| 【 じっくり映画館 】No.16 |
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1996年 フランス/イラン 78分 監督 モフセン・マフマルバフ 出演 ミルハディ・タイエビ、アリ・バクシ アマル・タフティ マルヤム・モハマッド・アミニィ モフセン・マフマルバフ モハラム・ゼイナルザデ |
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ストーリー イランの国民的映画監督、マフマルバフは都市ゲリラに身を投じていた17歳の頃、警官をナイフで襲い、逆に拳銃で撃たれて投獄された経験を持つ。その体験をユーモアたっぷりに映画化している。 かつてマフマルバフ(モフセン・マフマルバフ)に刺された元警官(ミルハディ・タイエビ)が彼を訪ねて来る。マフマルバフは 即座にかつての事件の映画化を決心し、オーディションで若き日の警官(アリ・バクシ)と若き日の自分(アマル・タフティ)を演じる 少年を選ぶ。 こうして、マフマルバフが指揮する「若き日の監督」チームと、元警官と助監督のゼイナルザデ(モハラム・ゼイナルザデ)が 指揮する「若き日の警官」チームに分かれて撮影が始まる。そして、事件の現場へと双方は近づいていく・・・。 マフマルバフ監督はかつてパーレビ王朝打倒の政治活動に身を投じていたという。17才の時拳銃を奪うことを目的に警官を襲い、 彼を刺して、イラン革命の成功で釈放されるまで、4年半の投獄生活を送った。 この時若き日の監督に協力して警官の気をそらす役目をしたのが、いとこの少女だったという。『パンと植木鉢』は20年前のこの 事件を監督自らが映画化しようとするプロセスを描いている。 映画は彼に刺された元警官がマフマルバフ監督を訪ねてくるところから始まる。警官役のタイエビという役者が面白い。両方の太い 眉が額でくっついて、いかつい顔の大男なのだが、笑うとニッと歯が出ていかにも人が好さそうだ。人気漫画シリーズ「こちら葛飾区 亀有公園前派出所」の警官・両津に顔も性格もよく似ていて、親近感を覚える。
映画化するに当たって、監督は、若き日の自分自身と警官を演じる少年をオーディションで選ぶことにする。これはこの映画のなか
でもっともユーモラスなシーンだ。元警官は、若き日の自分を演ずる【警官役】に、ハンサムな少年を選ぼうとする。監督は彼に面立ちの似た別の少年を推す。それが 彼は気に入らない。「似てない」といって膨れる。さんざん拗ねるが、最後は気を取り直して選ばれた少年と肩を組み、にっこり カメラのフレームに納まるのだ。 映画は元警官と監督が別のチームに分かれて撮影する形で進められていく。 「若き日の警官」チームでは、元警官が【警官役】の少年に演技指導するのだが、ある日、彼は少年に20年前の初恋を 打ち明ける。一人の少女が毎日通りすがりに彼に道を聞いたり時間を尋ねたりした。気があるのかも知れない。そう思った元警官は 自分も彼女に愛を告白しようと思う。しかし白い花の鉢を用意したその日に彼は若き日の監督に刺され、それきり少女の所在も不明
になったのだ。元警官はこの映画で有名になって彼女を探し出したい、と無邪気な夢を語る。顔に似合わぬロマンチストの元警官と、彼の打ち明け 話にいっこう感動せぬ現実的な少年のやり取りがおかしくて、吹き出しそうになる。 同じシーンで、元警官は「こんな顔だからいつも悪役。今度は絶対善玉をやりたい」と力んで話す。ユーモラスな場面だが、役者と してのタイエビと彼の演ずる元警官の、どちらがどちらか判然としなくなる。現実と虚構が重なり合う。この映画の特徴がよく表われて いる場面だ。 小さなはずみで元警官は、初恋の少女がじつは若き日の監督の協力者だったことを知る。裏切られた怒りで、元警官は【警官役】の 少年に《監督役》の少年を拳銃で撃つように演技指導する。 【警官役】の少年は突然の変更がどうも納得いかない。少女に渡すはずの、元警官の思いを込めた白い花の鉢を抱えて、うろうろ することになる。これがラストのクライマックスにつながる。 一方、「若き日の監督」チーム。《監督役》の少年は人類救済という途方もない夢をもっている。彼は警官襲撃用のナイフを隠す ためにパンを買い、囮の少女(マルヤム・モハマッド・アミニィ)とふたりで【警官役】の少年の立つ街角に急ぐ。しかしいよいよと なると「人を刺すなんてできない。これは人類救済じゃない」と泣き出してしまう。
少年が実際にそういう夢を持っているのか、役としてそういう少年を演じているだけなのか、分らなくなってくる。ここでも映画と
いう虚構と現実が混合し、重なり合う。映画は、元警官チームの担当部分と監督チームの担当部分が並行したり、絡み合ったりして進んでいく。過去の事件の同じ時間、同じ 場面が二つのチームそれぞれの進行のなかで、行きつ戻りつして描かれる。 それにつれて現実の事件がフィクション化され、その フィクションが事件を演ずる少年たちの現実と重なり、現実とフィクションの境が曖昧になる。そのプロセスがとても面白い。 何度か両チームの行き違いや、撮影の延期と再開が繰り返された後、ようやく事件当日の現場
の撮影になる。囮の少女が警官の気をそらすために時間を尋ねる。パンの下のナイフを握りしめる《監督役》の少年。彼を撃つように演技変更された 【警官役】の少年も、左手に花の鉢を抱え、右手を拳銃に当てる。 そのままためらう【警官役】の少年。少女は怪訝な表情でまた時間を聞く。そして・・・・・・。少女の両側から【白い花の鉢】と《パン》が同時に差し出される。 ふたりの少年はかつての監督と警官のように闘うことを選ばず、たがいに “愛” を差し出したのだ。20年の 歳月を経て、監督の思想が “暴力” から “愛” に変化した、それがこの最後の場面に如実に表われている。 そして、現実と虚構をより合わせたような映画の構造は、監督が過去の衝撃的な体験を濾過し、表現するために必要なことだった のだ、と私は初めて思い至った。簡潔で美しいラストだった。 【◎○△×】7 |