| 【映画メモ】 あ で始まる映画 |
|
ストーリー アフリカ奥地でマウンテンゴリラの保護救済に力を注いだ女性動物学者ダイアン・フォッシーの生涯を描いたドラマ。 有名な動物学者リーキー博士(アイアン・クスバートン)の講演で、マウンテンゴリラが絶滅の危機に瀕していることを知った ダイアン(シガーニー・ウィーヴァー)は、博士の助手となって中央アフリカ・ナイロビに向かった。博士は他の地域の研究に向った ため、ダイアンは現地人ガイド、センバガーリ(ジョン・カミラ・ミルウィ)と馴れぬ調査を開始する。 念願のゴリラと接触も果たし、研究が軌道に乗り出した頃、コンゴに内乱が勃発。山を追われたダイアンはルワンダから山に入り直し をするなど、多くの困難に見舞われる。しかし彼女のマウンテンゴリラへの情熱は衰えることはなかった。 現地に研究センターを開設するなど徐々に成果が上がる中で、やがてダイアンはゴリラ激減の原因が無法な密猟によることを知る。 ダイアン・フォッシーが何者かに殺された、という報道に接した時はずいぶん驚いたものだった。動物研究というと、なんとなく、 大自然の中で動物たちと交流しながらの平和な研究生活、という先入観があったので、それと殺人とはまったく結びつかなかったから だ。 映画を見て、そんな生易しいものでない、ダイアン・フォッシーは研究以前に、ゴリラを密猟による絶滅から救うことのほう に精力の大半を注がなければならなかったことを知り、ショックを受けた。 彼女のゴリラに懸ける情熱はたしかにエキセントリックな激しさがあり、それが人の反感を呼んだ面があったかもしれない。しかし だからといって、あんな理不尽な死に方をしていいはずがない。実際の事件は、犯人とか動機など真相は結局不明のままで終ったように 記憶しているが、その後どうなったんだろう。 映画の最後に、彼女の努力が実ってその後ゴリラの保護が進み、数も増えているという説明が出て、少し救われた気分になった。 シガーニー・ウィーヴァーはダイアン・フォッシーが乗り移ったような熱演。彼女に感情移入して見ているせいか、大人のゴリラすら 可愛く見えてきたのが不思議だった。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 超能力を持つ新進作家フランソワーズ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は画家の卵リシャール(ジャック・ヴェベール)と友人とも恋人とも つかない曖昧な状態で同棲していた。 ある冬の日、彼女は露天で自分の本に興味を示す出版社の社長マルク(アダルベルト・マリア・ メルリ)を見かけ、彼に惹かれる。そんなフランソワーズを車の中からじっと見つめる初老の男がいた。株式仲買人のペルー(フェル ナンド・レイ)で、彼は街のカフェでフランソワーズと出会い、不思議な経験をしていた。それ以来、彼は憑かれたようにフランソ ワーズを付け回していたのだ。 ペルーはお抱え運転手を使って、フランソワーズとマルクに罠を仕掛ける。 ペルーが経験した出来事というのは、街のカフェで偶然居合わせたペルーに、フランソワーズが「お金をちょうだい。いいもの見せて あげる」と言って、羽織っているマントをバッと開くのである。すると、そこには彼女の裸身が・・・。呆然とするペルーを尻目に、 フランソワーズはさっさと店を出て行ってしまうのだが、ペルーが見たものは本当なのか、それとも幻想だったのか・・・。 ペルーは超能力を持つフランソワーズの暗示にかかって、セーター姿の彼女を裸身と思ってしまったのかもしれない。けれど、ひょっと すると、ほんとにその瞬間だけランソワーズは全裸になってたんじゃなかろうか。でもなんのために? フランソワーズに対してストーカーめいた行動を続け、策を弄して彼女やマルク、リシャールを陥れようとするペルーってかなり病的 だ。でも、そんな風にペルーを持っていったのは、フランソワーズの方かもしれない・・・、とペルーならずとも私まで妄想が膨らんで くる。 ペルーは別荘に芸術家を連れて来て、創作をさせたあげく殺してしまうという恐ろしい秘密を持っている。フランソワーズ、マルク、 リシャールの3人も彼の策謀で別荘に集められるのだが、フランソワーズの超能力が彼の秘密を見抜いてしまう。 「話はそっちに流れるか」と意外な気もするけど、カトリーヌ・ドヌーヴの浮世離れした雰囲気のせいか、全体にファンタジックな 感じが漂って、あまり厭らしくはならない。何だかとても不思議な映画だ。 フランソワーズがリシャールと2人で、彼の描いた絵の中に消えてゆくラストシーンが、幻想的でとても好きだった。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 山本周五郎原作の『赤ひげ診療譚』をもとに映画化したヒューマン・ドラマ。 長崎で蘭学を学び、将来は御典医になることを夢見ていた青年医師・登(加山 雄三)は、貧民相手の汚い施療院・小石川養生所への 赴任を命ぜられ、憤懣(ふんまん)やるかたない。 しかし、“赤ひげ” と呼ばれる所長・新出(にいで)(三船 敏郎)の、無骨な中にも献身的に治療に当たる 姿に、次第に尊敬の念を抱くようになる。「病気の原因は社会の貧困と無知によるもので、これには治療法はない」というのが口癖の 赤ひげだった。 登は、貧しい人々の死の中に、人生の不幸に耐えた美しさを見るようになり、徐々に医療の意味・人生の意義を悟っていく。 出世の野心を持った若者が年長者の人格に触れて人間的に成長していくというテーマはかくべつ目新しくはないが、演出は絶頂期の黒澤 監督らしく力強く、丁寧に構成された映像の見事さとあいまって、何度見ても素直な感動にひたされる。 いくつかのエピソードが連作小説のように綴られ、その1つ1つに心を揺さぶられる。実母と夫の不義を語るおくにの冒頭のエピソード は、まるで子宮の奥から慟哭が聞こえてくるような悲痛さ
だ。根岸明美が入魂の演技で底力をみせる。薬草園の座敷牢にいる狂女のエピソードも鮮烈だ。登の部屋に入って後ろ手で戸を閉める姿のゾッとするような “艶”、 そして “可憐” から “狂” に変わっていく目。香川京子がこんなにツヤのある人とは思わなかった。 車大工・佐八(山崎 努)とおなか(桑野 みゆき)の恋は美しくも哀切だ。雪の日の出会い、木橋の上のプロポーズ、地震、祭りの夜の 再会と別れ・・・みな忘れがたい光景ばかり。なかでも、赤ん坊を背負ってふり向きふり向き去っていくおなかを、呆然と見送る佐八の 足元で揺れる風鈴の映像が見事だ。 恨み言1ついわず、「あいつが哀れでたまらない」という佐八の無限のやさしさ。死の床でおなかのまぼろしに手を差し延べるシーンで は涙がこぼれそうになった。 「休憩」をはさんで前半では、登は赤ひげの人間的深さに触れ、病の本質を学び、医者の使命に目覚めていく。後半は、岡場所で売春を強いられる少女・おとよ(二木 てるみ)をめぐるエピソー
ドと、登の医者としての成長が描かれる。床を拭くおとよの、鼠のようにそろえた両手、憑かれたように宙を見すえた目、丸めた背中、・・・鬼気迫るものがある。全身から “世界” を拒否する悲鳴が聞こえるようだ。 彼女は登の最初の患者となり、彼の献身的な看護を受けて徐々に心を開いていく。これほど深く心に負った傷は、映画に描かれるほど簡単に癒えはしないと思うものの、それでも彼とおとよの交流は感動的だ。 少女らしい生気を取りもどしたおとよは、登に愛着するようになる。戸惑う登だが、「人への関心と愛情がおとよの心の中で動きだした。 治り始めた証拠だ。次はお前以外の者にもそれが広がる」と、赤ひげの診断は揺るぎない。たしかに長坊の出現で彼女の生来のやさしさが 発露し始める。長坊に扮した頭師佳孝は子役と思えぬ名演ぶりだ。 1つ1つのエピソードは重苦しいが、全体のトーンはさほど暗くない。人間の善意、若者の成長、といった核にすえられたテーマが ポジティブで逞しいせいだろう。とくに、長坊が死の渕から息を吹き返し、登が療養所に残る決意をするラストに清々しい後味が残る。 さまざまなエピソードがバラバラにならず、1つの物語としてちゃんと成立しているのに驚く。核となる三船敏郎の存在感の凄さだ ろう。加山雄三の素直な演技にも好感が持てた。 【◎○△×】8 |
|
ストーリー 100年前の西部を舞台に、アウトロー集団を率いるブッチ・キャシディと相棒サンダンス・キッドの友情と破滅に向う姿を詩情豊か に描く。 『俺たちに明日はない』『イージー・ライダー』などアメリカン・ニューシネマの台頭のなかで生まれた西部劇で、大人になり 切れないアウトローたちの自滅的青春を通して、従来の「男はかくあるべし」といった家父長的モラリズムから脱した、アンチ・モラリ ズムの新しい西部劇を作り上げている。脚本、撮影、作曲、主題歌の4部門でオスカーを受賞した。 腕力はないが悪智恵の働くブッチ(ポール・ニューマン)と、腕はいいが短気な早撃ちサンダンス(ロバート・レッドフォード)の 強盗コンビは、仲間を率いて同じ列車を往復で2度襲うという、列車強盗史上例を見ない計画をまんまと成功させる。 しかし、鉄道会社が雇ったプロの追っ手集団の執拗な追跡から逃げ切れず、ついに国外脱出を決意する。教師をしていたサンダンスの 恋人エッタ(キャサリン・ロス)を伴い、南米ボリビアへやって来た2人は、ここでも銀行強盗を繰り返す。危うい中にも束の間の 幸せに酔う3人。 やがてエッタがこんな生活に見切りをつけてアメリカに帰ったのを機に、ブッチとサンダンスは脚を洗おうと鉱山の給料運びの職を 得る。しかし運搬途中、2人は土地の強盗団に襲われる。 彼らを撃退したものの、立ち寄った村の食べ物屋で正体を見破られ、2人はついに軍隊に囲まれてしまう。 バート・バカラックの曲が流れる自転車のシーンがなんといっても素敵だ。見るのが2度目、3度目となると、その後のブッチと サンダンスの運命を知っているだけに、至福の時の短さ、美しさがいっそう胸に迫る。 ポール・ニューマンはもう若いとはいえない年齢なのに、ちょっとふざけて自転車を乗り回す姿は若い輝きに満ちている。笑い転げる キャサリン・ロスの屈託のなさ、(画面には現われないけれど)2人を複雑な思いで見ているだろうサンダンス・・・、三角関係という ほどの生々しさはないけれど、ちょっと危うい恋と友情のバランスに惹かれる。 この映画で興味深いのは、追っ手集団がけっして間近に姿を見せないことだ。いつも遠目に現われる。逃げても逃げても、どこまでも ひたひたと不気味な影のようについてくる。ブッチとサンダンスがこの顔の見えない追跡者に怯えながら逃走する様子は、表面あくまで 軽薄でふざけ気分の2人だけに、かえって痛ましい思いになる。 ボリビアで軍隊に囲まれたラスト・シーン。もう逃げ切れないと知っているくせに、まだ「いい計画がある。今度はオーストラリアに 行こう」「銀行はあるかな」などと言い合う。「懲りない連中、また銀行強盗する気なのかな・・・」と思わずクスッとしつつ、哀れさ でつい胸がジンとする。 そして「よし!」と掛け声をかけて隠れ場所から飛び出した2人のストップ・モーション。浴びせられる銃弾の音だけが響く。古い 写真のようなセピア色の画面が遠のいていく。 愚かといえばいえる2人だが、その姿にふと、帰らぬ青春への思いにも似た愛惜が湧いてくる。 【◎○△×】8 |
|
ストーリー 駅の改札係のルーシー(サンドラ・ブロック)は、クリスマス・イヴの日、片想いのハンサムな青年ピーター(ピーター・ギャラガー) を事故からとっさの機転で助けたことから、彼の家族に婚約者と勘違いされてしまう。病院で意識のもどらぬピーター、本当のことを 言い出せないまま、家族と親しくなっていくルーシー。両親を失い孤独なルーシーは、久しぶりに触れる家庭の暖かさに幸せな気持ちに なる。 ピーターの弟ジャック(ビル・プルマン)は、初めはエリート弁護士ピーターに不釣合いのルーシーを本当に婚約者なのかと 疑っていたが、次第に彼女のナチュラルな魅力に惹かれていく。それはルーシーも同じだった。 特別ドラマティックな展開があるわけではないけれど、登場人物がみな善人ばかりで、ほのぼのした気分になる。こういう映画も時 には悪くない。万年振られ男のビル・プルマンが、やっと恋を成就させる二枚目役を手にした。アクのないさっぱりした感じを好もしく 思っていた私は、振られ続ける彼に胸を痛めていたのだ。この映画でやっと一安心というところ。 ルーシーを演ずるサンドラ・ブロックの自然体もすごくいい。ちょっと寂しげだけど、決してメソメソしない。ピーターの家族に 温かく迎えられて、それが嬉しくて、どんどん本当のことが言い出しにくくなっていく。 意識を取りもどしたピーターが、ルーシーを知らないと言ったために家族に記憶喪失と思われたり、ピーターに改めてプロポーズ されたルーシーが、引っ込みつかなく受けてしまったり、ロマンティック・コメディらしい紆余曲折はあるものの、ルーシーとジャックが結ばれる結末は分かっているので安心して 見ていられる。 選りによってなんでピーターとの結婚式で家族に本当のことを打ち明けちゃうの、というのはあるけれど、サンドラ・ ブロックの好感度に免じてユルス。 彼女が住むアパートの大家の息子の「勘違い二枚目」ぶりが笑いのスパイスを効かせている。最初に見た時は あっさりし過ぎてて6点だったが、今回見直して、「地味だけどいい映画だなぁ」と7点に変更。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 1962年、カリフォルニア北部の小さな田舎町を舞台に、高校生たちの学年最後の一夜を描いている。ジョージ・ルーカスの 出世作になっただけでなく、数多くの無名の新人俳優たちをスターにするきっかけを作り、懐メロ青春群像映画の原点となった。 ハイスクールを卒業したカート(リチャード・ドレイファス)とスティーヴ(ロン・ハワード)は明日東部の大学に旅立つ予定だ。 故郷での最後の夜を楽しく過ごそうと、テリー(チャールズ・マーティン・スミス)とビッグ・ジョン(ポール・ル・マット)を誘い 町に繰り出す。スティーヴは恋人ローリー(シンディ・ウィリアムズ)との別れに悩んでおり、文学青年のカートも自分の将来に不安を 抱いていた。 1962年、まさしく高校3年だった私。彼らと同じ年だったのかぁ・・・、としばし感慨に浸ってしまった。リアルタイムでは 本作を見ていないが、その後何度か見て、そのたび「あの年頃ってあんなだよね」と思う。将来への漠然とした不安とか、自分の殻を 破りたいけど、どう破ったらいいか分からない苛立ちとか・・・。その一方で、今はまだ開幕ベルは鳴っていないけど、社会に出さえ すれば、カーテンが上がり自分の本当の人生が始まる、と闇雲に思ったりしていた。 心情は共通するものがあるが、描かれている高校生生活が当時の日本とはあんまり違うので、びっくりする。深夜車を流してボーイ ハントやガールハントをしたり、体育館みたいなところで学校公認のダンス・パーティをしたり・・・。 当時の日本は車を持っているのはお金持ちだけ、高校生が車を運転して夜の夜中、町を出歩くなんてとうてい考えられないことだった。 ダンスも運動会の後のファイア・ストームでフォーク・ダンスをするのがせいぜいで、随分、可愛らしいもんだったなぁと思う。 本作に限らずアメリカ映画の高校生活は、大人顔負けのセックス付きの恋愛が当たり前のように出てくる。スティーヴとローリー みたいに高校時代のステディと結婚する例が物すごく多いと聞いたことがある。こんなところも日本とは相当違う。 映画を見ながらいろんな感興に誘われる。それはこの映画が“時代の匂い”とでも言うようなものを描いているからだろう。自分の 高校時代を重ね合わせ、その違いや共通点にある種の郷愁を覚えるのだ。このあとアメリカはベトナム戦争の泥沼にはまり込み、かって の耀きや活力を失ってしまう。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 女性映画の名匠と言われた成瀬巳喜男作品を支えた脚本家・水木洋子との最後のコンビ作。大正初期を舞台に、自分の力で運命を 切り開いてゆく逞しい女性の姿を描く。 子供の頃に農家に貰われ、長じては親が決めた結婚を嫌がって東京に逃げたお島(高峰 秀子) は、気が強くそのくせ情に脆い女だ。神田の若主人(上原 謙)の後妻になるが、女出入の激しい夫との間には悶着が絶えず、大喧嘩の 末に流産する。家を出て落ち着いた先は、山深い寒村の旅館。女中として働くうちに若旦那(森 雅之)と結ばれるが、胸を病んだ細君 が回復して戻って来れば、お島は家を出なければならない。 東京へ帰って仕立て職人の小野田(加東 大介)と再婚、仕立て屋を繁盛させるが、小野田は怠け者でそのうえ浮気者だった。向っ気は 強くても情にほだされやすいお島は、いつまでたっても不幸せだった。 “あらくれ”というこの言葉には、ある種、荒んだ響きがあるように私は感じているが、高峰秀子のイメージは“あらくれ女”とは 随分とかけ離れている気がした。お島は実家の親に邪魔にされて養家にやられたり、戻れば実母に焼け火箸で折檻されたりして、荒んで もおかしくはない生い立ちをしている。しかし、高峰秀子の演ずるお島は、負けん気こそ強いけれど、そういう荒みとは無縁の健気に 一途に生きる女だ。 それはそれで悪くないのだが、どうも私にはお島は「元気のいい女の子」というようにしか見えないのだ、「ひどい ことをされたから腹が立って、ちょっと暴れました」とでもいうような。可愛いといえば可愛いけど、成熟した大人の女の匂いがない。 色気がないのだ。 全体に、日本人(とくに男性)は女性に対して子供っぽい可愛さを好む傾向があるせいか、日本の女優は可愛いまま歳を取っていき、 匂い立つ女の色気を感じさせる人が少ない気がする。それは私にはとても残念なことに思える。男運の悪い女の不幸、というか哀れさの ようなものがお島から滲んでくれば、もっと味のある映画になったんじゃないかと思ったりした。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー アルカトラズ刑務所はサンフランシスコ湾に浮かぶ小島に作られた凶悪犯罪者専用の監獄だ。1963年に閉鎖されるまで、30年間 に3人しか脱獄出来なかったと言われている。このアルカトラズから不可能といわれた脱出を試みた男たちの姿を、実話に基づいて 描いたアクションドラマ。 フランク・モリス(クリント・イーストウッド)は今まで何度も各刑務所で脱獄を繰り返し、ついに脱獄不可能といわれるアルカトラズ 刑務所へ送り込まれる。所長ウォーデン(パトリック・マクグーハン)の厳重な監視をかいくぐって、ここでもひそかに脱獄の策を進め ていたモリスは、別の刑務所で顔見知りだったアングリン兄弟(ジャック・チボー、フレッド・ウォード)がここに収容されているのを 知ると、彼らとともに計画を実行に移すことにする。爪切り、スプーンなどのささやかな道具を駆使して数ヶ月に及ぶ努力が続けられ、 ついに決行の日がくる。 初めから成功すると分かっている話なのに、脱獄が始まってからはもう、ひたすらハラハラドキドキのし通しだ。フランクの緻密で 沈着な冷静さとアングリン兄弟の粗暴さを秘めた大胆さが、いいコンビネーションを作る。ひりひりするような緊迫感のなかで、手際 よくことが進められていく痛快さといったらない。 ほんの少しのためらいから仲間から取り残されて、脱獄に失敗する隣室の男チャーリー・バッツ(ラリー・ハンキン)の存在が アクセントを強めている。マクグーハン扮する監獄所長が、初めは平凡な男のように見えて、じわじわ不気味な冷酷さが表われてくる ところもいい。 脱獄ものって、話は “いかにして成功(失敗)したか” だけのことだ。シンプルなだけに、かえって緻密に組み立てられたパズルを 解いていくような知的興奮がある。フランクたちが救命具に縋りながら夜の海を静かに泳ぎ去っていくラストシーンは、ことを成した 男たちの達成感が感じられて、喝采を送りたい気分だった。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 働きながら夜学に通うタリー(ミシェル・ファイファー)の夢はニュース番組のアンカーウーマンになること。マイアミのローカル局 に就職した彼女は、天気予報のキャスターを振り出しに、最後は全米ネットワークのアンカーを勤めるまでになる。 しかしそこには、タリーにジャーナリストの基本を手ほどきし、彼女の成長を見守る上司ウォーレン(ロバート・レッドフォード)の 姿があった。かつて全国ネットのメイン局で人気・実力ともにトップのアンカーマンだったウォーレンだが、ある事件をきっかけに 挫折し、地方の小さなローカル局で細々とニュース番組を担当していたのだった。 やがて二人は愛し合い、結婚し、タリーはますます実力をつけていくが、再び仕事に意欲を燃やしたウォーレンを待っていたのは、 悲劇的な結末だった。
ミシェル・ファイファーは『アイ・アム・サム』ではやり手の弁護士をうまく演じていたが、この映画ではまだひ弱さが目に
付いて、とても実力派のリポーターには見えない。刑務所暴動の中継が終わった後に、夫レッドフォードにしがみ付いて泣くところや、夫の死をテレビ報道で知り、手にしていたコップ をカラリと床に落としてしまうところなど、女の情感がよく出ていて中々いいシーンだが、それがそのままジャーナリストとしては ひ弱い印象になってしまっているのが難。 女性版アメリカン・サクセスストーリーかと思っていたが、見終わればラブ・ロマンスの印象が強いのは、ファイファーの この個性のせいか。レッドフォードははまり役。 【◎○△×】6 |
|
ストーリー マルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は少年の頃、友だちに虐められているところを軍服姿のリノ(ピエール・クレメン ティ)に助けられるが、自分を犯そうとした彼を射殺してしまうという過去があった。今は大学で哲学の講師を勤めるマルチェロは 熱狂的なファシストになっていた。 ある日彼はファシスト政府から、反ファシストでパリに亡命中の恩師クアドリ教授(エンゾ・タラシオ)を暗殺するよう指令を受ける。 同志マンガニエッロ(ガストーネ・モスキン)の監視の下、新妻ジュリア(ステファニア・サンドレッリ)を伴いパリに赴いた マルチェロは、クアドリ教授を訪ね親交を深める。 彼の妻アンナ(ドミニク・サンダ)はマルチェロの訪問の目的に疑いを抱くが、敵意と反発のなかで、やがて2人は深い関係を 結ぶ。ある冬の朝、別荘に向かう教授夫妻を追ったマルチェロは、眼前でクアドリとアンナが暗殺されるのを目撃する。 数年後、ファシズムが崩壊し混乱したローマ。ある夜、町にさまよい出たマルチェロは、少年の頃射殺したはずのリノに出会い、 驚愕する。 マルチェロはどこまで本気でファシズムを信奉していたんだろう、という疑問が映画を見ている間中、ずっとついて回った。彼の 態度は1つの信念で凝り固まっているというよりは、なにか優柔不断で、頽廃的な匂いすら漂う。彼に必死に助けを求める恩師と その妻が、眼前で殺されるのをなすすべもなく見ていたマルチェロの空虚な眼差し。 彼はずいぶん以前から精神的に徐々に死んでいたのではないだろうか。あれほど若さに溢れ溌剌としていた妻ジュリアが、数年後には やつれて無表情な女となって登場する。その変貌の激しさも、マルチェロとの暮らしが彼女の心から生気を奪っていった結果のように 思える。 彼の荒廃は何によってもたらされたのだろう。少年時代の外傷的な体験か、精神を病み倦怠の底に沈む父や母の存在か。否、ファシ ズムの嵐が吹き荒れた時代の病こそが、彼の精神を蝕んだ張本人であるように私には思える。 足下から巻き上がる枯葉、精神病院の崇高なまでに白い中庭、レストランの客が一列に連なって舞う輪舞、そして早朝の暗殺の森の 雪・・・あまりに美しい映像の数々が、時代の退嬰を映して止まないように思えた。 【◎○△×】8 |
|
ストーリー 昭和22年の戦後間もない頃を舞台にした、室生犀星のベストセラー小説の映画化。 疎開している高名な作家・平山平四郎(山村 聰)には一人娘の杏子(香川 京子)がいる。結婚適齢期を迎え、さまざまな縁談が 舞い込むが、杏子は近所に住む貸し本屋の青年・亮吉(木村 功)の求婚を受け入れる。 しかし亮吉は仕事が長続きせず、作家を志すものの才能の無さはいかんともしがたく、なかなか世間から認められない。平四郎への 劣等感が反感に変わって、酒を飲んでは暴れる亮吉に、夫婦仲も冷え切る。生活の苦しさから、夫婦は平四郎のもとに居候することに なるのだが・・・。 偉大な父親像がデンと聳え立ち、山村聰の立派さばかりが目立つ映画。ファザコンの妻に「お父様が・・・」を連発されたら、ムコ殿 やりきれないだろうな、とつい亮吉に同情心が起きるが、実力がないのにプライドばかり高い彼もちと情けない。 木村功は、初めの純朴そうな青年が後半見事な酒乱に変貌して、意外と演技の幅が広いんだなぁと驚いた。でも、人前では おとなしくて、蔭で妻にネチネチ嫌味をいう亮吉って、案外彼の個性にはまっている気がしないでもない。 杏子は新婚旅行の列車の中も宿に着いてからも、ずっと浮かぬ顔をしていたのが気になった。亮吉の台詞じゃないけれど、彼女はなぜ 亮吉と結婚したんだろう。適齢期だからということだけで無理にしちゃったんだろうか。こういうタイプの女性は気が済むまで家にいて、 秘書代わりに父親の世話をするほうがいいんじゃないのかな、なんて思ったりした。 【◎○△×】7 |
|
ストーリー 『シックス・センス』のM・ナイト・シャマラン監督作品。 ニューヨークからフィラデルフィアに向かう列車が原因不明の衝突事故を起こし、乗客、乗員131名が死亡する。スタジアムの 警備員、デヴィッド・ダン(ブルース・ウィルス)は偶然この列車に乗り合わせ、かすり傷一つ負わずに助かる。なぜ自分だけが 奇跡的に生き延びたのか。悩むデヴィッドのもとに、ある日、不思議な手紙が届く。送り主は漫画コレクター・ ギャラリーのオーナーでイライジャ・プライス(サミュエル・L・ジャクソン)という男だった。 彼は先天的な病気のために骨が脆く、そのために、自分とは逆の不滅の肉体を持った人間が必ず存在するはずだという確信を持って いた。そのヒーローこそデヴィッドだと、イライジャはいうのだが・・・。 イライジャ役のサミュエル・L・ジャクソンがどうも私にはミス・キャストに思える。筋骨逞しくて、とうてい “ガラスの骨” を 持った男のようには見えないのだ。 彼が扮するイライジャは、アメリカン・コミックに登場するヒーローたちのように不死身の人間が存在し、弱きものを助けてくれる はず、というちょっとマニアックな信念を持っている。 ところが、サミュエル・L・ジャクソンは 、“現実” に足をしっかり踏まえて生きています、といわんばかりの匂いを発散し、 イライジャのような空想的な男とはずいぶんイメージが違うのだ。 アニメのスーパー・ヒーローが現実に存在するはずだ、というストーリーも私にはちょっと付いていけなかった。荒唐無稽であること は別に悪くないけれど、それをそのまま真正面から持ってこられると、つい滑稽感が湧いて、引いてしまう。 例えばそれはイライジャの妄想で、初めは取り合わなかったデヴィッドが次第にその妄想に巻き込まれ、その結果、彼の行動が偶然に 奇跡を生んでしまう、というような展開なら、もう少し感情移入できたかもしれないが。 とくに、次々に起こるテロとイライジャの不死身のヒーロー探しが結びつく最後のオチは、「え〜、そういうところに持ってっちゃう の?」と、ちょっと鼻白んでしまった。 【◎○△×】5 |
|
ストーリー 名作として知られる志賀直哉の同名長編小説の映画化。1人の青年が内面の苦悩を通して高められていく様子を描いている。 時任(ときとう)謙作(池部 良)は祖父の愛人だったお栄(淡島 千景)と暮していたが、次第に彼女を女性と して意識するようになる。自分の気持ちを持て余して旅に出た謙作は、お栄との結婚を決心し、その決心をしたためた手紙を兄 (千秋 実)に送る。そして、この時初めて兄から自分の出生の秘密を知らされる。謙作は父(中村 伸郎)のドイツ滞在中、母と祖父 との間に生まれた子供だったのだ。 お栄との結婚は一族の反対に会い、お栄も固辞して潰える。その後謙作は京都で見初めた直子(山本 富士子)と結婚するが、謙作の 旅行中、直子はいとこの要(仲代 達矢)と間違いを犯す。かつて父と母との間に起こった事が、自分と妻との間に繰り返されたことに 謙作は苦悩する。 志賀直哉の原作に対して、日本文学の伝統といわれる私小説が私はあんまり好きじゃないこともあって、なんとなく「女房が浮気した んじゃないかとウジウジする男の話」という先入観を持っていた。それだけに、何の気なしに見た本作が面白かったのは意外だった。 妻の浮気、といっても、直子はいとこにむりやり犯されている。それを許すとか許さないとかいうのは、私としては少々納得できない 気分だ。小津安二郎の『風の中の牝鶏』でも、主人公は自分の出征中、子供が病気になり、治療費に困った妻がたった一度売春した ことをネチネチ責める。こういった映画を見ると、この時代の男ってみんなこんなだったのかしら、とつい幻滅感に襲われる。 話が脇に逸れてしまったが、しかし謙作が悩んだのは妻の浮気そのものより、自分の出生の秘密と絡んで、母は夫を裏切り自分は妻に 裏切られる、という暗い巡り合わせが自分を捕らえているのではないか、ということだった。いわば自分の運命に対して謙作は苦悩する。 そこに共感を覚えた。 私は、日本人は非常に現実的な民族だと常々感じている。良し悪しは別にしても、例えば宗教でも精神的な境地 (救い)よりは、もっぱら現世利益を求めるという具合に。映画も内面の葛藤や苦悩をテーマに描いたものは少ないという印象を受けて いる。その意味で、本作に新鮮さを感じた。 演技陣では池部良を初めていいと思った。そんない数多く見ていないが、彼はハンサムだけど俳優としては大根 なんじゃないかと思っていたのだ。そしてなんといっても淡島千景、「母性」と「女性」の匂いが柔らかく溶け合った演技が 素晴らしかった。 【◎○△×】7 |