| 【 じっくり映画館 】No.17 |
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1999年 80分 ベルギー/フランス/ルクセンブルク /スイス 監督 フレデリック・フォンテーヌ 出演 ナタリー・バイ、セルジ・ロぺス ポール・パヴェル シルヴィ・ヴァン・デン・エルセン |
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ストーリー パリで一人で暮らす女(ナタリー・バイ)。彼女は長年抱いていたセクシャアルな夢を実現しようと、セックス雑誌にパートナーを 求める広告を出す。やがて現われた男(セルジ・ロぺス)と毎週木曜日にカフェで落ち合い、ホテルの赤い扉ある部屋でセックスを 楽しむようになる。 名前も住まいも知らぬまま、週に一度のポルノグラフィックな関係が続くが、2人はいつしか互いに惹かれ合うようになる・・・。 主演のナタリー・バイは、本作でヴェネチア国際映画祭最優秀主演女優賞を獲得した。 ソファに掛けた女がカメラに向かって話し出す。「ポルノ的な関係。セックスの夢を実現したかった。実行したわ」。“セックスの 夢”・・・それは愛や恋といったややこしい手続きを経ずに、純粋にセックスだけを楽しむことなのだろう。愛や恋には裏切られたり 傷ついたりする不安がついて回る。そういうものはいらない。 女はそれなりに美しいがもう若くはない。離婚して今は1人暮らしのようだ。1、2度出産したことがあるらしい。映画はディテールに 立ち入らないので女の生活も、女がこのような願望を持ったいきさつもよく分らない。でも、中年にいたって自立した暮らしをしている らしい女には、そうした割り切ったセックスを受け入れる大人の雰囲気がある。
女は雑誌に広告を出す。現われたのは、女の予想に反して優しくて分別があり、しかも少年っぽい無邪気さを持った男だった。何度目かのデートの後、女は「あなたはいい人ね。でも私が求めてたのはもっと別のタイプなの」という。その言葉には、男に情が 湧き始め、そんな自分に戸惑っている女の揺れが感じられる。 女と男がそれぞれ一度だけ涙を流す印象的な場面がある。ある日のデートの後、女は町の雑踏を歩きながら堪えきれないように涙を 流す。画面に女の声がかぶる。「切なくて・・・突然どうしたらいいか分らなくなったの」。これは恋というものだ。女はそれに突然 気づいたのだ。 女に「愛してる」と告げられて、男も目に涙を浮かべる。男はこれまで愛を告白したことがない。失敗するのが怖かったからだ。男が 広告に応じたのは、告白などありえないセックスだけの関係が気が楽に思えたからだ。 男も女も後腐れなくセックスだけを楽しもうと始めた関係だったのに、それだけでは割り切れな
い感情が生じてしまう。リニョーというひと組の夫婦が登場する。夫は発作を起こして死ぬ間際、「妻には知らせるな。顔も見たくない」と言い残す。 妻は女と男にこう語る。「女の尻を追い回す夫だった。彼のために人生を犠牲にしたの。でもどこにいようと、生きてさえいれば必ず戻ると 知っていた。それも死んでしまえばお終い。私も死ぬしかない」と。そして本当に彼女は自殺してしまう。 女は「厄介な女性ね。ご主人もそう感じてたに違いない」という。情やしがらみに縛られた関係。この老夫婦はそのどうしようも なさを生きてきた。それが現実というものだろう。映画の中で彼らだけが名前を持っているのは偶然ではない。男と女はその煩わしさを 避けて、たがいに自由でありたかった。だから身元も明かさずに来たのだ。 セックスだけの関係という時思い浮かぶのは、『ボディ』(92)の中でウィレム・デフォーとマドンナが演じた男女だ。ふたりの 激しく暴力的なセックスは、愛の不在を示していて寒々しいほどだった。このような関係は心が荒寥としていなければとうてい続けられ そうにない。
一方、本作の女と男は、割り切るはずだった相手に割り切れぬ情緒を感じ始める。人間というのはやはり複雑で厄介な代物なのだ。ある日女と男はキスを交わし、たがいに背を向け去っていく。パリのしっとりした町並みがふたりの姿を柔らかく包み、雑踏の中に 溶かし込んでいく。ソフトフォーカスで行き交う人々が映し出される。別れたふたりが再び会わないために、この物語はパリという 大都会がふさわしい。 タイトルから連想されるようなエロティックなシーンはさほど多くない。セックスについての大人の夢とその挫折を繊細に描いたラブ ストーリーだ。初めて男と顔を合わせた時の女の恥じらいとときめきの表情。女を演ずるナタリー・バイは知的で儚げで、感情が移ろう 時の微妙な表情の変化がとても魅力的だ。この映画は彼女の存在でしっとりした大人の映画に仕上がったと思う。 【◎○△×】7 |