| 【 じっくり映画館 】No.23 |
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ストーリー 戦後50年に及ぶ旧ユーゴスラビアの混乱の歴史を、マルコとクロという二人の男を通して綴った大河ドラマ。【戦争】【冷戦】、 再び【戦争】の3部からなり、カンヌ国際映画祭で作品賞を受賞した。 第2次世界大戦下のベオグラード。マルコ(ミキ・マイノロヴィッチ)は屋敷の地下室に避難民をかくまいながら、彼らに武器を 製造させ、武器商人として富と名声を手に入れる。 やがて戦争が終わり、占領軍も去るが、マルコはその事実を隠したまま、地下の避難民に武器製造を続けさせる・・・。 第2次世界大戦中はナチス・ドイツの侵略下にあったユーゴ王国は、戦後は共産主義のユーゴスラビア連邦となるが、冷戦の時代を 経て30年後に崩壊し、内戦の大地と化す。 変転する運命に翻弄される人々の姿を、マルコ、彼の親友・クロ(ラザル・リストフスキー)を中心に、女優で後にマルコの妻になる ナタリア(ミリャナ・ヤコヴィッチ)、マルコの弟・イヴァン(スラヴコ・スティマチ)らを通して描いている。 クストリッツァ監督作品は、『黒猫・白猫』を公開時、劇場で見たのが最初だった。全編爆竹と金管楽器が一緒に鳴り響いている ようなあまりのけたたましさに、めまいを起こしそうになった。 あの底抜けの明るさはなんなのだ、という疑問がこの映画を見ようと思ったきっかけだった。 けたたましさは相変わらずだが、本作は意外にシリアスな内容の映画だった。 主人公の1人、マルコはチトー率いる共産パルチザンの一員で、爆撃から守るという名目で屋敷の地下に仲間を匿 (かくま)い、彼らに武器を作らせている。 抜け目のない彼は、戦争が終っても、それを隠して地下の住人たちに武器を作らせ続ける一方で、地上では彼らは死んだことにして しまい、大戦中の英雄に祭り上げる。いわば地下に避難したクロたちはこの世にはいない存在にされてしまったのだ。 政治中枢に潜り込み、チトー側近に成り上がったマルコは、クロが惚れぬいたナタリアをたらしこんで妻とし、地下住人が製造した 武器を密売して巨利を得る。 ナタリアはクロからドイツ将校のフランツ(エルンスト・ストットナー)、そしてマルコと、その時々の強者に靡 (なび)いて生き延びようとする。2人は人間のエゴとしたたかさを象徴する存在だ。 もう1人の主役クロは、もともと政治なんか興味のない電気工だが、党員を増やすことで点数稼ぎをしようとするマルコに誘われて、 共産パルチザンに入った。 20年も騙されて、まだ戦時下と思っているが、「もういい加減戦争を終わらせよう」と地上に出てきた場所が、マルコの肝煎りで 始まっていた『英雄クロ』の自伝映画撮影現場だったというのが面白い。 彼やナタリア、恋敵のフランツにそっくりの役者たちが戦時中の彼らを演じている。そこで展開されているのがよもや“映画”という 「架空」世界とは夢にも思わないクロは、20年前と少しも変らぬ姿のナタリアやフランツに驚き、さらに自分までもがそこにいる ことに驚愕する。 たまたま遭遇した「架空」世界は、クロにとっては紛れもない「現実」なのだ。ナタリアを熱愛していたクロは、フランツ(役の役者) を射殺してしまう。 興味深いのは、この瞬間、“映画” という「架空」世界が、“殺人” という「現実」そのものになってしまったことだ。と同時に、 皮肉にも、地下で現実に生きていたクロたちは “映画” という「架空」世界に組み込まれ、マルコが企んだ “存在しないもの” に なってしまったのだ。 クロの中で起こった虚構と現実の混乱は、まるで当時、旧ユーゴが陥った混沌状態を表しているかのようだ。
30年後、旧ユーゴでは内戦が起こり、クロはゲリラを指揮している。相変わらず「ファシストの糞野郎ども」と喚きながら。でも、彼はこれが祖国が四分五裂した末の内戦だとはっきり認識していたんだろうか。まだあの第二次世界大戦を闘っているつもり なんじゃなかろうか、と思ったりもする。 このクロが、私にはチトーの死とともに崩壊し消滅していった旧ユーゴスラヴィアに重なって見える。 武器商人にまで堕ちたマルコに比べ、愚直なまでに初志を貫いたクロ。彼はひょっとして最後まで勘違い人生を送ったのかもしれない が、その愚かさがむしろ立派にすら見えてくる。 彼にユーゴを重ね合わせる私の印象が間違っていなければ、そこにクストリッツァ監督の故国への皮肉と愛が籠められているように 感じた。 かなり辛辣な映画だけれど、悲惨な現実を吹き飛ばすようなパワーとあっけらかんとした明るさが全編に漲っている。それがこの 映画の魅力だと思った。 【◎○△×】8 |