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【 じっくり映画館 】No.29

ジャンヌ・ダルク


1999年  アメリカ  157分
監督 リュック・ベッソン
出演
ミラ・ジョヴォヴィッチ、ジョン・マルコヴィッチ、フェイ・ダナウェイ
ダスティン・ホフマン、ヴァンサン・カッセル、チェッキー・カリョ

  ストーリー
 15世紀初頭、イギリスとの100年戦争が続くフランス、ドンレミ・グリュ村に生まれたジャンヌ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は、 17歳の時、神の声に従い、シノンの城で王太子シャルル(ジョン・マルコヴィッチ)に謁見する。
 神の使者だと語るジャンヌに王母ヨランド・ダラゴン(フェイ・ダナウェイ)や廷臣らは不安を抱きつつも、彼女に軍を率いることを 許す。甲冑に身を固めたジャンヌはデュノワ伯ジャン(チェッキー・カリョ)ら王太子軍と合流、イギリス軍の包囲を解いてオルレアン 入城を果たす。この勝利によって王太子はランスで戴冠し、シャルル7世となった。
 その間もジャンヌは進撃を続けるが、軍は疲弊し、もはやジャンヌを必要としないヨランドらの裏切りもあって、ついにジャンヌは 囚われの身となり、異端審問にかけられる。

 19歳で火刑台に上り波乱に満ちた人生を閉じた救国の少女、ジャンヌ・ダルクの生涯をリュック・ベッソン監督が独自の視点で描いて いる。
 聖女、狂人と毀誉褒貶(きよほうへん)したジャンヌだが、25年後に復権裁判が開かれ、魔女として 処刑された彼女の有罪判決は無効とされた。さらに400年後、1920年にジャンヌはバチカンより正式に “聖人” の一人として 列聖された。

  ふた口感想
 ずいぶん以前に、出版社は忘れたがある新書でジャンヌ・ダルクの事跡を読んだことがある。その時に受けたジャンヌのイメージと、 本作に描かれたジャンヌはずいぶん違うというのが、第一に思ったことだった。
 シャルル王太子に謁見を求めた頃のジャンヌは、まだ16、7歳の少女だった。彼女が甲冑に身を固め、軍旗をはためかせ、黒馬に 乗って現われた時の兵士たちの驚きは想像に余りある。
 それ以前に、召命を受けたジャンヌの噂はすでに兵士たちの間に流れていた。殺風景な男ばかりの戦場で、いわば “人殺し” に 明け暮れていた兵士たちにとって、ジャンヌの颯爽とした姿はまさに天から送られて来た聖女に見えたことだろう。
 この時代の人々の信仰は現代にくらべ率直でシンプルだったんじゃないかと思う。それがジャン ヌの召命の自信となり、民衆・兵士の 信仰と呼応して彼女のカリスマ性を生み、奇跡を呼んだと思うのだ。
 そういうオーラのようなものが、どうも本作のジャンヌからは感じられない。ふつう過ぎるのだ。ジャンヌを演じるミラ・ ジョヴォヴィチがすでに成人した “大人の女性” であることや、大柄なのが、私にはジャンヌのイメージと違う気がするのかも しれない。
 ジャンヌは学はなくて無知だけれど、聡明で、沈着冷静な少女だったという。しかし映画のジャンヌは情緒不安定で、そんな女性が 躁状態に陥っているように見える。ジル・ド・レ(ヴァンサン・カッセル)、デュノワ伯、アランソン公など歴戦のつわもの達が、ヒステリックなジャンヌに閉口し、なだめたりすかしたり、彼女のお守り役になってしまっている。
 ジャンヌは殺された兵士たちを見て動揺し、「こんなことのために私は戦っているのではない」と言って泣き出したりする。これでは 兵士たちの士気が落ちる。本当に彼らはジャンヌを信じてついていったのだろうか、と思わずにはいられない。
 初めての謁見の時に、ジャンヌがシャルル王太子を見つけるシーンなどは、居並ぶ廷臣たちの間に紛れていた王太子のもとに一直線に 歩み寄り、すっとひざまずく、という従来のイメージ通りに演出してほしかった部分だ。実際はベッソン監督が描いたようなものだった のかもしれないが、ドラマティックじゃなさ過ぎて、私には物足りない。


 後半、 “ジャンヌの良心(内なる声)”(ダスティン・ホフマン)が登場し、彼女と対話を交わす。これは “ジャンヌの受けた 啓示” をベッソン監督がどう解釈したかを表わしていると思うのだが、“内なる声” というのはずいぶん現代的な解釈だなぁと思う。
 「神は死んだ」といわれて久しい現代と違って、少なくともジャンヌの生きた時代は神は紛れもなく存在し、その声に従って人々は 生活していたと思う。ジャンヌも自分が神の召命を受けたことを確信し、それがジャンヌに輝きを与えたのだと思う。
 ランスでの戴冠式がジャンヌにとってのピークで、その後のジャンヌは連戦連勝というわけにいかなくなる。だんだん兵士たちや ジャンヌを迎える町の住民たちの間に、ジャンヌは本当に神の啓示を受けたのか、という疑いが生まれ始めたのは確からしい。
 ジャンヌ自身苦しんだに違いない。けれど、ジャンヌは「なぜ神は私を見捨てるのか」と思ったかもしれないが、神の声は「自分が 聞きたかったから聞いたのだ」とは夢にも思わなかったと思う。15世紀に生きる人々は、自分自身の中にひそむ善や悪は、“天使”や“悪魔”というように、自分から切り離した存在として 外在化し、自分の内に目を向けることはなかったんじゃないかと思うからだ。
 ジャンヌが受けた啓示は彼女自身の内から湧き出た声なのだというのは、私もまーそうかもしれないと思わないではないが、それを 対話という形でジャンヌが意識化したように描くのは、ちょっと違うんじゃないかという気がする。

 と、ベッソン監督のジャンヌ像は私にはちょっとなじみにくかったけれど、それでも映画としてはかなり面白かった。ミラ・ ジョヴォヴィッチも監督の期待に応えて熱演、無垢な感じがそれなりに出ていたと思う。とくに、懺悔が許されないままに火刑の炎に包まれるラスト・シーンは、哀れで、思わず胸が詰まった。苦悩の末に精神の高みに到達したジャンヌと、聖職者たちの世俗性の対比が 印象的だった。
  【◎△×】7

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