサスペンスを引っ張ったのにたいして、本作はすぐ底が割れてしまうのが大きな難。
 とくにクレメンスは思わせぶりな出没をするわりに、最後はミシェルを追い出す算段をしたりして、怪しい不気味さが持続せず、 「何考えてるのかわけ分からん」状態の女になってしまった。彼女のキャラクターをもっと上手に使ってほしかった。

 ジャンが妻の貞操を疑い出すきっかけもかなりお粗末。こんなことで揺らぎ出す愛なら、もともと大したことなかったとも言える。 ミシェルがいろいろ秘密を持っていたのは意外だったが、それの明かし方も平板。話にかなり無理があるのは分かっている。それを いかに巧くだまして、それらしく持っていくかだと思うが、もう一歩及ばなかった感じだ。
  【◎○×】5

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アマチュア

1979年  ポーランド  112分
監督 クシシュトフ・キエシロフスキ
出演
イェジ・シュチュール、マウゴジャータ・ジャブコウスカ
エヴァ・ポカス、ステファン・チュジェフス、イェジ・ノヴァク

  ストーリー
 フィリップ・モシュ(イェジー・スツール)は、産まれてくる子の成長記録を撮ろうと8ミリカメラを買ったのがきっかけで、上司の オスフ(イェジー・ノヴァク)と工場長(ステファン・チュジェフスキ)から、工場の25周年記念式典の模様を撮るように言われる。
 出来上がったフィルムを、アマチュア映画協会のアンナ(エヴァ・ポカス)の勧めでコンクールに出展すると、運良く入賞して しまう。ますます映画作りにのめりこむフィリップ。妻のイレンカ(マウゴジャータ・ジャブコウスカ)の夫婦関係は悪化し、一方、 彼の作ったドキュメンタリーが職場でトラブルを引き起こす・・・。
 『トリコロール』3部作のクシシュトフ・キエシロフスキ監督の出世作となった作品。

  一口感想
 私は写真を趣味にしているので、物を写すことの意味が少しずつフィリップの中で変化していく様子が面白かった。
 彼は初めは動くものは何でもかんでも撮る、まるで動物が動くものに反応するように。
 「ありのまま」を写し取る視点がマニュアル化されない新鮮さとなり、専門家に評価される。無心であったものが、そこで初めて 「写す」ことを意識し始める。何を、どういう視点で、撮るのか。それによって何を表現するのか。工夫が生まれ、チャレンジがあり、 どんどん面白くなる。

 フィリップは自分の前に開けた未知の世界にのめり込んでいく。ところがそれがフィリップと妻の 間に亀裂を生み、最後は夫婦関係が破綻してしまう。フィリップの発表したフィルムが会社の隠しておきたい側面を暴いてしまった ために、上司が責任を取らされて左遷される。カメラで新しい人生が開けるかも知れない、とシンプルに思っただけのフィリップだが、 予想もしなかったことが次々に起きる。
 工場長がフィリップを郊外に誘い出すシーンがある。2人は散策しながら話し合う。「情報公開は大切です」「私は知りたかったし、 みんなも知るべきです」というフィリップ(それは社会主義国家のポーランドでは、日本よりずっと重い響きを持つのではないかと 思う)。
 工場長は「社会生活にはオープンにできない部分もある」とそんな彼を諭す。ずっとフィリップの監視役で、敵役的存在だった工場長 がじつは人間的な温かい人と分かり、グッとくる場面だ。
 左遷される上司のオスフも素晴らしい。詫びるフィリップに「こういうことは今までもあったし、これからも起きる。君の責任では ない」「自分が正しいと思うことを貫き通せ」と励ます。

 悪いことばかりではない。母を亡くして落ち込んでいた同僚は、たまたま撮ったフィルムに彼女が写っていたことで、「母は亡くなった けれど、フィルムの中には永遠に生きている」と喜ぶ。
 さまざまなことを体験し、フィリップが最後にたどり着くのは、“世界” を知るためには、まず自分を知らなければならない、という ことだった。これはものごとすべてに共通する真実ではないかと思う。
 フィリップがめげずにカメラを自分に向けて回し始めるラストは、彼の根性を感じさせてなかなかよい。本作はキエシロフスキ監督の 出世作だそうだが、ありのままを “写す” ことが内包する問題に真摯に向き合った映画として好感が持てた。
  【◎△×】7

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アメリカの影

1959年  アメリカ  81分
監督 ジョン・カサヴェテス
出演
ベン・カルザース、レリア・ゴルドーニ、ヒュー・ハード
アンソニー・レイ、ルパート・クロス、デニス・サラス、トム・アレン

  ストーリー
 個性派俳優ジョン・カサヴェテスが、以後、“ニューヨーク・インディペンデント映画の父”と呼ばれ、監督として評価されるきっか けとなった作品。全編シナリオなしの即興演出で、ニューヨークの黒人問題に大胆に切り込んだ手法は、アメリカ映画に新風を巻き起こ した。
 ヒュー(ヒュー・ハード)、ベニー(ベン・カルザース)、レリア(レリア・ゴルドーニ)はニューヨークに住む白人と黒人の混血の 3人兄妹だ。長兄ヒューが見たところ完全な黒人なのにたいして、弟ベニーと末妹レリアは白人といっても通用する肌をしている。
 ヒューはジャズ歌手だが、長年の相棒マネージャーのルパート(ルパート・クロス)がとって来る仕事に欲求不満だ。ベニーは定職も なく、マンハッタンの街を仲間たち(デニス・サラス、トム・アレン)と毎日ぶらぶらしている。レリアは白人青年トニー(アンソニー ・レイ)と恋をしている。

  一口感想
 高校生の頃に見た『悲しみは空の彼方に』という映画を思い出した。見たところ白人だが、じっさいは黒人の血が混じっている女性が、 恋人にそれを知られまいと必死に頑張ったあげく捨てられてしまう話で、グサッとショックを受けた覚えがある。

 ネットで検索すると本作と同じ59年の製作だ。同じ問題を扱っているのに、こんなにタッチの違う映画が同じ頃に作られていたのか と驚いた。本作は混血の3兄妹が、差別の存在する現実を べつに嘆きも怒りもせず、こんなものさと生きている。肩に何の力も入っていない。軽やかであっけらかんとしている。
 ハンディ・カメラを使ったような映像に臨場感があり、それにかぶさるジャズもシャープだ。
 『悲しみは〜』がオーソドックスな作りの映画だとするなら、本作の発散する息吹きが当時のアメリカ人にどれほど新鮮に感じられた かがよく分かる気がする。

 長兄のジャズ歌手・ヒューの威勢のよさがいい。妹レリアの恋人が、黒人の兄がいることが分かってそわそわし始めると、気配を察知 して「二度と妹に近寄るな」と追い出してしまう。怒りっぽいけど家族思い、兄貴の気概を持った男なのだ。
 かつてはちょっとは名のある歌手だったが、今は三流クラブをめぐる境遇。コーラス・ガールの前座兼司会を務めさせられて、フラス トレーションは高まるばかり。とにかくプライドが高い。

 映画はみなカサヴェテス監督の友人たちが実名で出演しているそうなので、ヒューも有名な歌手なのかなと思うけれど、彼がクラブで 歌う歌はあんまりうまくない。前座もしょうがないかなという感じ。客は退屈してザワザワお喋りを始める。「居眠りしそうだ」なんて 言ってるのもいる。
 友人の一人が「テンポがない」「こんな風に歌えばいいのに」と楽屋で歌ってみせる。彼は一応素人という設定。ところがそっちの ほうが余程うまい。ヒューはムッとする。
 マネージャーのルパートが「客を笑わせてやりゃいいのさ」とジョークを伝授する。ヒューにやる気がないせいもあるが、これまた ルパートのほうがずっとうまい。
 シナリオなしの即興で撮られた映画だそうだが、この辺はみなアドリブなんじゃなかろうか。楽屋オチみたいな人間臭さが面白い。

 ヒューがぐずぐず不平をいうと、ルパートが懸命になだめる。毎度毎度でついにルパートが臍を曲げると、今度はヒューが「君は最高 のマネージャーさ。世界一だ」と持ち上げる。機嫌を直した2人が列車に飛び乗るところで映画は終る。
 現実はなんにも変わらない、それでもなんとなく元気が出るのは、活写されたニューヨークの空気のせいだろうか。
  【◎△×】7

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アメリカの災難

1996年  アメリカ  93分
監督 デヴィッド・O・ラッセル
出演
ベン・スティラー、パトリシア・アークェット、ティア・レオーニ
ジョージ・シーガル、メアリー・タイラー・ムーア

  ストーリー
 昆虫学者のメル(ベン・スティラー)は、妻ナンシー(パトリシア・アークエット)と4ヶ月の赤ん坊を連れて、実の両親に会うため 旅に出る。養子育ちのメルは、アイデンティティの不安から最近ノイローゼ気味、それを解消するために実の親を探し出そうというのだ。
 同行するのは養子縁組協会から派遣されたティナ(ティア・レオー二)メルの養父母のコプリン夫妻(ジョージ・シーガル、メアリー ・タイラー・ムーア)は複雑な心境で彼らを見送る。ところが、協会のリサーチはいい加減で、メルの親探しの旅はトラブル続き。 おまけに途中から同性愛のカップルも加わって・・・。新婚まもない夫妻と養子縁組協会の美女の珍道中を描いたコメディ。

  一口感想
 メルの養父母はそうとうケバい。ところが、彼らがだんだん普通に見えてくるほど、実父母(らしき)人たちはエキセントリック。 最初に出会った母親(?)は金髪で大柄。双子の妹たちもグラマー美女で、ともに典型的な北欧型。黒髪で小柄なメルとはどう見ても 似てない。
 次のトラック運転手の父親(?)は粗暴すぎて、これまたとうていメルと父子とは思えない。
 極めつきは、ひそかにLSDを作っている舌を噛みそうな名前の夫妻。この夫婦、LSDは無害だけどタバコは身体に悪いからダメ、 と変な健康志向を持っている。60年代の “フラワー・チルドレン” の成れの果てというところか。息子も妙に危ない感じ。あまり お近づきになりたくない一家だ。
 メルはアイデンティティを見つけるどころか、フィンランド系のスコットランド人(なんのこっちゃ)から始まって、ユダヤ人の 運転手は実の父親でないと分かって(スティラーってユダヤ人じゃないの?)ヒッピー夫婦に行きついたり、かえって訳が分からなく なってしまう。

 こういうライト・コメディはベン・スティラーのお手のもの。養子縁組協会員のティナは離婚訴訟中、メルは旅を続けるほど混乱する、 と2人ともかなり情緒不安定。あげくにいきなり衝動的に抱き合ったりする。終始、まともなのはメルの妻ナンシーただ一人。ちょっと 寂しげでいじらしい。
 パトリシア・アークェットってスタイルもそういい訳じゃないし、顔も美人じゃないんだけど、こういう役って妙にぴったりはまる人、 心情移入せずにおれなくなる。

 途中から旅に加わった同性愛カップルがなんとFBIの捜査官で、LSD夫婦は逃亡を図り大混乱。そこにメルの養父母が駆けつけて 不甲斐ない息子を助け出し、最後はみんなで記念写真に収まってめでたしめでたし、と気楽に楽しめる映画だった。
  【◎△×】6

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アレクサンダー大王

1980年  ギリシャ/イタリア/西ドイツ  208分
監督 テオ・アンゲロプロス
出演
オメロ・アントヌッティ、エヴァ・コタマニドゥ
グリゴリス・エヴァンゲラトス、ミハリス・ヤナトゥス、イリアス・ザフィロプロス

  ストーリー
 マケドニアの英雄アレクサンダー大王の伝説をモチーフに、19世紀から20世紀にまたがるギリシャ近代史を描く。
 1899年12月31日、ギリシャの刑務所から20数名の囚人が脱獄する。アレクサンダー大王(オメロ・アントヌッティ)と 呼ばれる首領に率いられた一行は、明けて1900年の元旦、イギリス大使館員7人を誘拐し、大地主の土地を農民に返還することを 要求する。
 大王一行は人質を連れて、生まれ故郷の北ギリシャの村ヘ向う。途中、5人のイタリア人アナーキストが一行に加わる。村にたどり 着くと、そこはすでに “先生”(グリゴリス・エヴァンゲラトス)と呼ばれる指導者のもとで、共産主義が根を下していた。
 大王の部下の間に、全てが共有で自分のものは何ひとつない、と不満が高まる。

  一口感想
 古代ギリシャの演劇ってこんな風だったんだろうか。アップがないことや、ワンシーンの情景が語りつくされてから次のシーンに移る 手法、場面がおおむね村の広場に限定されていること、登場人物の衣装がほとんど黒で統一されていること、などがそんな印象を 与える。
 群集を含め、登場人物たちの動きが様式的であることも、舞台劇を思わせる。俳優たちが1本の線となって移動したり、両手をあげ円を 描いたり、1つの動きが終わってから次の動きが始まったりするからだ。
 ギリシャ時代の円形劇場跡に行ってみて驚くのは、すごく大きくて、観客席と舞台との間にかなり距離があることだ。こんな遠くから 舞台を眺めるのだから、ゆっくりした様式的な動でないと、観客たちには分かりにくい。本作のカメラがゆっくりパンして、フレームに 入った時に俳優が動き出すところなども、いかにも観客の視線の動きを再現している感じを受ける。

 ストーリーが説明的でなく、俳優たちが全員退場し、次の場面が始まるまでのつなぎは観客の想像に委ねる感じなのも、舞台劇の印象を 強める。
 不確かな記憶だが、古代ギリシャの演劇はマスクをつけた無言劇で、ストーリーは舞台脇に登場する詩人(というか暗誦者)が 受け持つ、と何かで読んだことがある。日本の能に近い形かな、と思ったものだ。
 本作でいえば、時々 “ガイド”(ミハリス・ヤナトゥス) が登場するのはさしずめそんな役割だろうか。

 長い映画だが、ストーリーは比較的単純だ。英雄としてもどってきた “アレクサンダー大王” が、やがて圧制者へと変貌していく。 そのプロセスの中で、共産村の理想も崩壊していく。最後は英雄自体が民衆の力に飲み込まれ、消えていく。
 最後に広場に残された大理石の頭像をどう理解するのかは、人によってさまざまだろうけれど、私はシンプルに“堕ちた偶像”という イメージを持った。
 映画の中ほどで、“アレクサンダー大王” が、「大理石の頭像が重い。どうしていいか分からない」という場面がある。まるで、 英雄が英雄であることに疲れた、と言っているようだ。
 アンゲロプロス監督の映画はこれまで何本か見たが、本作のギリシャの俳優はみんな小柄なのが意外。“アレクサンダー大王” などは、 馬上でそっくりかえっている姿が道化じみて見えるほどだ。監督は、歴史の英雄アレクサンダーが、現代ギリシャでは単なるピエロに 過ぎないと言おうとしているのだろうか。
 アンゲロプロス監督の思想的変遷については私はまったく無知だが、この映画で、自分の信じたものが次々に壊れ、幻影と化していく のを、冷徹に見つめているような気がする。
 ただ、少年 “アレクサンダー”(イリアス・ザフィロプロス) が「所有」することと「権力」について、“先生” から大きなテーマ を与えられて一人脱出するラストに、監督の未来への希望が感じられた。
  【◎△×】7

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