| 【 じっくり映画館 】No.53 |
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ストーリー 1984年、ベルリンの壁が崩壊する直前の東ドイツ。国家保安省〔シュタージ〕のヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は、 劇作家ドライマン(セバスチャン・コッホ)と舞台女優で恋人のクリスタ(マルティナ・ゲデック)の監視を命じられる。 2人の住む部屋のあらゆる箇所に盗聴装置をしかけ、反体制的であるという証拠をつかもうとするが、いくら耳を澄ましてもそういう 言葉は聞こえてこない。むしろ愛や芸術を共有する2人の暮らしに、ヴィースラーはいつしか影響を受けていく・・・。 長編第1作目となる若き新鋭、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督が、綿密な取材に4年を費やし、東西ドイツ統一後 17年を経て、初めて監視国家の実態を描いたヒューマン・ドラマ。アカデミー外国語映画賞を獲得。 全編をおおっているのは、この映画の主人公・ヴィースラー大尉の圧倒的な孤独だ。彼は東ドイツの国家体制を信じ、忠誠を誓って いる。国家保安省〔シュタージ〕の苛烈を極める尋問や盗聴と
いった手法にも疑問を感じていない。彼は秘密警察大学で、容疑者が泣いたらその意味はこう、怒り出したらこう、と尋問のやり方を講義するが、それは彼が人間を個々の 存在としてではなく、マニュアルとして見ていることを示している。非人間的な尋問に疑問を呈する学生には「要注意」のチェックを付けることも忘れない。 残酷とは言わないけれど、冷ややかな鉄を思わせるような男だ。友人もおらず妻もいない。徹底した監視社会で心を通わせる人間関係を 持つのはもともと難しいかもしれないが、ヴィースラーはそれすら求めていないように見える。自らの孤独に気づかないことほど、絶対的な孤独はないのではないかと私は思う。 ヴィースラーはシュタージの文化部長グルビッツ大佐(ウルリッヒ・トゥクール)から、劇作家ドライマンと恋人の舞台女優クリスタを 監視し、反体制的である証拠をつかむように指示される。2人のアパートに盗聴装置を仕掛け、24時間の監視を始める。
2人の日々の会話、愛の囁き、友人たちとの交流、すべてが克明に記録されていく。暗い静寂が支配する屋根裏の監視部屋、対照的に2人の部屋は愛し合うものだけが分かち合える柔らかな空気が流れる。クリスタは大分以前から、彼女に目を付けた保安大臣(トマス・ティーマ)に強制され、関係を持っている。ヴィースラーは、ドライ マンが2人の関係に気づくように、小さな罠をしかける。怒りや嫉妬に駆られて、証拠になるような言動をするのを期待したのかもしれ ない。しかし、すべてを悟ったドライマンは、かえって労わるようにクリスタを抱きしめる。 この夜、帰宅したヴィースラーが娼婦を呼ぶ場面は悲しく痛ましい。事務的にことを済ませ帰ろうとする娼婦に、彼は「もう少しここに いてくれ」と懇願するのだ。殺風景な部屋にひとりぽつんと残されたヴィースラーには、砂をかむような孤独が切ないほどにあふれて いる。 私には、この時から2人に対するヴィースラーの関心が変化し始めたように思われてならない。暗い監視部屋で、2人の部屋から持ち 帰ったブレヒトの詩集を読み、自殺した演出家のためにドライマンが弾く「善き人のためのソナタ」の美しいピアノの調べに耳を傾ける。
彼がボールを持った少年に「おじさん、シュタージの人?」と聞かれる場面がある。「パパがシュタージは悪い人だって」「名前は」 「ぼくの?」「・・・いや・・・ボールだ」「ボールに名前なんかないよ」。 以前のヴィースラーなら、迷いなく少年と父親の名を聞き、 父親は逮捕されただろう。彼が自分の任務に疑問を感じ、背きはじめたことが印象的に描かれている。 主演のウルリッヒ・ミューエは、彼自身、10年余も監視された体験を持つという。いかにも監視のプロを思わせる無表情が、かえって 彼の中で動き始めた “なにか”(人間的なるもの)を雄弁に物語るように思える。 後半、映画は急速にサスペンスの度を深める。東ドイツの自殺の実態が西側の雑誌に暴露され、当局の執拗な犯人探しが始まる。クリ スタが強要されて恋人のドライマンを密告し、呵責に耐えられずに自死。証拠のタイプライターが消失し、任務失敗の責を負ってヴィース ラーは左遷される。そして東西ドイツの統一・・・。 ドライマンはかつて自分が完全監視下に置かれていたことを知り愕然とする。そして、自分についてのレポートを調査するうちに、“HGW XX/7” という監視者の存在に行き当たる。謎の監視
者は途中から捏造した報告を上げていた。いぶかしく思ったドライマンは “HGW XX/7” を探し始める。こうして、映画は最後にもっとも感動的な場面を用意する。街角を郵便配達の手押し車を引いたヴィースラーが歩いていく。新体制 になっても、地味で寡黙で、孤独な暮らしは変わらない。 彼は書店でドライマンの新刊、『善き人のためのソナタ』を手に取り、そこに書かれた献辞に目を留める。 この時のヴィースラーの顔をなんと表現したらいいのだろう。春の音に耳を澄まし、柔らかな風の匂いをかいだ時、人はこういう表情を するのではなかろうか。ドライマンにもクリスタにも二度と会うことはないけれど、彼は初めて人とのつながりを持ったのだ。 彼の孤独はこれからも変わらないだろう。しかし彼は人間として存在している。わずか数秒のラストショットが慈雨のような余韻となって、映画の感動を深める。 【◎○△×】9 |