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【 じっくり映画館 】No.52

愛を乞うひと


1998年  日本  135分
監督 平山 秀幸
出演
原田 美枝子、野波 麻帆、中井 貴一、國村 隼
うじき つよし、小日向 文世、熊谷 真実
小井沼 愛、牛島 ゆうき、浅川 ちひろ

  ストーリー
 母親に虐待された過去を持つ女性が、父親の遺骨を探しながら自身の封印された記憶と向き合い、乗り越えていく姿を描いた人間 ドラマ。日本アカデミー賞など各賞で作品賞、監督賞に輝いたのをはじめとして、照恵と豊子の二役を演じた原田美枝子が主演助演賞を 独占した。
 夫の死後、女手一つで娘を育ててきた照恵(原田 美枝子)は、亡き父・陳文雄(中井 貴一)の遺骨を捜そうとする。手がかりを たどるうちに、照恵の脳裏に幼年時代の記憶がよみがえって来る。彼女はかつて、母・豊子(原田 美枝子、二役)からすさまじい虐待を 受けていた。
 高校生の娘・深草(いぐさ)(野波 麻帆)とともに、父の故郷・台湾に赴いた照恵は、やがて今も生きている 母と会うことを決意する。

  一口感想
 照恵が豊子のすさまじい暴力を生き延びることが出来たのは、父に愛された確かな記憶があったからだろう。この映画は、父の遺骨を 探す旅を通して、照恵が失われた自己を回復するまでを描いている。それは、仮死状態のままだった心が息を吹き返し、だれにも囚われ ず大きく呼吸することだ。

 彼女の旅に娘の深草(いぐさ)が同行したことが意味深く思える。映画の中でただ一度、照恵が深草に手を 上げる場面がある。翌日、照恵は学校まで娘を迎えに行き、「昨日はごめんね」と謝るのだが、かえって「お母さん、そうやってすぐ 謝るのやめなよ。悪いのは私なんだから」と言われる。この時の深草の晴々した表情が印象的だった。
 娘に手を上げたのは照恵が豊子から受けた暴力と本質的に異なっているのだが、照恵は親として自信がなく、娘にすらどこか心を閉ざ しているおり、深草はそれが寂しかったこと、叩かれてかえって母を身近に感じられたこと、そうしたことが出ている気がしたからだ。
 深草が同行し、母の生い立ちのすべてをともにつぶさに辿ることになったのは偶然ではなく、母としての照恵を自分の手に取りもどす旅 であったのだと思う。

 一方、照恵にとって旅の過程でよみがえるあまりにつらい過去は、一人ではとうてい耐えられないことだったろう。血を分けた娘と いう同伴者がいることで、父(ひいては自分)のルーツを辿り、自分がなにものかを確かめることが出来たのだと思う。

 海辺の寂れた町での照恵と豊子の再会は、この映画のもっとも鮮烈な場面だろう。遠くから見つめる照恵の前に、ゆっくりと傘を 差した豊子が現われる。遠めには若く見えるが、近づくと、薄くなった頭髪や小波のような皺が彼女の年齢をくっきりと浮き出す。何 より凍ったその目が、豊子のその後の人生を雄弁に物語る。
 豊子の経営するわびしい美容院で、2人並んで鏡に映るシーンはすさまじいというほかない。たがいに相手を認識しながら、あえて 名乗ることをせずに、鏡の中の自分と相手を見つめる。ひとり二役で演じた原田美枝子のすごさがこの場面に凝縮している。息を飲んで そんな2人を見つめる深草。照恵はここで豊子の視線に耐えられたことで、過去に訣別できたのではないかと思う。

 帰りのバスで、深草の肩に顔を埋めく泣く照恵の姿に、私は身体の芯が揺すぶられるような感覚を覚えた。彼女は生まれてこのかた、 心から泣いたことはなかったと思う。喜怒哀楽を感じたら生きられない。感情を殺し、仮面のような顔に作り笑いをして人の怒りを 逸らす。そうして生きてきたのだ。
 今、照恵は娘の前で心を開いて泣いている。深草はまるで母親のようにゆったりとそれを受け止める。過去を辿る旅がやっと終わり、2人の 親子としての本当の歩みが始まるのだ。深草を演じた野波麻帆の屈託のない伸びやかさがいい。照恵を癒し、豊子との対峙に導いたのは、 深草だった。重くなりがちな内容が彼女の存在で明るくなったと思う。

 それにしても、現在の豊子が美容師をしているとは意外だった。資格が必要な美容師は、思い立てばすぐ出来る仕事ではない。なにが 彼女をこの仕事に向かわせたのだろう、と私は思いを巡 らせる。
 それは娘・照恵の手の記憶だったのではなかろうか。照恵は髪を梳くのがうまかった。豊子は激しい折檻を加えた後でさえ、照恵に 髪を梳かせた。髪を丁寧にやさしく触られるのは気持ちがいい。私などは美容院でしばしば眠くなるほどだ。しかし、豊子にとっては それだけではなかったような気がする。彼女の深い愛情欲求が、娘のやさしい手の感触で満たされ癒されていたのだと思う。

 私は映画を見ながらずっと、タイトルの “愛を乞う人” は照恵だと思っていた。しかし途中から、違う、愛を乞うているのは豊子 だ、と思うようになった。
 開巻早々と終盤に、夫の文雄が幼い照恵の手を引いて、豊子の元から去っていく、同じ場面が出てくる。冒頭のこの場面では、後を 追う豊子は「ばかやろー、どこへでも行っちまえー」と夫と娘に悪態をつく。ところが終盤の同じ場面では、この後でさらに「置いて いかないで」「こわいよー」と何度も叫ぶのだ。その声は幼女のように悲痛だ。
 映画では一切描かれていないが、豊子はこの時の照恵と同じ3,4歳の頃、だれにも守られず、極度の不安と恐怖の中に置き去りに された体験があるのかもしれない。求める愛をだれからも与えられず、愛情飢餓の地獄を生きてきた。文雄の愛に出会った時、どれほど 与えられてもなお足らず、娘と分け合うことなど到底出来なかったのだろう。

 老いた今、豊子は去ってゆく照恵を見つめて立ち尽くす。もう赦しも求めず愛も乞わない。昂然と顔を上げ、氷雪の野に立ち、孤独を 貫くのだ。壮絶だが、ある意味で見事だとも思った。
  【◎△×】8

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