| 【 じっくり映画館 】No.33 |
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2004年 スペイン 125分 監督 アレハンドロ・アメナーバル 出演 ハビエル・バルデム、ベレン・ルエダ ロラ・ドゥエニャス、マベル・リベラ セルソ・ブガーリョ、タマル・ノバス クララ・セグラ、ホアン・ダルマウ |
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ストーリー 船乗りだったラモン・サンペドロ(ハビエル・バルデム)は、25歳の時、海での事故で首から下が動かない四肢麻痺の障害を負う。 その後26年間をベッドの上で過ごしたラモンは、「尊厳のない生」を自らの意思で終わらせる決意をする。 しかし自力では自殺出来ないため、尊厳死を法的に支援する人権団体のジェネ(クララ・セグラ)らの支援を受けて、法廷で死の 自由を訴えることにする。 自らも脳に不治の病を持つ担当弁護士のフリア(ベレン・ルエダ)と、テレビ・ドキュメンタリーで彼を見て、死を思い留まらせ ようとして訪ねてきた子持ちのシングル・マザー、ロサ(ロラ・ドゥエニャス)の2人は、ラモンに会ううちに次第に彼に強く惹かれる ようになる。 1998年、スペインで実際に起きた出来事を『アザーズ』(01)のアレハンドロ・アメナーバル監督が映画化。アカデミー賞の 最優秀外国語映画賞を受賞した。 「生きる」とはどういうことなのか。それを強く考えさせられる映画だった。 愛する人の温かい肌、赤子の甘い乳の匂い、成し遂げた仕事の昂ぶり、裏切りや挫折・屈辱の心の震え、夜気に包まれる孤独、食卓に のぼる湯気・・・。陽光や微かな風のそよぎ、樹や土の香り・・・。ささやかな日々の営みと喜怒哀楽の中で、私たちはふと生きている ことを感じる。 ラモンがフリアにいう印象的な言葉がある。「たとえば君がそこにいる、わずか1メートル、その距離は常人にはわずかなものだ。 でもぼくにとってその距離は無限だ」。
1メートルが50センチでも同じだ。愛する人に触れよう手を延ばしたくても、1ミリの身動きも出来ないラモンにとって、それは無限の距離を意味している。自分では何一つ出来ない。すべてを人にしてもらわなければならない。ベッドに横たわるだけの人生。これで「生きている」と いえるのか。 難しい問いだ。人は自分のためだけに生きているのではない。愛してくれる人のためにも生きるべきだ。大方の人はそう答えるだろう。 ロサが初めてラモンを訪れた時に言う「どんな人生でも生きる価値がある」という言葉は、そういう世間の常識を表しているように 思える。 しかしラモンは「これまでの自分の人生は尊厳あるものではなかった」という。これはラモンと同じ障害を負いながら、生きる努力を続ける人たちにはむごく響く言葉ではないかと思う。しかしラモンは「人の生きかたを否定しない。だから自分の生きかた(=死の選択)も認めてほしい」という。
ラモンにとって “死” は「肉体」の桎梏(しっこく)からの解放を意味しているように思える。海岸を散歩するフリアを求めて、彼の魂が寝室の 窓を通り抜けて空に飛翔するシーンある。どこまでもどこまでも自由に、高く低く野山を越えて、海へ飛んでいく。その遥々とした 開放感。私がもっとも感動した場面だ。 そして、浜辺を歩むフリアを見つけ、強く抱きしめるラモン。彼はロサに「死んだ後はなにもない」とはっきり語っている。死後の世界を信じて死のうというのではない。しかし、死は彼にとって “終わり” ではない、魂が飛翔する “始まり” であることを、このシーンは強く感じさせる。 ラモンが死を願うのは家族の愛が足りないからだ、という神父の発言が家族を苦しめる。それでもラモンの意思が変わらなかったのは、いかに彼が「肉体からの解放」と、それによって得られる「魂の自由」を希求していたかを表わしている。 私がこの映画で強く引かれたのは、彼を取り巻く家族のそれぞれの姿だった。 兄のホセ(セルソ・ブガーリョ)は弟が自分から死のうとしているなんて、到底受け入れられない。家族がこんなに彼を愛し、心から 支えているのに、なぜ死にたいなんて思うのか。家族は愛によって結ばれ、その愛で人は生きるパワーを得ると信じているホセにとって、 ラモンが死を選ぶ理由がまったく理解できない。ただ、怒り、悲しむだけだ。
ラモンがロサに伴われて死出に旅立つ時も、彼だけは見送ろうとしない。一見頑ななその姿に、彼の悲痛な思いが表れている。ホセの心情は誰でも抱くありふれたものだけに、いっそう深い共感を呼ぶ。兄嫁マヌエラ(マベル・リベラ)はラモンをもっとも深く理解していた人だと思う。彼がなぜ死を選ぶのかを、彼女はあえて知ろう とはしない。ただ、ラモンの生きかた(死にかた)はラモンが選ぶべきだと思っている。 「彼がそう願うなら」。「あなたはどう思う」とフリアに問われた時、彼女はそう答える。自分の考えは関係ない、ラモンの願いが すべてだと。母親のようにラモンを愛し、献身的に尽くすマヌエラだけに、この言葉は切ない。愛する者が死を望んだ時、静かに見守り、 そして見送る。自分が死ぬよりつらい。それをマヌエラはやり通す。
甥のハビ(タマル・ノバス)は両親とはぜんぜん違うあり方を見せる。彼は叔父のラモンが好きだ。あれこれ言いつける用も面倒
くさがらずにやってやる。時々、ひどいことを言ってラモンを傷つけたりするが、そのことにあまり自覚がない。ラモンをめぐる深刻な状況にもあまり関心がなく、屈託のない日々を送っている。 若さとはこういうものなのだと思う。こうでなくてはいけない、とさえ思う。彼はこの映画に風のような爽やかさをもたらしている。 そして、いつも息子ラモンのベッドに寄り添う老父ホアキン(ホアン・ダルマウ)。先に旅立つ息子を見送らねばならない運命を、 無言で堪える姿に胸を打たれる。 ラモンがビデオカメラの前で自発的に青酸カリを飲んで死んでいくシーンは、正直言って見るのが苦しい。彼は死を手伝った人々が 罪に問われないように、このようなテープに残す方法を取っ
たのだそうだ。死の前夜、ラモンとロサがボイロの海の見える部屋で夕焼けの空を見つめるシーンが印象に残る。 愛するゆえにラモンの死を手伝う 決心をしたロサが、愛を確かめるようにそっと彼の額に口づけする。フリアの透明な美しさと対照的に、リアルな生活臭を漂わせるロサ。 ビデオカメラを設置して部屋を退去する時、彼女はどれほど心で慟哭したろうか。 そして、脳に不治の病を持つゆえラモンの死への願いを理解し、同行しようとしたフリア。発作のために一緒に死ねなかったフリアは、 最後はラモンの名すら分からなくなる。 この映画では、ラモンを愛する家族、女性たちのさまざまな愛の形が描かれている。そして「生きること」「死ぬこと」の意味を真摯に 問いかけてくる。 テーマは重いが、色調の明るさや登場する人々の温かさ、そしてなによりラモンに扮したハビエル・バルデムの穏やかなユーモアを 漂わせた表情に救われる。彼は30代の若さで、20歳も年長のラモンを見事に演じきった。生涯の代表作になったと思う。 【◎○△×】8 |