| 【 じっくり映画館 】No.38 |
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ストーリー 『酔っぱらった馬の時間』『我が故郷の歌』のバフマン・ゴバディ監督が、戦火で荒廃した大地で逞しく生きる子どもたちを、力強いタッチで描いている。 2003年春、イラク北部クルディスタンの小さな村。ここでは子どもたちが地雷を掘り出して仲買
人に買ってもらっている。子どもたちのリーダー、サテライト(ソラン・エブラヒム)はおとなたちとの交渉を一手に引き受け、子どもたちから慕われている。ある日サテライトは、両腕のない兄ヘンゴウ(ヒラシュ・ファシル・ラーマン)と盲目の幼子(アブドルラーマン・キャリム)と ともにやって来た、難民の少女アグリン(アワズ・ラティフ)に一目惚れする。なにかと親切にするサテライトだが、アグリンは笑顔を 向けることすらしない。 やがてサテライトは、ヘンゴウが不思議な予知能力を持っていることを知る。ヘンゴウは、間もなく戦争が始まることをサテライトに 告げるのだった。 あまりに深い感動を受けると、感想が書けなくなることがある。しばらく時を置き、作品との間に冷静な距離をとらないといけなく なる。本作は私にとってそういう映画の1つになった。 オープニングでまず胸を衝かれる。目もくらむような断崖にうずくまる少女。ふと立ち上がると、すいと地面を蹴って宙に身を投げ 出す。物が落下するようにすーっと落ちていくシルエット。あまりのあっけなさに、一体何が起こったのかと戸惑うほどだ。 バフマン・ゴバディ監督の映画は『酔っぱらった馬の時間』(00)を見たのが最初だった。クルド人の苛酷な生活を子どもの姿を通して 描いていて強い印象を受けたが、本作から受けた衝撃はさらに重く深かった。
舞台はトルコ国境近くのイラク、クルディスタンの村。ここには地元の子どものほかにクルド難民の孤児たちが住んでいる。彼らの リーダーは “サテライト” と呼ばれる少年だ。本名はソランだが、村々に衛星放送のアンテナの設置を進めて回るので、そういう渾名で 呼ばれている。 この少年がじつに逞しい。自分たちを見舞った悲劇なんぞはどこ吹く風、少しも打ちのめされていない。子どもたちを指揮して地雷を 掘り出し、仲買人に高値で交渉して(これがなかなか堂に入っている!)売り払い、生活費を稼ぎ出す。便利屋として村の大人たちに 一目置かれ、子どもたちの信頼も厚く、自分でもひとかどの人物というプライドを持っている。 彼に率いられる子どもたちも、大人に頼ろうとしない強さをもっている。戦乱の厳しさを肌で知っているのだ。自分のことは自分の 力で何とかするしかない。大人は彼らを地雷掘りの作業員として使う。サテライトが差配して希望者を差し向ける。彼らの中には地雷で 足や手を失った者もいるが、みな進んで地雷原に入っていく。 戦争が近いと知ると、サテライトたちは町の武器市場で、地雷をカタに機関銃をレンタルする。敵の襲来に備えるためだ。平和な 日本では想像も出来ないショッキングなことばかりだが、子どもたちに暗さは微塵もない。それが日常であり、彼らにとって当たり前の 生活だからだ。 アメリカによる攻撃開始直前の2003年の春。両腕のない少年と、目の見えない幼児を連れた
少女がやって来て、難民キャンプに住み着く。彼らはクルド人虐殺が行われたハラブジャから逃れてきたのだ。サテライトは、アグリンというこの美しい少女が一目で好きになる。しきりとグループに引き入れようとするが、彼女も兄のヘンゴウも 孤立を守り、心を開こうとしない。 兄妹のある日の夕食シーンにドキッとする。アグリンがヘンゴウに、「この子を置いて、2人だけでどこか逃げよう」というのだ。 幼子のあどけない顔が見えない目を宙に泳がせる。ヘンゴウは「どんなに小さくても分かるんだよ」と妹をたしなめ、「行く時は必ず 3人一緒だ」と強くいう。「私の子なんかじゃない」というアグリン、「またそれを言う」と叱るヘンゴウ。 3人をきょうだいと思っていた観客は、ここで冷水を浴びせられる。彼らにはなにか秘密があるのだろうか、と。 ヘンゴウは幼子のリガーに「お前はいい子だ」と絶えず話しかけ、シーツやシャツを口で咥えて世話をする。彼のやさしさはあまりに 深くて、しまいに悲しみを誘われるほどだ。一方、アグリンは口をきつく閉めて、硬い表情を崩さない。村のはずれの岩山にリガーを 置き去りにするかと思うと、深夜、キャンプを抜けだし、池でガソリンを被って焼身自殺しようとする。 徐々に明かされるそのわけを知った時、言葉を失うほどの衝撃を覚える。アグリンが背負った過去は、サテライトの少年らしい恋を 相手にするには苛酷過ぎた。子どもの時代を生きる前に、一足飛びに大人の世界に組み入れられた少女、それがアグリンだった。
彼女は最後には生きることを止めて、飛び立つ鳥のように、崖から身を投げてしまう。サテライトの生きる逞しさに比べて、すべてを
あきらめたアグリンは、なんと悲しいことだろう。戦争で一番深い傷を負うのはいつも子どもだ。しかし、ゴバディ監督はそれを声高に叫ぶことはなく、むしろユーモアを交えて淡々と 描いていく。それがかえって戦争のむごさを際立たせるように思える。 サテライトはアメリカに夢を抱いていた。得意そうに英語を連発し、いつかアメリカが世界を変えてくれると信じていた。しかし、 アグリンもリガーも死に、ヘンゴウが姿を消し、村にアメリカ軍が進駐してきた日、サテライトは通り過ぎる米軍戦車に背を向ける。 サテライトも子どもたちも少し大人になった。町で兄と商売を始めた子どももいる。みな少しずつ自分の道を歩き出したのだ。詩情を 湛えた明るさが、映画の余韻をいっそう深いものにしていると思った。 【◎○△×】9 |