| 【 じっくり映画館 】No.51 |
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ストーリー 旧約聖書のカインとアベルの物語を下敷きにした、トラスク家三代にわたる兄弟葛藤を描いたジョン・スタインベックの長編小説を、 エリア・カザン監督が映画化した。原作の前半を大胆にカッ
トし、2代目アダムの次男キャルを主人公にしている。キャルを演じたジェームズ・ディーンを一躍スターダムに押し上げたが、ディーンは本作をふくめわずか3作を残しただけで自動車 事故で急逝した。アカデミー賞の監督、脚本、主演男優(ディーンはすでに亡くなっていたにもかかわらずノミネート)、助演女優の 4部門にノミネートされ、母親ケイトを演じたジョー・ヴァン・フリートが助演女優賞を獲得した。 1917年、カリフォルニア州の町サリナス。農場を経営するアダム・トラスク(レイモンド・マッセイ)には、2人の息子がいる。 真面目で温厚な兄アロン(リチャード・ダヴァロス)はアダムの秘蔵っ子で、アブラ(ジュリー・ハリス)という美しい恋人がいる。 頑なで気むずかしいところがある弟キャル(ジェームズ・ディーン)は、父や兄の持て余しものだった。アブラはそんなキャルが どこか気がかりだった。キャルはモンタレイ郊外で酒場を経営するケイト(ジョー・ヴァン・フリート)が、死んだと聞かされている母親ではないかと思い、ある日こっそり会いに行くのだが・・・。 『エデンの東』ほど私にとって思い入れの深い映画はない。中学1年の時、2歳年上の姉に勧められて見に行ったのが最初。それから これまで何度見ただろうか。私の《思い出の映画》を3本をあげるとしたら、『めまい』(58)、『リオ・ブラボー』(59)、『サイ コ』(60)。『エデンの東』が入っていないのは、私にとって別格の映画だからだ。 今見ると、かなりセンチメンタルな部分もあるけれど、それでも激しく情動が揺さぶられる。キャルの疎外された寂しさや悲しみが 時代や年齢を越えた普遍性を持っているからだろう。
モンタレイ郊外で酒場を経営する実母ケイトを待ち伏せする時の、どことなく所在なげなだらしない仕草にすら、彼の寄る辺ない心情が表われている。サリナスに帰る列車の屋根にうずくまって、セーターを肩から顔にぐるりと巻いた姿、氷小屋の2階で兄アロンと恋人のアブラが睦まじげに話すのを、氷の隙間からじっと見つめる瞳、夜の観覧車でつと顔を寄せてアブラに口づけする時のおずおずした様子、どのシーンにも、愛に飢えたキャルの灼けつくような孤独が感じられる。そして、ラストの父の枕辺に椅子を寄せて、背中を丸めて座る後ろ姿・・・、鮮烈なショットは数え上げたら切りがない。 アダムが新しい事業を始めた時、「父さんは張り切っている」とキャルはいかにも嬉しげに隣人に言う。父を手伝う、そして父に認め てもらう。彼自身の心が張り切っているのだ。 事業が失敗すると、損失を取りもどしてやりたい、と豆の買占めに手を出す。芽を出し始めた広大な豆畑を、嬉しくて酔っ払いのよう にふざけ回るキャル。親に認めてもらいたい子どもの心ってこんなにもいじらしいのかと、涙が滲みそうになる。 敬虔なクリスチャンであるアダムは “義” の人だ。しかしその正しさは偏狭で一面的だ。彼は現実の醜さや人の弱さを排除し、否定 する。厳しい抑圧で自分を律し、息子たちにもそれを要求する。アロンは父の価値観をそのまま受け継いだ。家族が一つの価値観に凝り固まると、まるでバランスを取るように、否定された部分を受け持つ人間が家族の中に現れる。キャルがそうだ。 アダムの誕生日の夜、買占めで儲けた金をプレゼントしたキャルが、それを拒否される場面は見るに忍びないほど痛ましい。金をぼろ ぼろ手からこぼしながら、キャルがアダムに縋りつくシーンは、ジェームズ・ディーンのアドリブだそうだ。そういえば、「キャル」 「キャル」と言って彼を押しのけようとするレイモンド・マッセイは、演技とは思えないリアルさがある。彼も動転したのだろうか。
それだけ迫真の場面になっている。「もう父さんの愛はいらない」「父さんの愛は何の役に立たない」と絶望していうキャルの言葉が悲痛だ。 アブラは、アロンが自分に聖母マリアのような母性を求めることに次第に息苦しさを覚え、キャルの寂しさに心を寄せるようになる。 アロンがこの時自分の中に芽生えたキャルに対するどす黒い嫉妬をきちんと自覚できたなら、人の心の弱さや醜さが自分の中にもある ことを知ったなら、後の悲劇は起っただろうか。少なくとも、“アブラとの婚約” という父が最も喜ぶ贈り物で、キャルのプレゼントを台無しにするような、むごい仕打ちはしなかったかもしれない。 キャルは仕返しに、アロンに死んだはずの母を逢わせ、“真実”を剥き出しにしてみせる。ショックを受けたアロンは、あれほど否定 していた戦争に出征を志願する。狂ったように笑いながら、彼が列車の窓ガラスに頭を打ちつけるシーンは、微塵に割れたガラスがその まま砕け散った彼の人格を表わしているようで衝撃を受ける。目撃したアダムはショックで倒れてしまう。 原作は未読だが、映画を見る限り、アロンはあのまま戦地で死んでしまうような気がする。兄を死に追いやり、父を半身不随にした キャルは、エデンの園を追われ、ノドの地に去った旧約聖書のカインのように、ここを去らなければならないと思う。報われなかった愛 の代償として、彼の犯した罪はあまりに大きい。 しかし、償いのためには父アダムの赦しがいる。そうでなければ、彼はこれからの人生を生きる屍として過ごさなければならないだ ろう。「愛しているとキャルに伝えてほしい」と、病床のアダムに切々と訴えるアブラ。アダムのおぼつかなく動く口元に耳を寄せる キャル。 そして、「あの看護婦は嫌いだ、お前に世話をしてほしいと言われた」と、いそいそとベッドサイドに椅子を運び、そっと腰を下ろす キャルを、アブラは万感の思いを込めて見つめる。このラストシ
ーンは何度見ても胸が一杯になる。キャルのように家族を死に追いやらないまでも、若者は精神的に “家族殺し” をしなければ、“青春” という残酷で痛切な季節を 通り抜けられないのかもしれない。そんな思いが胸をよぎる。 ケイトに扮したジョー・ヴァン・フリートは、今改めて見るとすごい俳優だと思う。最初にキャルが訪ねてきた時は、我が子と知って いながら叩き出す冷酷さを見せる。 次に彼が豆の買占めの資金を借りにくると、自分の「汚れた」金がアダムの「清廉」を救う皮肉さを腹の中で嗤(わら)いながら、ポンと出してやる。そして「お前と私は似たもの同士だよ」と目配せして頷く。したたかに世間を渡ってきた女が、実の息子にふと心を許した瞬間を、こうして微妙な空気で表現するのだ。 そして、彼がアロンを連れて現われた時の「キャル・・・」と恨みを込めた呟き。アカデミー賞を獲得した演技はさすがだと思う。 ディーンの残り2作、『理由なき反抗』(55)、『ジャイアンツ』(56)、それぞれによい映画だけれど、本作は私にとって特別の意味が ある。この映画でジミーに出会い、半世紀を経て私は年を取ったけれど、彼は永遠にそこにいて、思春期にスクリーンを見つめた私を甦らせてくれるのだ。 【◎○△×】8 |